§1 意志助動詞終止形・連体形が近畿語で「む」、東方語で「も」になる理由
【1】意志助動詞終止形・連体形が近畿語で「む」、東方語で「も」になる用例
(1)意志助動詞終止形は近畿語では「む」、東方語では「も」になる。
『万葉集』では「も甲」「モ乙」は識別されないが、東方語の意志助動詞終止形・連体形の「も」は「も甲」だと推定する。
[近畿] いや先立てる 姉をし婚かむ〈麻加牟〉[神武記歌16]
妹があたり見む〈見武〉[万1 ―83]
[東方] たなびく雲を 見つつ偲はも〈思努波毛〉[万14 ―3516東歌]
(2)意志助動詞連体形は近畿語では「む」、東方語では「も」になる。
[近畿] ほトトぎす 鳴かむ〈奈可牟〉五月は 寂しけむかモ
[万17 ―3996]
[東方] 吾が面てノ忘れも〈和須例母〉時は[万20 ―4367防人歌]
【2】意志助動詞「む」の助動詞語素はMΩ
意志助動詞「む」の助動詞語素はMΩだと推定する。
意志助動詞「む」の活用語足は動詞と同じで、終止形はW、連体形はAU、已然形はYO¥だと推定する。
【3】終止形が近畿語で「行かむ」「見む」、東方語で「偲はも」になる遷移過程
[近畿] 「行か+終止形む」の語素構成は、「行K」に、活用語足∀と、助動詞語素MΩと、終止形の活用語足Wが続いたもの。
行かむ=行K+∀+MΩ+W→ゆK∀MΩW
近畿語では、母音部ΩWで、Ωは潜化し、Wは顕存する。
→ゆK∀MωW=ゆK∀MW=ゆかむ
「見+終止形む」は、MYに、YRYと、∀と、MΩと、Wが続いたもの。
見む=MY+YRY+∀+MΩ+W→MYYRY∀MΩW
→MYYrY∀MωW=MYYY∀MW→MYYYαMW
→MyyYMW=MYMW=み甲む
[東方] 東方語ではΩは顕存する力が強いことがあると考える。それで東方語の「む」終止形母音部ΩWでは、Ωは潜化せず、Wと融合することがある。{ΩW}は「お甲」を形成する。
偲はも=偲P+∀+MΩ+W→しのP∀M{ΩW}=しのはも甲
【4】連体形が近畿語「鳴かむ」、東方語「忘れも」になる遷移過程
[近畿] 「鳴か+連体形む」の語素構成は、「鳴K」に、∀と、助動詞語素MΩと、連体形の活用語足AUが続いたもの。
鳴かむ=鳴K+∀+MΩ+AU→なK∀MΩAU
母音部ΩAUでは、末尾の完母音素Uは顕存し、他は潜化する。
→なK∀MωaU=なK∀MU=なかむ
[東方] 「忘れも」は、未然形「忘れ」にMΩとAUが続いたもの。
忘れも→忘れ+MΩ+AU→わすれMΩAU
東方語ではAUは融合しやすい。それで母音部ΩAUではAUが融合することがある。融合音{AU}は顕存し、Ωは潜化する。
→わすれMΩ{AU}→わすれMω{AU}=わすれM{AU}=わすれも甲
【5】「む」の已然形が近畿語で「メ乙」、東方語で「め甲」になる理由
意志助動詞已然形は近畿語では「メ乙」だが、東方語では「め甲」になることがある。
[近畿] 君トし見てば 吾れ恋ヒメやモ〈古非米夜母〉[万17 ―3970]
[東方] 忘ら来ばこソ 汝を懸けなはめ甲〈可家奈波売〉
[万14 ―3394東歌]
[近畿] 恋ヒメや=恋PW+YRY+∀+MΩ+YO¥+や
→こPWYRY∀MΩYO¥や→こPWYrY∀MΩ{YO¥}や
近畿語では{YO¥}の¥は潜化する。
→こP{WY}Y∀Mω{YOj}や→こP{WY}yαM{YOj}や
=こヒ乙メ乙や
[東方] 懸けなはめ=懸けなは+MΩ+YO¥→かけなはMΩ{YO¥}
東方語では{YO¥}の¥が顕存することがある。{YO¥}は「え甲・え丙」を形成する。
→かけなはMω{YO¥}=かけなはM{YO¥}=かけなはめ甲
【6】大野晋のamu説と私の「∀+MΩ+W」説との相違点
大野晋は「万葉時代の音韻」『万葉集大成第六巻』325頁で、「amu といふ形全体が推量を表はす助動詞」と述べ、「咲かむ」なら、語素構成は「sak ―amu」だという。
大野説と私見との大きな相違点は次の二つである。
第一。大野説では、「見」に「む」が続いた場合に「みむ」になることを説明できない。大野は「見」の「語幹」をmiだとするから、「見む」は「mi+amu→miamu」になる。大野はiaは「e=え甲」になるとするから、miamuは「memu=め甲む」になる。これは事実に合致しない。
第二。私は助動詞「む」の助動詞語素をMΩだと考えるので、助動詞「む」の終止形が東方語で「も」になる理由を説明できる。これに対し、大野は「む」をamuだとするから、東方語で「も」になる理由を説明できない。
§2 サ変・カ変に助動詞「む」が続く場合の遷移過程
【1】近畿語でサ変・カ変に「む」が続く場合の遷移過程
《サ変》 立ち走り為む〈勢武〉[万5 ―896]
為む=SYOY+YWRY+∀+MΩ+W→SYOYYWRY∀MωW
YWRY∀では、YはWRを双挟潜化する。
→SYOYYwrY∀ ―MW→S{YOY}YY∀む
→S{YOY}yyαむ=S{YOY}む=せむ
《カ変》 吾が相方に来む〈許牟〉[応神記歌50]
来む=K¥O¥+YWRY+∀+MΩ+W→K¥O¥YWRY∀MωW
→K¥O¥YwrY∀む=K¥O¥YY∀む
母音部¥O¥YY∀では完母音素Oは顕存し、他は潜化する。
→KjOjyyαむ=KOむ=コ乙む
【2】東方語でサ変に「む」が続く場合の遷移過程
人言繁し 汝を何かしむ〈思武〉[万14 ―3556東歌]
為む=SYOY+YWRY+∀+MΩ+W→SYOYYwrY∀ ―MωW
=SYOYYY∀む
上代東方語の場合、SYOYでは、直後のYYが双挟潜化を促すのでYはOを双挟潜化することがある。
→SYoYYY∀む→SYYYYαむ=SyyyYむ=SYむ=しむ