§1 「焼ケむ柴垣」の「焼ケ」は可得動詞
【1】四段動詞が下二段活用に転じて可得動詞になることがある
(1)「焼く」は下二段「焼ケむ」の用例では自発・受動の意味を持つ。
橋本進吉は『橋本進吉博士著作集第七冊国文法体系論』332頁で、「四段が他動で、下二段が自動(自然)又は受身のやうな意味になつてゐるのもある」と指摘し、その用例の一つとして「焼ケむ柴垣」を挙げる。
大王ノ 御子ノ柴垣 八節標まり 標まり廻し 切れむ〈岐礼牟〉柴垣焼ケむ〈夜気牟〉柴垣[清寧記歌109]
橋本のいうとおり、古事記歌109の「焼ケむ」、そして「切れむ」は自発・受動の意味を表す。古事記歌109は、志毘臣が袁祁命(顕宗天皇)に対して詠んだものである。「柴垣」は、須佐之男命の歌詞「妻籠メに八重垣作る」を踏まえた語で、“后妃を住まわせる宮”のことである。この歌の「焼ケ」「切れ」は、“自分(志毘)が何もしなくても、切ることになる、焼くことになる”という自発の意味、あるいは、“袁祁命によって切られる、焼かれる”という受動の意味を表す。
(2)可得動詞未然形「焼ケ」。
自発・受動・可能の意味を持たない動詞が、下二段活用して自発・受動・可能の意味を持つようになる場合、元の動詞を基幹動詞と呼び、自発・受動・可能の意味を持つ下二段動詞を可得動詞と呼ぶ。
四段動詞「焼く」には自発・受動・可能の意味はないが、「焼ケむ」の「焼ケ」には自発・受動の意味を持つから、下二段「焼ケ」は可得動詞である。
(3)可能の意味を持つ可得動詞未然形「佩ケ」。
一つ松 人にありせば 大刀佩ケましを〈波気麻斯袁〉
[景行記歌29]
「佩ケましを」の「佩ケ」は可得動詞「佩く」の未然形であり、可能の意味を持つ。“人だったなら、大刀を佩くことができたのに”の意である。
【2】可得動詞「焼ケ」の語素構成と遷移過程
可得動詞たる下二段「焼ケ」の動詞語素は、四段「焼く」と同一で、「焼K」である。
「焼ケむ」の語素構成は、「焼K」に、¥Ω¥と、WRWと、活用語足∀と、「MΩ+AU」が続いたもの。
焼ケむ=焼K+¥Ω¥+WRW+∀+MΩ+AU→やK¥Ω¥WrW∀む
→やK{¥Ωj}wwαむ=やK{¥Ωj}む=やケ乙む
§2 可得動詞「見ゆ」
(1)「見ゆ」は可得動詞。
《未然》 ずむ用法。 山ノ峡 其処トモ 見イエず〈見延受〉[万17 ―3924]
《連用》 影さ∧見イエて〈美曳弖〉[万20 ―4322防人歌]
《終止》 味優ノ 島モ見ゆ〈美由〉 放ケつ島見ゆ〈美由〉[仁徳記歌53]
《連体》 磯影ノ 見ゆる〈美由流〉池水[万20 ―4513]
これらの「見イエ」「見ゆ」「見ゆる」は可能の意味を持つ。ヤ行で下二段活用する「見ゆ」は可得動詞である。
(2)可得動詞「見ゆ」の遷移過程。
可得動詞「見ゆ」の語素構成は、「MY+YRY」に、¥Ω¥と、WRWと、活用語足が続いたもの。
《終止》 見ゆ=MY+YRY+¥Ω¥+WRW+W
→MYYRY¥Ω¥WrWW=MYYRY¥Ω¥WWW
YYRY¥Ω¥Wでは、YはRを双挟潜化する。
→YYrY¥Ω¥WWW→MYY ―Y¥Ω¥WWW→MyY ―YjωjWWW
=MY ―YWWW→MY ―YwwW=MY ―YW=み甲ゆ
《連体》 見ゆる=MY+YRY+¥Ω¥+WRW+AU
→MYYRY¥Ω¥WRWAU→MYYrY¥Ω¥WRWAU
=MYYY¥Ω¥WRWAU→MYY ―Y¥Ω¥WRWAU
¥Ω¥WとWAUは呼応潜顕する。後者ではUは顕存し、WAは潜化する。これに呼応して、前者ではWだけが顕存する。
→MyY ―YjωjW ―RwaU=MY ―YW ―RU=み甲ゆる
§3 可得動詞は動詞の活用語胴に下二段「得」が続いたもの
可得動詞「焼ケ=焼K+¥Ω¥+WRW+∀」で活用語胴(四段動詞語素)「焼K」に続く「¥Ω¥+WRW」の部分は、下二段「得」の活用語胴と同一である。また、可得動詞「見ゆ=MY+YRY+¥Ω¥+WRW+W」で「見」の活用語胴「MY+YRY」に続く「¥Ω¥+WRW」の部分は下二段「得」の活用語胴と同一である。そこで次のとおり考える。
可得動詞は、基幹動詞の活用語胴に下二段動詞「得」が続いたものである。
「得」は“得る”の意なので、可得動詞は“……することを得る”が原義で、自発・受動・可能の意味を持つ。
§4 「引ケ去なば」の他動詞「引ケ」と「引ケ鳥」「引ケ田」の可得動詞「引ケ」
【1】「引ケ去なば」の「引ケ」は“整列させて引率する”意の下二段動詞であって、可得動詞ではない
(1)四段動詞「引く」。
四段動詞が下二段に転じても可得動詞になるとは限らない。
「引く」には四段活用のものと下二段活用のものとがある。
四段の「引く」は“引きずる”などの意味を持つ。自発・受動・可能の意味はない。
赤裳裾引き〈毘伎〉[万5 ―804或有此句云]
(2)“整列させて引率する”意の下二段他動詞「引く」。
では、次に挙げる下二段「引ケ」はどのような意味か。
吾が引ケ〈比気〉去なば 泣かじトは汝は言ふトモ
[記上巻歌4。作者は大国主神]
橋本進吉は『橋本進吉博士著作集第七冊国文法体系論』332頁で「引ケ去なば」の「引ケ」を「自動(自然)又は受身」の意味を持つとする。仮にそう解釈するなら、作者大国主神は誰かに引かれて去ったことになる。だが、大国主神は一国の主だから、自分の意志で主体的に行動する。他人に引かれて去ったとは考えられない。
「引ケ去なば」の「引ケ」は、下二段活用ではあるが、受動の意味を持たない。この「引ケ」は可得動詞ではない。『古事記歌謡全解』記歌4の段で述べたように、この「引ケ」の原義は“緩んだ糸の両端を引き、直線状に張る”であり、転じて“整列させて引率する”の意になる。「吾が引ケ去なば」の意味は“私が(臣下たちを)整列させ引率して去ってしまうと”である。
“整列させて引率する”意の下二段他動詞「引く」は四段他動詞「引く」から派生した動詞であり、その活用語胴は、「引K+¥Ω¥+WRW」である。
【2】「引ケ鳥」「引ケ田」の「引ケ」は可得動詞で、“整列された”“整然と配置された”の意
① 引ケ〈比気〉鳥ノ 吾が引ケ去なば[記上巻歌4]
「引ケ鳥」は“整然と引率されて飛ぶ鳥”の意で、一列に、あるいはV字形に並んで飛ぶ“雁”のことである。「引ケ鳥」の「引ケ」は受動の意味を持つから可得動詞である。
② 引ケ〈比気〉田ノ 若栗栖原[雄略記歌92]
「引ケ田」は“縦横が整然と区画された田”の意味である。「引ケ田」の「引ケ」は受動の意味を持つから可得動詞である。
【3】「裾引く」の「引く」と「引ケ去なば」の「引ケ」と「引ケ鳥」「引ケ田」の「引ケ」は活用語胴が異なる
(1)「裾引く」の「引く」の活用語胴は「引K」。
三者のうち最も単純なものは「裾引く」の「引く」の活用語胴で、「引K」である。
(2)「引ケ去なば」の「引ケ」の活用語胴は「引K+¥Ω¥+WRW」。
次に単純なものは「引ケ去なば」の「引ケ」の活用語胴で、「引K+¥Ω¥+WRW」である。
(3)「引ケ鳥」「引ケ田」の「引ケ」の活用語胴は「引K+¥Ω¥+¥Ω¥+WRW」。
最も複雑なものは「引ケ鳥」「引ケ田」の「引ケ」である。この「引ケ」の活用語胴は、“整列させて引率する”意の下二段「引く」の主要部たる「引K+¥Ω¥」を基幹とし、その後に、自発・受動・可能の意味を添える「得」の活用語胴「¥Ω¥+WRW」が続いたもの。すなわち、「引K+¥Ω¥+¥Ω¥+WRW」である。
(4)可得動詞の連体形の活用語足はY。
動詞が後続語を修飾する場合、活用語足は通例AUが用いられる。だが、Yが用いられることもある。
立ち〈多知〉ソば[神武記歌9]
渡り〈和多理〉瀬に[応神記歌51]
竹ノ い組み〈矩美〉竹[継体紀7年 紀歌97]
これらの「立ち」「渡り」「組み」の語尾の母音部は皆Yである。可得動詞が後続語を修飾する場合も語尾の母音部はYになる。
(5)「引ケ鳥」の遷移過程。
引ケ鳥=引K+¥Ω¥+¥Ω¥+WRW+Y+鳥
→ひK¥Ω¥¥Ω¥WrWY鳥→ひK{¥Ω¥}¥Ω¥WWY鳥
→ひK{¥Ωj}jωjwwy鳥=ひK{¥Ωj}鳥=ひケ乙トり
§5 現代語の可得動詞「見える」「聞ける」の遷移過程
(1)現代語の可得動詞「見える」の遷移過程。
終止形「見える」の語素構成は上代語「見ゆ」と同一である。
見える=MY+YRY+¥Ω¥+WRW+W→MYYRY¥Ω¥WRWW
→MYYRY¥Ω¥W ―RwW→MYYrY¥Ω¥W ―RW
→MYY ―Y¥Ω¥Wる→MyY ―Y{¥Ω¥}Wる
→MY ―Y{¥Ωj}wる=み ―Y{¥Ωj}る
現代語ではY{¥Ωj}の父音部Yは潜化する。
→み ―y{¥Ωj}る=みえる
(2)現代語可得動詞「聞ける」の遷移過程。
終止形「聞ける」は、動詞語素「聞K」に、下一段「得る」が続いたもの。下一段「得る」の語素構成は上代語下二段「得」と同一である。
聞ける=聞K+得る=聞K+¥Ω¥+WRW+W→きK¥Ω¥WRWW
→きK{¥Ω¥}W ―RwW→きK{¥Ωj}w ―RW=きケる