§1 否定助動詞「ず・にす」の終止形は「N¥+SU+W」
【1】否定助動詞の終止形は「にす」にも「ず」にもなる
家モ知らず〈始羅孺〉モ[皇極紀3年 紀歌111]
行方知らず〈不知〉モ 一云、(中略)帰辺知らにす〈不知尓為〉
[万2 ―167]
万167では、本文の「知らず」に相当する部分が「一云」では「知らにす」と記される。否定助動詞終止形「ず」は「にす」にもなるのである。
【2】否定助動詞終止形「ず・にす」は「N¥+SU+W」
否定助動詞「ず」の語素構成は「にす」の語素構成と同一である。以下、「にす」と「ず」をまとめて「ず・にす」とも表記する。
「ず・にす」の助動詞語素はN¥だと推定する。
「ず・にす」の終止形などでは、N¥の後に、活用段を「う」段にするための語素SUが続く。
このSUのように、活用段を付加する語素を段付加語素と呼ぶ。
否定助動詞の活用語足は、動詞と同じで、終止形ならWである。
【3】「知らにす」「知らず」になる遷移過程
[上代1] 知らにす=知R+∀+N¥+SU+W→しR∀N¥SUW
N¥とSUWの間で音素節が分離する。SUWの母音部UWでは、完母音素Uは顕存し、兼音素Wは潜化する(上代語母類音素潜顕遷移)。
→しらN¥ ―SUw=しらN¥ ―SU=しらにす
[上代2] 知らず=知R+∀+N¥+SU+W→しR∀N¥SUW
¥は潜化する。NSは融合する。{NS}はZになる。
→しらNjSUw→しら{NS}U=しらZU=しらず
§2 大野晋のani ―su説と私の「∀+N¥+SU+W」説との相違点
大野晋は「万葉時代の音韻」『万葉集大成第六巻』324頁で、「反語の副詞」たるaniに着目して、否定の「ず」はani ―suが縮約したものだとする。「咲かず」なら、その語素構成は「sak ―ani ―su」だと説明する。
四段動詞だけについて見るなら、私見は大野説に近い。だが、上甲段動詞「見」の場合で比較すれば私見と大野説との相違が明瞭になる。
大野は同書318頁で、「上一(見)」の連用形の「推定の古形」をmi ―iだとする。そして「日本語の動詞の活用形の起源について」52頁で、「連用形はすべて語幹にiが接続して成立した」と説明する。だから、大野は「見」の「語幹」をmiだとするのである。
大野は「咲かず」の場合はsak ―ani ―suだとする。この大野の見解によるなら、「見」に「ず」が続く場合はmi ―ani ―suになる。これが縮約すると「miaず」になる。大野は「i+a>e(エ列甲類)」だとするから、miaはmeすなわち「め甲」になる。「miaず」は「めず」になる。だが、文献事実では「見ず」の「見」は常に「み甲」であって、「め甲」ではない。大野のani説は「見ず」になる経緯を説明できない。
これに対し、私の「∀+N¥+SU+W」説は「見ず」になる経緯説明できる。
見ず=MY+YRY+∀+N¥+SU+W→MYYRY∀N¥SUW
YYRY∀ではYはRを双挟潜化する。
→MYYrY∀NjSUw→MYYY∀{NS}U
母音部YYY∀では、三連続するYはひとまず顕存し、弱母音素∀は潜化する。
→MYYYαZU→MyyYず=MYず=み甲ず
§3 否定助動詞連体形「ぬ・の」は「N¥+AU」
近畿語では否定助動詞「ず」の連体形は「ぬ」だが、東方語では「の甲」になることもある。
[近畿] 常知らぬ〈斯良奴〉 国ノ奥処を[万5 ―886]
[東方] 泣きし心を 忘らイエの甲かモ〈和須良延努可毛〉
[万20 ―4356防人歌。*努は広瀬本などによる]
否定助動詞「ず」の連体形「ぬ・の」の語素構成は「N¥+AU」だと推定する。
[近畿] 知らぬ=知R+∀+N¥+AU→しR∀ ―N¥AU
母音部¥AUでは、末尾の完母音素Uは顕存し、¥Aは潜化する。
→しらNjaU=しらNU=しらぬ
[東方] 忘らイエの→忘らイエ+N¥+AU→忘らイエN¥AU
母音部¥AUではAUが融合する。{AU}は「お甲」を形成する。
忘らイエN¥{AU}→忘らイエNj{AU}=忘らイエN{AU}=わすらイエの甲
§4 平安語・現代語での否定助動詞の終止形・連体形
【1】平安語・現代語で否定助動詞終止形が「ぬ」になる理由
否定助動詞終止形は平安語(後期)・現代語では「ぬ」になることがある。
知らぬと言ふたら金輪際。奈落の底から天迄知らぬ
[菅原伝授手習鑑]
第三者の地位に立たねばならぬ[草枕一]
終止形が「ぬ」になるのは段付加語素SUが節略されたからである。
知らぬ=知R+∀+N¥+W→しR∀N¥W
母音部¥Wでは前方にある¥は潜化し、後方にあるWは顕存する。
→しR∀NjW=しR∀NW=しらぬ
【2】平安語(後期)・現代語で否定助動詞終止形が「ん」になる理由
平安語(後期)・現代語で否定助動詞終止形が「ん」になる。
[平安] おれがとこへばかり盃をよこしてくれちゃアうらみだ。もふのめんのめん[中洲の花美『洒落本大成15』58頁]
[現代] 呼吸ではいかん、魚の事だから潮を引き取たと云はなければならん[吾輩は猫である七]
『広辞苑』の「いかん」の項には「イカヌの転」とある。だが、同じ現代語の終止形末尾の「ぬ」でも、「死ぬ」の場合には「しん」とはいわない。なぜ否定助動詞の場合には「ぬ」が「ん」に変化するのか。
第6章で述べたように、ナ変「死ぬ」の現代語終止形は、「死NWrWW」を経て、「死NwwW=しぬ」になる。「死ぬ」の語尾母音部にはWのみがあって、他の母類音素はない。このため、「死ぬ」の「ぬ」は「ん」にはならない。
これに対し、終止形「いかん」は、終止形「いかぬ」が転じたもので、その語素構成は、「行K」に、∀とN¥とWが続いたものである(段付加語素SUは節略される)。
行かん=行K+∀+N¥+W→いK∀N¥W
否定助動詞終止形「ぬ・ん」の本質音はN¥Wであり、母音部¥Wには、Wの他に¥が含まれる。平安語(後期)以後は、母音部が¥Wの場合には、¥Wは潜化することがあると考える。
→いか ―Njw=いか ―N
平安語・現代語では、Nは単独で音素節を形成し、「ん」になる。
→いかん
【3】平安語(後期)・現代語で否定助動詞連体形が「ん」になる理由
否定助動詞「ず」の連体形は、平安語(後期)・現代語では「ん」になることがある。
何を云てもしらん顔の半兵衛さんだ[浮世風呂二編巻之下]
負けん気の化物が[吾輩は猫である七]
「しらん顔」は「知らぬ顔」が転じたもので、その語素構成は「知R」に、∀とN¥とAUと「顔」が続いたもの(段付加語素SUは節略される)。
知らん顔=知R+∀+N¥+AU+顔→しR∀N¥AU顔
N¥AUの母音部¥AUは¥を含む。この場合、平安語(後期)・現代語では、¥AU全体が潜化することがある。
→しらNjau顔=しら ―N顔=しらん顔