第12章 「干」「嚔」「居」「廻」は上乙段活用動詞

§1 未然「ヒ乙」・連用「ヒ乙」・終止「ふ」と活用する動詞「干」

平安語で上一段活用する動詞「干る(乾る)」は上代語ではどのように活用するか。
橋本進吉は「上代に於ける波行上一段活用に就いて」『橋本進吉博士著作集第五冊上代語の研究』で上代語「干」の活用を論定した。橋本の見解のうち、まず、未然形(橋本は「将然形」と呼ぶ)・連用形・終止形について述べる。
橋本は「干」の未然形・連用形・終止形を次のとおり論定する。
《未然》 「ヒ乙」。
吾が泣く涙 いまだ干なくに〈飛那久尓〉
[万5 ―798。「なく」は否定助動詞「ず」のク語法]
潮ノ早干は〈非波〉[万18 ―4034]
《連用》 「ヒ乙」。
武庫ノ浦ノ 潮干〈之保非〉ノ潟に 鶴が声すモ[万15 ―3595]
荒津ノ海 潮干〈悲〉潮満ち[万17 ―3891]
《終止》 「ふ」。
乾、此を、ふ〈賦〉ト云ふ。[景行紀12年「市乾鹿文」注]
「干」の活用が未然「ヒ」・連用「ヒ」・終止「ふ」だという橋本の論定は、上代語文献の一字一仮名表記の用例に基づくものであり、これらの論定は正しい。


§2 橋本進吉の“上代語已然形「干れ」”説

【1】万葉集2465歌の「浦乾」の読みは「うらぶれ」なのか

(1)一字一仮名の用例によるなら〔平安語で上一段活用する動詞は上代語で上二段に変化した〕とは断定できない。

平安語の上一段活用動詞は上代語ではどのように活用したか。上代語での一字一仮名の表記を見るかぎりでは、上二段に活用した確証はない。已然形が「う段+れ」と表記された用例はなく、連体形が「う段+る」と表記された用例もない。この文献事実に従えば、〔平安語で上一段活用する動詞は、上代語で上二段活用に変化した〕とは断定できない。

(2)橋本進吉は万葉集の「浦乾」を「うらぶれ」と読み、この読みを根拠として、上代語「干(乾)」の已然形を「ふれ」だと論定し、「干」は上代語では上二段活用だったと主張する。

吾が夫子に 吾が恋ヒをれば 吾が屋戸ノ 草さ∧思ひ 浦乾 来
[万11 ―2465]
橋本は「上代に於ける波行上一段活用に就いて」『橋本進吉博士著作集第五冊上代語の研究』で、“万2465の「浦乾」の訓読は「うらぶれ」だから、上代語「干(乾)」の已然形は「ふれ」である”と論定する。
そして“「干」は未然「ヒ」、連用「ヒ」、終止「ふ」、已然「ふれ」だったから上代語では「上二段活用であつた」”(199頁)という。
そして“「干」が上代語で上二段活用であった”ということを理由にして、202頁で「ハ行上一段といふ活用形式は、ハ行上二段が変じてはじめて出來たもの」だと主張する。“「干」は、上代語での上二段から平安語での上一段に変化した”というのである。橋本のこの論旨は正当だろうか。

(3)「浦乾」は橋本以前には「うらかれ」と読まれていたが、橋本はこの読みを論難する。

橋本は196頁で「ウラガレといふ語は、「末枯れ」の義である」と断定する。この見解に立った上で橋本はいう。「「思ひうらがれ」とつゞいてゐるが、かやうな言葉つゞきは実際あつたであらうか。(中略)木の先の枯れるのに、「思ひ」とつかないは勿論、中絶えるにしても「思ひ」とつく筈は無い。譬喩的に用ゐて心の有様を言つたものとして、「思ひがうらがれる」と解しても「心の中にうらがれる」と解しても、ほとんど意味をなさない。」

(4)万葉集には「末」と「心」が同音異義であることを用いた歌がある。

橋本は、“「ウラガレ」の意味は「末枯れ」である”と断定したために、「思ひうらかれ」説に対して、「木の先の枯れるのに、「思ひ」とつかない」などと難じることになった。橋本のように“「うら」の意味は「木の先」”と解するなら、「うら」と「思ひ」は結びつかないだろう。
だが、「うら」の意味は「木の先」だけではない。「うら」には“心”を意味する「うら」もある。「木の先」と「思ひ」は直接には結びつかないが、“心”の意味の「うら」を介して「思ひ」に結びつくことはある。
藤ノ末葉〈宇良葉〉ノ 心安〈宇良夜須〉に さ寝る夜ソ無き 子ロをし思∧ば[万14 ―3504東歌]
万3504では「末葉」の「末」で同音「心」を呼びおこし、その「心」に関係深い「思ひ」を用いて、「思∧ば」と結んだのである。
このことから類推して次のように考える。万2465の「思ひうら乾れにけり」の「うら」は、表層では“末=木の先”であるが、深層では「心=こころ」の意味であって、直前にある類義語「思ひ」を受けて、後文「乾れにけり」に続けたのではないか。
「うら」には“こころ”の意味もあると知られたからには万2465の解釈は再考すべきであろう。

(5)「枯れ」は「離れ」と同音。

「末枯れ」の「末」が同音の「心」と通じるなら、「枯れ」はどの語と通じるか。
「妹が目離れて〈可礼弖〉吾れ居らメやモ」[万15 ―3731]の「離れ」は「枯れ」と同音である。よって「末枯れ」は同音の「心離(うらか)れ」と通じる。
私は「浦乾」は「うらかれ」と読むべきだと考える。「うらかれ」は、「末枯れ」としては「草さ∧」を受けつつ、「心離れ」としては「思ひ」を受ける。これが万2465の技法である。「うらかれ」は表層としては「末枯れ」の意であり、深層としては「心離れ」の意である。

(6)「新田山寝には付かなな」「夏草ノ(中略)足踏ますな」の技法。

「草さ∧思ひうらかれにけり」の意味と技法を探る上で参考になる上代歌謡が二首ある。

① 新田山 寝〈祢〉には付かなな 吾に寄居り 端なる子らし あやに愛しモ[万14 ―3408]

「新田山」は、沢瀉久孝が『万葉集注釋巻第十四』でいうように、「「嶺」と「寝」とを掛けた枕詞」である。「新田山」は「山」と同義の「嶺」を呼びおこす。呼び起こした「嶺」を、同音異義の「寝」に転じる。この「寝」が後文の「には付かなな」に続いていき、“寝床には着かずに”の意味になる。
「端なる子」は“下座にいる女子”の意。座所をいうだけではなく、“謙虚な”の意を含む。

② 夏草ノ あひねノ浜ノ 牡蠣貝に 足〈阿斯〉踏ますな 明かして通れ

[允恭記歌86。歌意は『古事記歌謡全解』記歌86の段参照]
「夏草ノ」は枕詞である。この歌で“草”に相当する語は一つしかない。「あし」すなわち「葦」である。枕詞「夏草ノ」で「葦」を呼びおこし、それを同音異義の「足」に転じる。この「足」が後文の「踏ますな」に続いていく。
これら二つの歌謡と同様、万2465では、枕詞「草さ∧」で「末枯れ」を呼びおこし、その「うらかれ」を同音異義語の「心離れ」に転じて、「にけり」に続けたのである。
枕詞「草さ∧」は、その呼びおこす「うらかれ」の直前ではなく、「思ひ」の前にある。これは、この技法を初めて用いた古事記歌86で、枕詞「夏草ノ」が、その呼びおこす「あし」の直前になく、「あひねノ浜ノ牡蠣貝に」の前にあることを踏襲したのだと考える。

(7)万2465の歌意。

私の彼氏を私が恋いこがれて(いつ来てくれるだろうと期待して自宅に)いると(待っても待っても彼氏は来ないので)、(「私の家の戸の草木でさえ」といえば“末の葉は枯れる”=「末枯れ」を想いおこすでしょう、それと同音異義の)心離れです。(あの人への)思いは、(愛する)心は、(私から)離れ去ってしまいました。
“待っても待っても来ない彼氏をいつまでも待ち続ける”というのは一途で健気ではあるが、彼氏は永遠に来ないかもしれない。現実の場面では“あの人のことはもう忘れよう”という選択も当然ありうる。万2465の作者の場合も“思慕する心は消えてしまった”のである。

(8)上代語文献には「干(乾)」の已然形を「ふれ」と読む用例は存在しない。

万2465の「浦乾」は「うらかれ」であって、「うらぶれ」ではない。よって、上代語文献には「干(乾)」已然形を「ふれ」と読む用例は存在しない。「干」已然形を「ふれ」とする用例は存在しない。
橋本は、「浦乾」を「うらぶれ」と読むものとして、上代語「干」の已然形を「ふれ」だと定め、「干」を上二段活用だとしたが、私は橋本説を是認することはできない。

【2】動詞活用を論定するには一字一仮名表記の用例を尊重せねばならない

万2465の「浦乾」の訓読・解釈については、橋本の「うらぶれ」説の方に賛同する人もいるだろう。しかし、「うらぶれ」説を是とする人であっても、“だから、「干(乾)」の已然形は「ふれ」だ”と主張することはできない。
六活用形を論定するにあたっては規範がある。橋本進吉が前掲書190頁で述べる内容である。「活用形は仮名書きの例がない故に未詳」。活用語の六活用形を論定するには一字一仮名表記の用例に基づかねばならない。訓読の用例には依拠するのは適切ではない。

【3】橋本の「かやうな形式の活用を上一段以外にもとめると、上二段の外に無い」という説明は論理学の面から見れば誤謬

橋本進吉は、「浦乾」の訓読によって「干」を上二段だとするより前(前掲書195頁)に、「干」を上二段だとしている。その際の論拠は次のようである。「「乾る」の将然連用の語尾は斐であり、「嚔る」の連用は「斐」である。かやうな形式の活用を上一段以外にもとめると、上二段の外に無い。」
上代語の活用には不明なことが多い。だから私たちは動詞活用の規則性や分類などについて知りたいと望んでいる。〔上代語動詞「干」は上二段活用か否か〕を知りたいと望んでいる。そしてまた、「上一段以外にもとめると、上二段の外に無い」といえるかどうかを知りたいと望んでいる。
ところが橋本は、真偽が未定の命題「上一段以外にもとめると、上二段の外に無い」を真だと断定し、これを論拠として、“上代語動詞「干」は上二段である”と結論する。これは論理学でいう先決問題要求の誤謬だから是認できない。

【4】平安語で上一段活用する動詞が上代語で上二段活用する用例は存在しない

平安語で上一段活用する「干」は、上代語では未然形「イ乙」段・連用形「イ乙」段・終止形「う」段の用例が見えるが連体形・已然形・連命令形を一字一仮名で記した用例はないから、上代語で上二段活用だったと論定することはできない。
「干」だけではない。平安語で上一段活用する動詞が上代語で上二段活用だったと確認できる用例は存在しない。
上代語動詞「干」の活用を一層詳しく知るにはどうすればよいのか。
「干」は連用形(一音節)の末尾音節が「イ乙」段一音節である。そこで、上代語文献の中から連用形・未然形の末尾音節が「イ乙」段である一音節動詞を探求し、その動詞の連体形などを調べれば、上代語「干」の活用を一層詳しく知ることができるだろう。


§3 未然形連用形の語尾が「イ乙」段である動詞の終止形語尾は活用行の「う」段になる

上代近畿語動詞の未然形・連用形の語尾音素節と終止形の語尾音素節との関係には規則性がある。
い甲イ乙識別行で上二段活用する「恋ふ」「過ぐ」「起く」などの未然形・連用形の語尾は「イ乙」段であり、終止形語尾は同じ行の「う」段である。
上二段動詞とは確定できない「干」も、未然形・連用形は「ヒ乙」であり、終止形は「ふ」である。
“くしゃみする”などを意味する「嚔」は、連用形「ヒ乙」、終止形「ふ」である。
《連用》 眉根掻き 鼻嚔〈鼻火〉紐解ケ[万11 ―2808]
《終止》 秋つ花吹く 鼻嚔トモ〈波奈布止毛〉
[琴歌譜。「つ」は助詞。「花吹」は同音「鼻嚔」を呼びおこす詞]
これらの用例から帰納して、次の命題を立てることができる。
上代近畿語の動詞では、未然形・連用形のいずれかの末尾音節が「イ乙」段であれば、その終止形末尾音節は活用行の「う」段である。
この規則性を未用イ乙終う命題と呼ぶ。


§4 連体形が「ミ乙る」、連用形が「ミ乙」の動詞「廻」

【1】連体形が「ミ乙る」、連用形が「ミ乙」の動詞「廻」

有坂秀世は「古動詞「みる」(廻・転)について」『国語音韻史の研究増補新版』で、連体形が「ミ乙る」に、連用形が「ミ乙」になる動詞に着目した。この動詞を「廻」と表記する。「廻」は一音節動詞である(未然形・連用形が一音節の動詞を一音節動詞と呼ぶ)。
《連体》 揃ち廻る〈微流〉 島ノ崎崎 揃き廻る〈微流〉 磯ノ崎 落ちず 若草ノ 偶持たせらメ[記上巻歌5]
《連用》 「島廻〈之麻未〉」[万17 ―3991]・「浦廻〈宇良未〉」[万15 ―3622]・「隈廻〈久麻尾〉」[万5 ―886]・「裾廻〈須蘇未〉」[万17 ―3985]・「磯廻〈礒廻〉」[万3 ―368]など。

【2】上代語動詞「廻る」(連体形)の意味

(1)「廻る」の意味。

先に挙げた「廻」の連体形「ミ乙る」の用例は、大国主神が出雲から大和に行こうとして服装を整えて出発する時に、その妻が詠んだ歌の中にある。
「揃ち……、揃き……」は、『万葉集』の「天皇ノ、酒を節度使ノ卿等に賜ふ御歌」の「天皇朕れ うづノ御手以ち かき撫でソ〈掻撫曽〉 ねぎ賜ふうち撫でソ〈打撫曽〉 ねぎ賜ふ」[万6 ―973]の「かき……、うち……」と同じで、“(何人もの人たちを)まとめて、揃えて”の意味である。
“出雲から、島にいる妃の家や磯にいる妃の家をめぐり経て、大和へ行く”という歌意からすれば、「廻」の意味は、“目的地は定まっているが、目的地に直行するのではなく、各地を経由して目的地に行く”である。

(2)連用形「廻」の意味。

先に挙げた連用形「廻」は体言を表す用法で、意味は“曲がった形状”である。

(3)動詞「廻」の原義。

連体形「廻る」と連用形「廻」の意味と合わせると、「廻」の原義は“直線的でない経路を進む”だと考えられる。

【3】連用形「廻」・連体形「廻る」の動詞「廻」は上二段動詞「たむ」とは別の語

(1)二音節動詞「たむ」の用例・意味・活用。

上代語には二音節動詞「たむ」がある(連用形・未然形が二音節の動詞を二音節動詞と呼ぶ)。
《連用》 何処にか 船泊てすらむ 安礼ノ埼 漕ぎたミ〈多味〉行きし 棚無し小船[万1 ―58]
岡ノ前 たミ〈多未〉たる道を 人な通ひソ ありつつモ 君が来まさば 曲き道にせむ[万11 ―2363]
磯ノ前 漕ぎたみ〈手廻〉行けば 近江海 八十ノ水な門に 鶴多に鳴く[万3 ―273]
《連体》 岡ノ前 いたむる〈伊多牟流〉 ゴトに 万度 返り見しつつ
[万20 ―4408。「いたむ」の「い」は接頭語]
「たむ」の意味は、“さまよう”“行くえ定めずに進む”“気ままに行き来する”“行路が複雑で解りにくい”である。連用形で体言化した場合には“迷ってしまうような道”の意味になる。二音節動詞「たむ」を「彷む」と表記する。

(2)連体形で「ミる」になる一音節動詞「廻」は二音節動詞「彷む」とは別の動詞。

「彷む」は連用形「たミ乙」、連体形「たむる」だから上二段活用である。他方、「廻」は連体形が「ミ乙る」だから、上二段活用ではない。
「彷む」は連用形が「たミ」だから二音節動詞である。他方、「廻」は連用形が「ミ」だから一音節動詞である。
「彷む」の意味は“さまよう”である。他方、「廻」の意味は“各地を経由して目的地に行く”である。
「彷む」と「廻」は活用形も音節数も意味も異なるから、別の動詞である。
「彷む」は上二段活用だから、動詞語素は「たMW」だと推定する。


§5 有坂秀世の“上代語「廻」は上一段”説

【1】有坂秀世の“上代語「廻」は上一段”説

有坂秀世は「古動詞「みる」(廻・転)について」前掲書537頁で「廻(転)」の活用について、これを「上一段」だと主張する。有坂はまず次のとおりいう。「連用形はミであり、連体形はミルであることが分つた。然らば、一往は上一段活用と言つて差支へ無ささうである。」
この後有坂は、「廻」を上一段とすることには難点もあることを記す。その難点とは、上一段活用なら連用形・連体形にある「ミ乙」は「甲類のものたるべき筈であるのに、ミル(転)の場合にはそれが乙類になつてゐる。」ということである。
有坂秀世はこの難点を解決するために、“「廻(転)」は古くは上二段活用であって、それが「早くから既に上一段に転じてゐた」”という仮説を立てる。有坂はいう。「ヰル(居)ヒル(干)ヒル(嚔)の如く、古くは上二段活用であつたものが、後に上一段活用に転じたと考へられるものがある。ミル(転)がもしこの種の上二段起原の上一段活用動詞であつたと仮定すれば、そのミが乙類のものであるといふことも、深く怪むには足らないのである。かやうなわけで、ミル(転)は早くから既に上一段に転じてゐたのである(下略)」。

【2】有坂の“上代語「廻」は上一段”説を批判する

(1)有坂説は“「干」は上代語では上二段だった”という仮定の上に立てられている。

有坂の“上代語「廻」は上一段”説には〔上一段なら連用形は「み甲」でなくてはならないのに、「廻」は「ミ乙」である〕という難点がある。この難点は、「ヒル(干)ヒル(嚔)の如く、古くは上二段活用であつたものが、後に上一段活用に転じたと考へられるものがある」と仮定することによってのみ、解決できる。
だが、§2で述べたように、上代語「干」を上二段活用だとすることはできない。したがって、“「干」は上二段から上一段に変化した”と仮定することはできない。有坂説の難点“「廻」が上一段なら語幹は「み甲」でなくてはならないのに、実際は「ミ乙」である”を解消するために有坂が立てた仮定が成り立たないのだから、有坂説は成り立たない。

(2)連用形末尾が「イ乙」段なら終止形はその行の「う」段でなくてはならない。

有坂は、連用形が「ミ乙」になる「廻」を上一段活用だとした。上一段なら終止形の末尾音節は「る」でなくてはならない。
だが、上代近畿語では、動詞連用形の語尾が「イ乙」段であれば、その終止形末尾音節は、活用行の「う」段になる(未用イ乙終う命題)。「廻」の連用形は「ミ乙」だから、その終止形は「む」だと推定できる。“「廻」終止形は「ミる」”だとする有坂説は、文献事実から帰納された未用イ乙終う命題に違背する。このことからしても私は有坂説を是認できない。


§6 上乙段活用動詞「干」「居」「廻」

【1】一音節動詞を終止形が「い甲」段のものと「う」段のものとに分類する

動詞「干」「廻」「居」などの六活用形・語素構成・遷移過程を探りたい。そのために、上代語で連用形が「い甲」段・「イ乙」段・「い丙」段の一音節である動詞に着目し、その終止形が「い甲」段であるものと、「う」段であるものとに分類する。

① 一音節動詞の終止形が「い甲」段の動詞を甲群とし、「う」段の動詞を乙群とする。

《甲群》 終止形が「み甲」である「見」は甲群に分類される。
《乙群》 終止形が「う」の「居」と、終止形が「ふ」の「干」「嚔」は乙群に分類される。

② 甲群の「見」は未然形・連用形が「い甲」段だから、未然形・連用形が「い甲」段の「着」を甲群に入れる。
③ 乙群の「干」は連用形が「イ乙」段だから、連用形が「イ乙」段の「廻」と「簸」を乙群に入れる。

「簸」は“箕を使って、穀物に混ざっている塵や糠を取り除く”の意。「出雲国簸之川上」[神代上紀第八段本文]は「出雲国之肥河上」[古事記上巻]に相当するので訓仮名「簸」は「ヒ乙」と読める。よって動詞「簸」の連用形は「ヒ乙」だと推定する。

④ 群ごとの六活用形を揃える。

《甲群》 「見」「着」の六活用形は次のようである。
い甲  い甲  い甲  い甲+る  い甲+れ  い甲+ヨ
《乙群》 「干」の未然「ヒ乙」、連用は「ヒ乙、終止「ふ」、「廻」の連用「ミ乙」、連体「ミ乙る」、「居」の連用「ゐ」、終止「う」、連体「ゐる」などをまとめると、次のようになる( ―は該当する用例がないことを示す)。
イ乙  イ乙(い丙)  う  イ乙(い丙)+る  (已然  ―)
(命令  ―)

【2】上甲段活用・上乙段活用

甲群の「見」「着」は上甲段活用に含まれる。このことには何の矛盾もない。甲群の動詞は上甲段活用と一致するといえる。
乙群の「干」「廻」「居」は、これらをまとめて独自の活用形だとしても何の矛盾もない。そこで、乙群の動詞を上乙段活用動詞と呼ぶ。
「干(乾)」は上二段ではなく、上乙段活用である。「廻」は上一段でも上二段でもなく、上乙段活用である。「居」は上一段でもなく上二段でもなく、上乙段活用である。

【3】「干」連体形は「ヒ乙る」、「廻」の終止形は「む」と推定できる

上記の分類により、上代語文献に用例がない六活用形を推定できる。
乙群「干」の連体形は、「ふる」ではなく、「ヒ乙る」だと推定できる。
「廻」の終止形は、「ミ乙る」ではなく、「む」だと推定できる。
「簸」の終止形は「ふ」だと推定できる。


§7 上代語の上甲段活用・上乙段活用は平安語ではすべて上一段活用に変化する

【1】上二段活用には一音節動詞はない

川端善明は『活用の研究Ⅱ』139頁で、「一音節動詞(連用形において)は、上一段に属する十語程度の他に、上二段に、ウ(居)・フ(干)・フ(嚔)・フ(簸)・ム(廻)の五語があり」という。
川端は“上二段活用には一音節動詞がある”というが、川端が上二段だとした「居」「干」「嚔」「簸」「廻」は上二段活用ではなく、上乙段活用である。よって、次のことがいえる。
上二段活用動詞には、連用形で一音節になるものはない。

【2】上代語での上乙段動詞は平安語で上一段に変化する

上代語での上乙段活用「居」「干」などは平安語では上一段活用に変化する。
橋本進吉は「ハ行上一段といふ活用形式は、ハ行上二段が変じてはじめて出來たもの」だというが、橋本が“上代語で「ハ行上二段」する”と考えた動詞「干」は上二段活用ではなく、上乙段活用である。よって、橋本の“上代語での上二段動詞の中には平安語で上一段に変化するものがある”という見解に従うことはできない。
私は次のように考える。
上代語の上甲段活用・上乙段活用は平安語ではすべて上一段活用に変化する。
上代語の上二段動詞は平安語においてもすべて上二段活用する。


§8 上乙段活用動詞「干」「廻」の終止形・連体形の遷移過程

【1】「干」「廻」の動詞語素と活用形式付加語素

「居」「干」「廻」は三者とも上乙段活用である。その中の「居」の動詞語素は、第7章で述べたように、WYである。このことから類推して、上乙段活用の動詞語素にはWYが含まれると考える。
上乙段「干」の動詞語素はPWYだと推定する。
上乙段「廻」の動詞語素はMWYだと推定する。
上乙段「干」「廻」の活用形式付加語素は、「居」と同一で、YRYだと推定する。

【2】上乙段活用「干」「廻」の終止形・連体形・語胴形YYぬ用法の遷移過程

《終止》 干=PWY+YRY+W→PWYYRYW
WYYRYWでは、RはYに双挟され、そのYRYを含むYYRYはWに双挟される。この場合、上代語ではYはRを双挟潜化する。
→PWYYrYW=PWYYYW
WはYYYを双挟潜化する。
→PWyyyW=PWW→PwW=PW=ふ
《連体》 廻る=MWY+YRY+AU→MWYYRYAU
WYYR直後の母類音素群には複数の完母音素が含まれる。この場合、WYYとYAUは呼応潜顕する。後者では末尾にあるUは顕存し、YAは潜化する。これに呼応して、前者では後方にあるYは潜化し、他は顕存する。Rは、その前後のYが潜化したので、双挟潜化されずに顕存する。
→MWYy ―RyaU=MWY ―RU
WYは融合する。M{WY}は「ミ乙」になる。
→M{WY}る=ミ乙る
《語胴》 YYぬ用法。 潮干なば〈非奈婆〉 またモ吾れ来む[万15 ―3710]
「干なば」は、「干」の動詞語素PWYに、YRYと、完了助動詞「ぬ」の未然形「YYな」と「ば」が続いたもの。
干なば=PWY+YRY+YYな+ば→PWYYRYYYなば
WYYR直後の母類音素群には複数の完母音素もYO¥もWWもない。この場合、YはRを双挟潜化する。
→PWYYrYYYなば=PWYYYYYなば→P{WY}YYYYなば
→P{WY}yyyyなば=P{WY}なば=ヒ乙なば