§1 上代語動詞「居」の終止形・連体形・連用形の用例
【1】上代語動詞「居」の用例
上代語文献に見える動詞「居」の用例は、終止形「う」、連体形「ゐる」、連用形「ゐ」である。
《終止》 急居、此を、つきう〈菟岐于〉ト云ふ。[崇神紀10年注]
《連体》 阿∧”
倍ノ田ノ面に 居る〈為流〉鶴ノ[万14 ―3523東歌]
《連用》 二人並び居〈為〉 語らひし[万5 ―794]
立ちてモ居てモ〈為弖母〉[万17 ―3993]
【2】上代語「居」の活用についての従来説
(1)橋本進吉の見解。
橋本進吉は「上代に於ける波行上一段活用に就いて」『橋本進吉博士著作集第五冊上代語の研究』185・192頁でいう。「殊に動詞の如きは、一語であつてそのあらゆる活用形の確実な実例を具へたものは甚少数で、多くは他の類例から推定するか、又は後世の例によつて補ふの外無いのである。動詞の活用の形式やその種類も、平安朝の言語から得たものを基準として、之を上代の文献に見える不充分な実例に照して見て、矛盾する所が見出されなければ、上代語に於ても同様であつたとし、もし違ふ所があれば、之に補訂を加へるといふ有様である。」
要するに、上代語の活用については「平安朝の言語から得たものを基準」とし、「矛盾する所が見出されなければ、上代語に於ても同様」だとする、ということである。
では、橋本は上代語「居」の活用「連用形ゐ・終止形う・連体形ゐる」をどう把握したか。橋本は『橋本進吉博士著作集第七冊国文法体系論』331頁で、まず次のとおりいう。「「居」は「于」といつたとしなければならない。ところが、この語は奈良朝以前にワ行上一段で、たしかに「ゐる」といふ例がある。さすれば、「于」は活用とする事が出来ない」。
文献事実は〔「居」の活用に「う〈于〉」「ゐる」がある〕のだが、橋本は「「于」は活用とする事が出来ない」という。文献事実と橋本の活用説とは「矛盾」する。橋本は「矛盾する所が見出されなければ、上代語に於ても同様であつた」というが、矛盾するところが見いだされたのだから、上代語の「居」の活用は平安語とは異なるとせねばならない。
〔動詞終止形が上代語と平安語で異なる〕事例は「居」だけではない。序章で述べたように、上代語動詞「見」の終止形は「み」であって、平安語「みる」とは異なる。「居」も「見」も平安語では上一段活用だが、その一つたる「見」の上代語での活用は平安語とは異なるのだから、「居」の上代語での活用が平安語と異なるのも当然である。
「居」の終止形も「見」の終止形も、上代語と平安語とで異なる。橋本は「後世の例によつて補ふ」というが、「居」「見」の終止形については、「後世の例によつて補ふ」ことは不可能である。よって、私は次のとおり考える。
上代語の活用を論定するにあたっては、橋本進吉の「平安朝の言語から得たものを基準」とする方法には従えない。上代語の六活用形を論定するには、上代語の文献事実に基づかねばならない。
(2)川端善明の見解。
川端善明は『活用の研究Ⅱ』139頁で「上二段に、ウ(居)・フ(干)・フ(嚔)・フ(簸)・ム(廻)の五語があり」という。しかし、「居」が上二段活用であるならば、連体形語尾は、「恋ふる〈古敷流〉」[万17 ―4011]・「過ぐる〈須具流〉」[万20 ―4496]のように、「う段+る」でなくてはならない。ところが、上代語の文献事実では、「居」の連体形は「ゐる」である。「ゐる」は「い段+る」であって、「う段+る」ではない。
川端は同書同頁で、「ウ(居)は上二と上一に跨る」という。しかし、“終止形が上二段「う」で、連体形が上一段「ゐる」”という活用は、上二段ではなく、上一段でもない。川端説に従うことはできない。
【3】上代語動詞「居」の活用形
上代語の動詞活用形を論定するには、先入観ではなく、上代語の文献事実そのものに依拠せねばならない。平安語の動詞活用に拘泥してはならない。上代語文献に見える「居」の用例は連用「ゐ」・終止「う」・連体「ゐる」だから、上代語「居」は連用「ゐ」・終止「う」・連体「ゐる」と活用する動詞である。
日本語学は、上代語動詞活用「見」終止形は「み甲」、「居」終止形は「う」、「居」連体形は「ゐる」という文献事実を基盤にして構築せねばならない。
§2 上代語「居」終止形の語素構成と遷移過程
【1】動詞「居」の動詞語素
上代語動詞「居」の連用形は「ゐ」であり、連体形は「ゐる」だが、その「ゐ」の音素配列はどのようであるか。
「ゐ」はワ行い段である。そして「い甲・い丙」を形成する音素としてYがある。そこで「居」の連用形・連体形にある「ゐ」の現象音はWYだと推定する。
そして「居」の動詞語素の本質音はWYだと推定する。
【2】動詞「居」の活用形式付加語素はYRY
ナ変動詞の連体形の末尾には「る」があり、終止形には「る」はない。「居」も連体形の末尾に「る」があり、終止形には「る」はない。
そしてナ変動詞では活用形式付加語素として双挟音素配列WRWが用いられる。そこで「居」も活用形式付加語素として、双挟音素配列が用いられていると考える。
ナ変では連体形が「う段+る」であるため、活用形式付加語素はWRWが用いられる。「居」は連体形が「い段+る」だから、活用形式付加語素は双挟音素配列YRYだと推定する。
【3】上代語「居」の終止形が「う」になる遷移過程
「居」終止形の語素構成は、動詞語素WYに、活用形式付加語素YRYと、動詞終止形の活用語足Wが続いたものである。
《終止》 居=WY+YRY+W→WYYRYW
WYYRYWでは、RはYに双挟され、そのYRYを含むYYRYはWに双挟される。この場合、上代語ではYはRを双挟潜化し、その後、そのYrYを含むYYrYをWが双挟潜化する。
→WYYrYW=WYYYW→WyyyW=WW
WWは、ワ行・W段(う段)の音素節「う」になる。
=う
こうして、上代語終止形「居」は「う」になる。