§1 平安語の撥音便「あはん」の遷移過程
上代語の意志助動詞の終止形「む」・連体形「む」は平安語では撥音便「ん」になることがある。
《終止》 うつろふ秋に あはんとや見し[古今和歌集5 ―271]
《連体》 袖はかはかじ あはん日までに[古今和歌集8 ―401]
終止形「あはん」・連体形「あはん」の遷移過程は次のようである。
《終止》 逢はん=逢P+∀+MΩ+W→あP∀MΩW→あP∀ ―MΩW
平安語では、Ωを含む母音部ΩWは潜化することがある。Mは単独で「ん」になる。
→あは ―Mωw=あは ―M→あはん
《連体》 逢はん=逢P+∀+MΩ+AU→あP∀MΩAU
平安語では、Ωを含む母音部ΩAUは潜化することがある。
→あは ―Mωau=あは ―M=あはん
§2 上代語「まさず」と現代語「ません」の遷移過程
助動詞「ます」に否定助動詞終止形が続く場合、上代語では「まさず」になり、現代語では「ません」になる。両者の遷移過程を述べる。
【1】上代語「まさず」の遷移過程
人ノ植うる 田は植ゑまさず〈麻佐受〉 今更に 国別れして 吾れは如何にせむ[万15 ―3746。「ず」は連用形]
動詞「います」の語素と助動詞「ます」の詞語素は同一で、YM∀S¥だと推定する。
上代語動詞終止形「います」〈伊摩周〉」[万5 ―800]の遷移過程は次のとおりである。
《終止》 坐す=YM∀S¥+W→Y ―M∀S¥W=いまS¥W
母音部¥Wでは、¥は潜化し、Wは顕存する。
→いまSjW=いまSW=います
上代語「まさず」(「ず」は終止形)の遷移過程は次のようである。
《未然》 ずむ用法。 植ゑ坐さず=植ゑ+YM∀S¥+∀+N¥+SU+W
→うゑyM∀ ―S¥∀ ―NjSUw→うゑま ―S¥∀ ―{NS}U
上代語では、母音部¥∀で、¥は潜化し、∀は顕存する。
→うゑまSj∀ZU=うゑままS∀ず=うゑままさず
【2】現代語「ません」の遷移過程
《未然》 ずむ用法。 現代語「ません」では段付加語素SUは用いられない。
植えません=植え+YM∀S¥+∀+N¥+W→うえyM∀ ―S¥∀ ―N¥W
¥Wは潜化する。Nは単独で「ん」になる。
→うえま ―S¥∀ ―Njw=うえま ―S¥∀ ―N=うえまS¥∀ん
S¥∀ではSが父音部になり、¥∀が母音部になる。
¥∀は融合する。{¥∀}は「エ」を形成する。
→うえまS{¥∀}ん→うえません
§3 平安語ウ音便「ませう」・現代語拗音便「ましょう」の遷移過程
【1】平安語「ませう」の遷移過程
平安語(後期)では、助動詞「ます」に、意志助動詞終止形「む」が続く場合、「ます」の語尾は「せ」になり、「む」は「う」に変化することがある。
まづ起こしてみませう[狂言記2 ―9茶壺]
見ませう=MY+YRY+YM∀S¥+∀+MΩ+W
→MYYrYY ―M∀ ―S¥∀MΩW→MyyyYまS¥∀MΩW
→みまS¥∀ ―MΩW
兼音素Ωは父音素性を発揮する。MΩWでは、MΩが父音部になり、Wが母音部になる。MΩでは、Mが潜化し、Ωが顕存する。
→みまS¥∀ ―mΩW=みまS¥∀ ―ΩW
父音部Ωは、母音部がAの場合のみ顕存する。ΩWではΩは潜化するが、母音部Wが顕存するので「う」になる。
→みまS¥∀ ―ωW=みまS¥∀う
S¥∀の母音部¥∀は融合する。{¥∀}は「エ」を形成する。
→みまS{¥∀}う→みませう
【2】現代語「ましょう」の遷移過程
現代語「ましょう」の語素構成は平安語「みませう」と同一である。
「みまS¥∀ ―ΩW」になるまでは平安語と同じ遷移である。その後、S¥∀とΩWは、あらためて熟合する。
見ましょう→みまS¥∀ ―ΩW→みまS¥∀ΩW
現代語では、S¥は融合して拗音「しゅ・しょ」の父音部になる。これをShと表記する。
→みま{S¥}∀ΩW→みまSh∀ΩW
∀ΩWは融合して長音「おー」になる。Sh{∀ΩW}は「しょー」になる。「しょー」現代仮名遣では「しょう」と表記される。
→みまSh{∀ΩW}→みましょー=みましょう