§1 「家」第二音素節が「へ甲」「ひ甲」「は」「∧乙」に変化する理由
【1】「家」第二音素節は「へ甲」「ひ甲」「は」「∧乙」に変化する
上代語では「家」第二音素節は四通りに変化する。近畿語では常に「へ甲」になる。東方語では「へ甲」にもなるが、「ひ甲」「は」「∧乙」にもなる。
[近畿] いへ甲〈伊弊〉モ知らずモ[皇極3年 紀歌111]
[東方1] いひ甲〈已比〉にして 子持ち痩すらむ[万20 ―4343防人歌]
[東方2] いは〈伊波〉ノ妹ロ 吾を偲ふらし[万20 ―4427昔年防人歌]
[東方3] い∧乙〈伊倍〉風は 日に日に吹ケト 吾妹子が い∧乙〈伊倍〉言持ちて 来る人モ無し[万20 ―4353防人歌]
【2】「家」第二音素節が「へ甲」「は」「ひ甲」「∧乙」に変化する理由
「家」第二音素節母音部の本質音はYAYだと推定する。
[近畿] YAYは三音素とも顕存して融合する。{YAY}は「え甲・え丙」を形成する。P{YAY}は「へ甲」になる。
家=いPYAY→いP{YAY}=いへ甲
[東方1] 母音部YAYで、YがAを双挟潜化する。
家=いPYAY→いPYaY=いPYY→いPyY=いPY=いひ甲
[東方2] 母音部YAYで、完母音素Aのみが顕存し、兼音素Yは二つとも潜化する。
家=いPYAY→いPyAy=いPA=いは
[東方3] YAYは融合する。{YAY}の末尾のYは東方語では潜化することがある。
{YAy}は「エ乙・え丙」を形成する。
家=いPYAY→いP{YAY}→いP{YAy}=い∧乙
【3】「家」が「や」になる理由
[上代] 「家」は「や」になることもよくある。
百千足る 家庭〈夜迩波〉モ見ゆ[応神記歌41]
「家」の第一音素節「い」はYだと推定する。
家=YPYAY
YPYで、YはPを双挟潜化する。
→YpYAY=YYAY
YYは父音部になり、AYは母音部になる。父音部YYでは、前のYは顕存し、後のYは潜化する。母音部AYでは、完母音素Aは顕存し、兼音素Yは潜化する。
→YyAy=YA=や
§2 四段動詞に助動詞「り」が続く場合の遷移過程
【1】四段動詞に完了存続助動詞「り」が続く場合、動詞語尾は「え甲・え丙」段・「あ」段・「エ乙」段になる
四段動詞に続助動詞「り」が続く場合、「り」直前の音素節は、近畿語では、「咲け甲り〈佐家理〉」[万17 ―3976]や「降れる〈敷礼流〉」[万17 ―3925]のように、「え甲・え丙」段になるが、東方語では「あ」段・「エ乙」段にもなる。
[東方1] 筑紫∧に 舳向かる〈牟加流〉船ノ[万20 ―4359防人歌]
雪かモ降らる〈布良留〉[万14 ―3351東歌]
[東方2] 汝が佩ケ乙る〈波気流〉 大刀になりてモ[万20 ―4347防人歌]
【2】大野晋の“助動詞「り」は動詞連用形に「有り」が接続したもの”説
「動詞+助動詞り」の語素構成について、大野晋は「日本語の動詞の活用形の起源について」『国語と国文学』30 ―6の49~50頁で、「動詞の連用形に「あり」が接続したものである」という。私は基本的には大野のこの説に賛同するが、私見は大野説と異なる点もある。「り」直前の母類音素群の配列とその遷移の仕方などについてである。
大野は「書きあり」が「書けり」になる遷移過程を次の式で説明する(大野の用いる記号>は私の用いる→と同じ意味である)。
kaki+ari>kakeri
また、「り」直前の母類音素群の遷移過程を次の式で説明する。
i+a>e(エ列甲類)
“助動詞「り」直前の母音部たる「え甲」は動詞連用形末尾のiに「有り」初頭のaが下接・縮約したもの”だと大野はいうのである。
大野の見解は近畿語「咲け甲り」などの用例を説明することはできる。だが、上代語は近畿語だけではない。東方語もある。東方語には「佩ケ乙る」の用例もあり、ここでは「り」直前の音素節は「エ乙」段である。大野のいう「i+a」説では「エ乙」段が形成される理由を説明できない。
【3】ラ変「有り」の「あ」はAY
(1)ラ変「有り」の「あ」はAY
大野は「有り」終止形の音素配列をariだとする。
これに対し、私は「有り」の「あ」はAYだと考える。
(2)「有り」が「あり」になる遷移過程。
「有り=AYり」のAYでは、完母音素Aは顕存し、兼音素Yは潜化する(上代語母類音素潜顕遷移)。
有り=AYり→Ayり=Aり=あり
【4】四段動詞に助動詞「り」が続く場合の遷移過程
(1)「四段動詞+り」では「り」直前の母音部はYAY。
四段動詞に助動詞「り」が続く場合、動詞語尾は、近畿語で「え甲」段になる音素節が東方語で「あ」段・「エ乙」段に変化する。この変化は「家」第二音素節でも起きる変化である。そこで「四段動詞+助動詞り」の場合、「り」直前の母音部は、「家」第二音素節の母音部と同一で、YAYだと考える。
(2)「り」直前の母音部YAYは動詞の活用語足Yに「有り」の「あ=AY」が続いたもの。
四段動詞に助動詞「り」が続く場合、「り」直前の母音部はYAYだが、その初頭のYは、動詞の活用語足として用いられるYと同じである。
そして、YAYのAYは「有り」の「あ」たるAYと同一である。
そこで四段動詞に助動詞「り」が続く場合の構成は、四段動詞語素に、活用語足Yと、「有り=AYり」が続いたものだと考える。
(3)四段動詞に助動詞「り」が続く場合の遷移過程。
[近畿] え甲エ乙識別行では「え甲段+り」になり、え甲エ乙不識別行では「え丙段+り」になる。
「咲け甲り」は、動詞語素「咲K」に、活用語足Yと、ラ変動詞「有り=AYり」が下接・縮約したものだと考える。
咲けり=咲き+有り=咲K+Y+AYり→さKYAYり
YAYは融合する。{YAY}は、え甲エ乙識別行では、「え甲」になる。
→さK{YAY}り=さけ甲り
降れり=降り+有り=降R+Y+AYり→ふR{YAY}り
{YAY}はえ甲エ乙不識別行では「え丙」を形成する。
=ふれり
[東方1] 向かる=向K+Y+AYる→むKYAYる
母音部YAYで、完母音素Aのみが顕存し、その前後のYが潜化する。
→むKyAyる=むKAる=むかる
[東方2] 佩ケる=佩K+Y+AYる→はKYAYる
YAYは融合する。東方語では、{YAY}の末尾のYは潜化することがある。{YAy}は「エ乙・え丙」を形成する。
→はK{YAY}る→はK{YAy}る=はケ乙る