【1】駿河の言語「思ふ」・「面」・「持つ」・「薦」・「言」・助詞「メ」と遠江の言語「遠」などの遷移過程
近畿語で「オ乙」段の音素節が、駿河国の東方語で「エ乙」段になることがある。また、近畿語で「オ乙」段の音素節が、駿河国の東方語で「え丙」段になることがある。また、近畿語で「お丙」段の音素節が、遠江国の東方語では「エ乙」段になることがある。
駿河国・遠江国での東方語を駿遠語と略記する。
駿遠語の用例を挙げ、その直後の〔 〕内に近畿語での発音を記す。
(1)近畿語で「オ乙」段の音素節が駿遠語で「エ乙」段になる用例。
[駿遠] 旅ト おメ乙〈於米〉〔思〕ほト[万20 ―4343防人歌、駿河]
[駿遠] 坐せ母戸主 おメ乙〈於米〉〔面〕変はりせず
[万20 ―4342防人歌、駿河]
[駿遠] 子メ乙ち〈米知〉〔持ち〕 痩すらむ 吾が女愛しモ
[万20 ―4343防人歌、駿河]
[駿遠] 畳ケ乙メ乙〈気米〉〔薦〕 牟良自が磯ノ
[万20 ―4338防人歌、駿河]
[駿遠] 幸くあれて 言ひしケ乙ト〈気等〉〔言〕ばぜ 忘れかねつる
[万20 ―4346防人歌、駿河]
[駿遠] 駿河ノ嶺らは 恋ふしくメ乙〈米〉〔モ〕あるか
[万20 ―4345防人歌、駿河]
(2)近畿語で「オ乙」段の音素節が駿遠語では「え丙」段になる用例。
[駿遠] 幸くあれて〈天〉〔ト〕 言ひしケトばぜ〈是〉〔ゾ〕 忘れかねつる
[万20 ―4346防人歌、駿河]
(3)近畿語の「お丙」段音素節が、駿遠語で「エ乙」段になる用例。
[駿遠] ト∧乙〈等倍〉〔遠〕たほみ[万20 ―4324防人歌、遠江]
【2】近畿語の「オ乙・お丙」段音素節が駿遠語で「エ乙・え丙」段になる理由
近畿語で「オ乙・お丙」段になり、駿河の言語で「エ乙・え丙」段になる母音部の本質音は¥O¥だと推定する。
(1)近畿語の「オ乙」段音素節が駿遠語で「エ乙」段になる遷移過程。
[近畿] 思ふ=おM¥O¥ふ
近畿語では、母音部¥O¥でOは顕存し、¥は潜化する。
→おMjOjふ=おMOふ=おモ乙ふ
[駿遠] 駿遠語では¥O¥は融合する。{¥O¥}の末尾の¥は潜化する。
{¥Oj}は「エ乙・え丙」を形成する。
思ふ=おM¥O¥ふ→おM{¥O¥}ふ→おM{¥Oj}ふ=おメ乙ふ
(2)近畿語の「オ乙」段音素節が駿遠語で「え丙」段になる遷移過程。
引用を表す助詞「ト」の本質音はT¥O¥だと推定する。近畿語「あれト〈安礼等〉」[万17 ―3927]と東方語「あれて」の遷移過程を述べる。
[近畿] 有れト=有れ+T¥O¥→あれTjOj=あれTO=あれト乙
[駿遠] 有れて→あれT¥O¥→あれT{¥O¥}→あれT{¥Oj}=あれて
助詞「ゾ=Z¥O¥」が近畿語で「ゾ乙」、東方語で「ぜ」になるのも同様の遷移である。
(3)近畿語の「お丙」段が駿遠語で「エ乙」段になる遷移過程。
「遠」の本質音は「トP¥O¥」だと推定する。近畿語「遠人〈等保臂等〉」[仁徳紀歌62]の「トほ」と東方語「ト∧」の遷移過程を述べる。
[近畿] 遠=トP¥O¥→トPjOj=トPO=トほ丙
[駿遠] 遠=トP¥O¥→トP{¥O¥}→トP{¥Oj}=ト∧乙