【1】「たまふ」は「たぶ」になることがある
「賜ふ」「賜ひ」は多くの場合「たまふ」「たまひ」と読まれる。
鎮メたまふ〈多麻布〉ト い取らして 斎ひたまひし〈多麻比斯〉
[万5 ―813]
一方、「賜ふ」「賜ひ」は、「まふ」「まひ」の部分が縮約して、「たぶ」「たび」になることもある。
勤メたぶ〈多扶〉∧”し[万2 ―128]
昼は田たび〈多婢〉て[万20 ―4455]
「賜ふ」の「まふ」が「ぶ」になるのはどうしてか。
【2】「あ」を形成する音素は二つある
上代語では、「け」「へ」「め」「げ」「べ」には甲類・乙類の識別がある。その「え甲」「エ乙」および他の行の「え丙」について私は次のように考える。
単独で「え甲」「エ乙」「え丙」を表す音素はない。「え甲」「エ乙」「え丙」は複数の母類音素が融合したものである。
単独で「え甲」「エ乙」「え丙」を表す音素はないが、「あ」を表す音素は二つある。一つは、完母音素Aだが、A以外にも「あ」を表す音素がある。
「あ」を表す二つの音素や、Oなどの音素は、Yなどと融合することにより、「え甲」「エ乙」「え丙」を形成する。
【3】「たまふ」の「ま」の母音部は弱母音素∀
(1)「たまふ」の「ま」の母音部が潜化すると「たぶ」になる。
「賜ふ」が「たぶ」になるのは次のような経緯によると考える。「賜ふ」の「ま」の母音部たる音素が潜化する。このため、「ま」の父音部たるMは「ふ」の父音部たるPと接する。MPは融合して、バ行を形成する。
(2)「たまふ」の「ま」の母音部を∀と定める。
「あ」を形成できる音素のうち、潜化しやすい方の「あ」は完母音素Aではないと考える。
「あ」を形成できる二つの音素のうち、潜化しやすい方の音素を∀と定める。∀が潜化した場合はαと記す。
【4】「たまふ」が「たぶ」になる遷移過程
「たまふ」が「たぶ」になる過程を終止形の場合で説明する。
「賜ふ」の動詞語素は「たM∀P」だと推定する。
[上代1] 「賜ふ」が「たまふ」になる。
賜ふ=たM∀P+W→たM∀PW
∀は顕存する。音素節M∀は「ま」になる。
=たまふ
[上代2] 「賜ふ」が「たぶ」になる。
賜ぶ=たM∀P+W→たM∀PW
∀の直前にあるMと、∀の直後にあるPは、融合すれば、濁音バ行を形成できる。この場合、M∀Pの∀は潜化することがある。
→たMαPW=たMPW
MPは融合する。{MP}はBになり、濁音バ行を形成する。
→た{MP}W→たBW=たぶ
【5】弱母音素∀
∀は「たまふ」の「ま」の母音部となって、「あ」を表すから母音素である。
∀は、完母音素Aとは異なり、潜化しやすいので、完母音素には含まれない。
∀を弱母音素に類別する。弱母音素に属する音素は∀だけである。
完母音素A・O・Uと弱母音素∀を合わせた集合は母音素である。
母音素と兼音素を合わせた集合は母類音素である。