第11章 助動詞「らし」「らむ」「∧”し」への接続

§1 助動詞「らし」「らむ」への接続

【1】四段・上甲段・上二段動詞に「らし」「らむ」が続く用例

(1)四段・上甲段・上二段動詞に「らし」が続く用例。

[近畿]《四段》 蘇我ノ子らを 大王ノ 使はすらしき〈兎伽破須羅志枳〉
[推古紀20年 紀歌103]
《上甲》 春野ノうはギ 摘みて煮らしモ〈煮良思文〉[万10 ―1879]
[東方]《上二》 上二段動詞に「らし」が続く用例は東方語に見える。上二段「恋ふ」の語尾は「ひ甲」になる。
吾が妻は いたく恋ひ甲らし〈古比良之〉[万20 ―4322防人歌。*「比」は、かつては元暦校本によって「非」とされたが、広瀬本の「比」に従う]

(2)四段・上甲段・上二段に「らむ」が続く用例。

《四段》 思ひ萎イエて 偲ふらむ〈志怒布良武〉
[万2 ―131。*怒は広瀬本による]
《上甲》 人皆ノ 見らむ〈美良武〉松浦ノ[万5 ―862]
《上二》 家人ノ 待ち恋ふらむ〈古布良牟〉に[万15 ―3653]

【2】従来説

濱田敦は「助動詞」『万葉集大成第六巻』98~99頁で、「この「らむ」の上部要素の「ら」は果して如何なる語源のものか不明である」としつつ、「「有り」と関係づける」と述べて、「子泣くらむ」を「子泣く・あら・む」と分解する。しかし、「泣く+あら」なら「泣から」になるだろう。濱田説には従えない。
大野晋は「日本語の動詞の活用形の起源について」『国語と国文学』30 ―6の54頁で、「見らむ」の「見」などについて、「通常終止形に接続するのが例である「らむ」「べし」などが、八世紀の文献では上一段活用に限つて終止形に接続せず、未然形または連用形に接続するが(例へば「見らむ」「煮らし」)これは恐らく、上一段活用の終止形がiで終つた頃の古形の化石的残存例なのではあるまいか。」という。
大野は、「見らむ」の「み」について、「上一段活用に限つて終止形に接続せず」と述べて“終止形ではない”とするが、序章で述べたように、「見」の終止形は「み」である。「見らむ」の「見」を終止形の形と認識しないで導かれた大野説には従えない。

【3】助動詞「らし」「らむ」の「ら」は“心”の意味の「うら」

「らし」「らむ」直前の音素節の多くは「う」段になる。私はこのことに留意して、「らし」「らむ」の「ら」は“心”の意味の「うら」だと考える。「心=うら」の用例を挙げる。
泊瀬ノ山は あやに うらぐはし〈于羅虞波斯〉
[雄略6年 紀歌77]
別れなは うら悲し〈宇良我奈之〉けむ[万15 ―3584]
思ひ乱れて 君待つト うら恋ヒ〈宇良呉悲〉すなり[万17 ―3973]
うら泣ケ〈宇良奈気〉しつつ 下恋ヒに 思ひうらぶれ〈宇良夫礼〉
[万17 ―3978]
「らし」は「心」に形容詞を形成する「し」が続いたものであり、「らむ」は「心」に意志助動詞「む」が続いたものだと考える。
「らし」「らむ」の直前の音素節は、「煮らし」「見らむ」「恋ひらし」のように、「う」段にならないこともあるから、「うら(心)」の「う」は、完母音素Uではなく、WWだと推定する。「うら」の「ら」は、本章では、RAと表記する。
「WWRAし」「WWRAむ」は動詞の活用語胴に続く。

【4】四段・上甲段・上二段動詞に「らし」「らむ」が続く遷移過程

(1)動詞に「らし」が続く遷移過程。

[近畿]《四段》 「使はS」に「WWら+し」が続く。
使はすらしき=使はS+WWRA+しき→つかはSWWらしき
→つかはSwWらしき=つかはSWらしき=つかはすらしき
《上甲》 上甲段「煮」の動詞語素はNYだと推定する。
煮らし=NY+YRY+WWRA+し→NYYRYWWRAし
双挟音素配列RYWWRでは、RはYWWを双挟潜化する。
→NyYRywwRAしNYRRAし→NY ―RRAし
父音部RRでは、前のRは顕存し、後のRは潜化する。
→にRrAし=にRAし=にらし
[東方]《上二》 「恋PW」に、YRYと、「WWRA+し」が続く。
恋ひらし=恋PW+YRY+WWRA+し→こPWYRYWWRAし
東方語ではWYとYWWは次のように呼応潜顕する。
RYWWRでは、RはYWWを双挟潜化する。これに呼応して、WYではWは潜化し、Yは顕存する。
→こPwYRywwRAし=こPYRRAし→こPY ―RrAし
=こPY ―RAし=こひ甲らし

(2)動詞に「らむ」が続く遷移過程。

《四段》 動詞語素「偲P」に、「WWRA+む」が続く。
偲ふらむ=偲P+WWRA+む→しのPWWRAむ
→しのPwWらむ=しのPWらむ=しのふらむ
《上甲》 MYに、YRYと、「WWRA+む」が続く。
見らむ=MY+YRY+WWRA+む→MYYRYWWRAむ
→MyYRywwRAむ→MYRrAむ=み甲らむ
《上二》 動詞語素「恋PW」に、YRYと、「WWRA+む」が続く。
恋ふらむ=恋PW+YRY+WWRA+む→こPWYRYWWRAむ
WYとYWWは次のように呼応潜顕する。RはYWWを双挟潜化する。これに呼応して、WYではYは潜化し、Wは顕存する。
→こPWy ―RywwRAむ→こPW ―RrAむ=こふらむ

【5】語胴形WWら用法

動詞に助動詞「らし」「らむ」が続く場合、終止形の活用語足Wは用いられない。だから、本質的なことをいえば、「らし」「らむ」は終止形に接続するのではない。動詞に「らし」「らむ」が続く用法を語胴形WWら用法と呼ぶ。


§2 助動詞「∧”し」への接続

【1】四段・ナ変・上甲段動詞に「∧”し」が続く用例

《四段》 剣大刀 いヨヨ研ぐ∧”し〈刀具倍之〉[万20 ―4467]
《ナ変》 吾れは死ぬ∧”く〈之奴倍久〉なりにたらずや[万18 ―4080]
《上甲》 咲きたる野辺を 行きつつ見∧”し〈見倍之〉[万17 ―3951]

【2】助動詞「∧”し」の「∧”」は「う∧”」

(1)上代語「う∧”」は平安語では「むべ」になる。

[上代] う∧”な う∧”な う∧”な[景行記歌28]
[平安] 吹くからに 秋の草木の しほるれは むべ山風を あらしといふらむ[古今和歌集5 ―249]
上代語では「う∧”」に、平安語では「むべ」になる、その第一音素節の本質音はWMWだと推定する。
[上代] WMWではWはMを双挟潜化する。
う∧”
理=WMW∧”→WmW∧”=WW∧”=う∧”
[平安] 平安語では、「むべ」に「し」が続く場合以外では、WMが父音部になる。父音部WMでは、父音素Mは顕存し、兼音素Wは潜化する。
理=WMWべ→wMWべ=MWべ=むべ

(2)助動詞「∧”し」は「う∧”」に「し」が続いたもの。

助動詞「∧”し」は、「う∧”=WMW∧”」に、形容詞を形成する「し」が続いたものである。
「WMW∧”し」は動詞の活用語胴に続く。

【3】四段・ナ変・上甲段・上二段動詞に「∧”し」が続く遷移過程

「WMW∧”し」では、WはMを双挟潜化する。
《四段》 研ぐ∧”し=研G+WMW∧”+し→とGWmW∧”し=とGWW∧”し
→とGwW∧”し=とGW∧”し=とぐ∧”し
《ナ変》 死ぬ∧”く=死N+WRW+WMW∧”+く→しNWRWWmW∧”く
→しNWrWWW∧”く→しNwwwW∧”く=しNW∧”く=しぬ∧”く
《上甲》 見∧”し=MY+YRY+WMW∧”+し→MYYRYWmW∧”し
→MYYrYWW∧”し=MYYYWW∧”し
母音部YYYWWは、三連続するYに、二連続するWが続く。この場合、前方で三連続するYはひとまず顕存し、後方で二連続するWは潜化する。
→MYYYww∧”し→MyyY∧”し=MY∧”し=み甲∧”し

【4】語胴形WMW∧”し用法

動詞に助動詞「∧”し」が続く場合、終止形の活用語足Wは用いられない。だから、本質的なことをいえば、「∧”し」は終止形に接続するのではない。動詞に「∧”し」が続く用法を語胴形WMW∧”し用法と呼ぶ。