第30章 動詞連用形体言用法・つてに用法

§1 動詞連用形体言用法

【1】動詞連用形体言用法の活用語足はY

第4章で述べたように、「籠モり水」では四段動詞の連用形「籠モり」は後続の名詞「水」を修飾するが、その活用語足はYである。このことを一般化して、動詞連用形が後続の体言を修飾する場合、その活用語足はYだと考える。
この他、動詞連用形が体言の意味になる用法の活用語足もYだと推定する。
動詞連用形の活用語足がYである用法を動詞の連用形体言用法と呼ぶ。

【2】下二段動詞の連用形体言用法「挙ゲ」の遷移過程

言挙ゲ〈安気〉せずトモ 年は栄イエむ[万18 ―4124]
挙ゲ=挙G+¥Ω¥+WRW+Y→あG¥Ω¥WrWY
→あG{¥Ω¥}WWY→あG{¥Ωj}wwy=あG{¥Ωj}=あゲ乙


§2 「吹き」に「上ゲ」が続いて「ふきあゲ」になる理由

【1】動詞連用形に動詞「上ゲ」が続いて「吹きあゲ」になる理由

第14章で述べたように、四段動詞連用形「浮き」に「あり」が続くと「浮けり」になる。ところが、四段動詞連用形「吹き」に「上ゲ」が続くと、「吹けゲ」にはならず、「吹きあゲ」になる。
大和辺に 西風吹き上ゲて〈布岐阿宜弖〉[仁徳記歌55]
「摘みあゲ〈都美安気〉」[万20 ―4408]・「取りあゲ〈等利安宜〉」[万18 ―4129]も同様である。
「浮き」に「あり」が続いた場合には「浮きあり」になることは皆無なのに、「吹き」「摘み」「取り」に「上ゲ」が続いた場合には「吹きあゲ」「摘みあゲ」「取りあゲ」になるのはどうしてか。
「浮けり」では、「浮K」に活用語足Yが続き、その後に「有り=AYり」が続くので、YAYが融合して「え甲・え丙」を形成する。
これに対し、「吹きあゲ」の場合は「吹き」の活用語足は¥¥だと推定する。
「吹きあゲ」の語素構成は、「吹K」に、活用語足¥¥と、「上ゲ=Aゲ」が続いたものだと考える。
吹き上ゲ=吹K+¥¥+Aゲ→ふK¥¥Aゲ
K¥¥Aでは、前の¥は母音素性を発揮して音素節K¥を形成する。
後の¥は父音素性を発揮して音素節¥Aを形成する。K¥と¥Aの間で音素節が分離する。このように、¥が父音素性を発揮して¥で始まる音素節を形成する遷移を¥の後方編入と呼ぶ。
→ふK¥ ―¥Aゲ
K¥は「き甲」になる。¥Aでは、¥が父音部になるが、近畿語では父音部の¥は潜化する。jAは「あ」になる。
→ふK¥ ―jAゲ=ふき甲あゲ

【2】「広り坐す」が「広ります」にならずに「広りいます」になる理由

第2章で述べたように、四段動詞に尊敬助動詞「Yます」が続くと、通例、「隠ります」のように、動詞語尾は「い」段になり、その直後にア行の「い」は現れない。これは、尊敬助動詞たる「Yます」が四段活用動詞語素「隠R」に直結するからである(語胴形Yます用法)。
これに対し、動詞たる「坐す=Yます」が四段動詞に続く場合には、四段動詞語尾の直後に「い」が現れることがある。
広りいます〈比呂理伊麻須〉[仁徳記歌57]
「広ります」でなく「広りいます」になるのは、動詞語素「広R」に、活用語足¥¥が続き、その後に「Yます」が続くからである。
広りいます=広R+¥¥+Yます→ひロR¥¥Yます
後の¥は父音素性を発揮して音素節¥Yを形成する。
→ひロR¥ ―¥Y ―ます
¥Yの¥は父音部になるが、近畿語では父音部初頭の¥は潜化する。jYは「い」になる。
→ひロR¥ ―jY ―ます=ひロりいます


§3 連用形つてに用法の遷移過程

【1】連用形つてに用法

動詞連用形のうち、以下に列挙する用法を連用形つてに用法と呼ぶ。
(イ) 連用形が他の動詞に上接するが、縮約しない。


§2で述べた「吹き上ゲ」などの用例である。

(ロ) 連用形が補助動詞「まつる」「かぬ」などに上接する。
《下二》 畏みて 仕∧まつらむ〈?伽陪摩都羅武〉[推古紀20年 紀歌102]
《下二》 恋ヒ繁み 慰メかねて〈奈具左米可祢弖〉[万15 ―3620]
(ハ) 連用中止法。
《四段》 音に聞き〈吉岐〉 目にはまだ見ず[万5 ―883]
《上二》 奈良を過ギ〈須疑〉 雄墳 やまトを過ギ〈須疑〉[仁徳記歌58]
《上乙》 二人並び居〈為〉 語らひし[万5 ―794]
潮干〈悲〉潮満ち〈美知〉[万17 ―3891]
《サ変》 栲ノ袴を 七重を為〈?〉 庭に立たして[雄略即位前 紀歌74]
《下二》 池ノ白波 磯に寄せ〈与世〉[万20 ―4503]
(ニ) 動詞連用形が完了助動詞「つ」「たり」に上接する(「たり」は「つ」の連用形「て」に「あり」が下接・縮約した語)。
《四段》 大宮人に 語り継ぎてむ〈都芸?牟〉[万18 ―4040]
偲ひつる〈思努比都流〉かモ
[万3 ―465。「思努比」は京都大学本による。比は清音ひ]
《上甲》 行きてし見てば〈見弖婆〉[万18 ―4040]
《上二》 良き人ノ 坐す国には 吾れモ参ゐてむ〈麻胃弖牟〉
[仏足石歌8]
《四段》 咲きたる〈佐吉多流〉園ノ 青柳は[万5 ―817]
(ホ) 連用形が接続助詞「て」に上接する。
《四段》 菅畳 いや清敷きて〈斯岐弖〉[神武記歌19]
《上甲》 目には見て〈見而〉 手には取らイエぬ 月ノ内ノ[万4 ―632]
《上二》 新治 筑波を過ギて〈須疑弖〉 幾夜か寝つる[景行記歌25]
《上乙》 向会ひ居て〈為弖〉 一日モおちず[万15 ―3756]
《サ変》 足方取り 対取り為て〈?底〉 枕取り 妻娶り為て〈?底〉
[継体紀7年 紀歌96]
《カ変》 早く来て〈伎弖〉 見むト思ひて[万15 ―3627]
《下二》 船泊メて〈等米弖〉 浮き寝をしつつ[万15 ―3627]
《ナ変助動詞》 なづさひ来にて〈伎尓弖〉[万15 ―3691]
(ヘ) 連用形が助詞「に」に上接して目的や累加を表す。
《四段》 野蒜摘みに〈都美迩〉 蒜摘みに〈都美迩〉[応神記歌43]
《上甲》 継ぎて見に〈民仁〉来む 清き浜辺を[万17 ―3994]
《サ変》 東を指して 適得為に〈布佐倍之尓〉 行かむト思∧ト
[万18 ―4131]
「適得」は「適ふ」の語素「ふさP」に「得」の連用形体言用法が下接・縮約した語。“自分にふさわしい配偶者を得に”の意。
《下二》 妻籠メに〈菟磨語昧尓〉 八重垣作る
[神代上紀八段本文或云 紀歌1]
(ト) 連用形が「コソ」に上接して希求を表す。
《下二》 酒に浮か∧”コソ〈于可倍許曽〉[万5 ―852]

【2】連用形つてに用法の活用語足は¥¥

動詞が他の動詞に上接する用法は連用形つてに用法であり、この場合の活用語足が¥¥であることは§2で述べた。この用法以外の連用形つてに用法の活用語足も¥¥だと推定する。

【3】近畿語での連用形つてに用法の通例の遷移過程

(ホ) 連用形つてに用法が助詞「て」に上接する遷移過程。
接続助詞「て」は、後続語と熟合して縮約した場合以外には、他の音節に変化しない。『上代特殊仮名の本質音』第118章で述べたように、「エ乙・え丙」以外の母音部にはならない音素配列は¥∀¥である。そこで接続助詞たる「て」の本質音はT¥∀¥だと推定する。¥∀¥は融合し、末尾の¥は潜化する。{¥∀j}は「エ乙・え丙」を形成する。
《四段》 敷きて=敷K+¥¥+T¥∀¥→しK¥¥T¥∀¥
K¥¥T¥∀¥では、最前の¥は母音素性を発揮して音素節K¥を形成する。次の¥は父音素性を発揮して音素節¥T¥∀¥を形成する。その父音部¥Tでは、遊兼音素¥は潜化し、父音素Tは顕存する。
→しK¥ ―¥T¥∀¥→しK¥ ―jT{¥∀j}=しき甲て
《上甲》 見て=MY+YRY+¥¥+T¥∀¥→MYYRY¥ ―¥T¥∀¥
YYRY¥では、YはRを双挟潜化する。
→MYYrY¥ ―jT{¥∀j}→MYYY¥ ―て
母音部YYY¥では、三連続するYはひとまず顕存し、¥は潜化する。
→MYYYj ―て→MyyYて=MYて=み甲て
《上乙》 居て=WY+YRY+¥¥+T¥∀¥→WYYRY¥ ―¥T¥∀¥
WYYRY¥では、YはRを双挟潜化する。
→WYYrY¥て→WYYYjて→WyyYて=WYて=ゐて
《上二》 過ギて=過GW+YRY+¥¥+T¥∀¥→すGWYRY¥て
WYRY¥では、YはRを双挟潜化する。
→すGWYrY¥て→すGWYYjて→すG{WY}Y¥て
→すG{WY}yて=すG{WY}て=すギ乙て
《サ変》 為て=SYOY+YWRY+¥¥+T¥∀¥
→SYOYYwrY¥ ―jT{¥∀j}→SYOYYY¥ ―て
母音部YOYYY¥では、その後部に、「い甲・い丙」を形成するY・¥が四つ続く。それでYYY¥はひとまず顕存し、YOは潜化する。
→SyoYYY¥て→SYYYjて→SyyYて=SYて=して
《カ変》 来て=K¥O¥+YWRY+¥¥+T¥∀¥
→K¥O¥YwrY¥ ―jT{¥∀j}→K¥O¥YY¥ ―て
母音部¥O¥YY¥では、その後部に、「い甲・い丙」を形成するY・¥が四つ続く。それで¥YY¥はひとまず顕存し、¥Oは潜化する。
→Kjo¥YY¥て=K¥YY¥て
母音部¥YY¥では二連続するYはひとまず顕存し、¥は二つとも潜化する。
→KjYYjて=KYYて
→KyYて=KYて=き甲て
《下二》 泊メて=泊M+¥Ω¥+WRW+¥¥+T¥∀¥
→トM¥Ω¥WrW¥ ―jT{¥∀j}→トM{¥Ω¥}WW¥ ―て
→トM{¥Ωj}wwjて=トM{¥Ωj}て=トメ乙て
《ナ変》 来にて=K¥O¥+YWRY+YYN+WRW+¥¥+T¥∀¥
→K¥O¥YwrYYY ―NWrW¥ ―jT{¥∀j}
=K¥O¥YYYY ―NWW¥て
¥O¥YYYYでは、後方で四連続するYは顕存し、¥O¥は潜化する。
NWW¥の母音部WW¥では、W¥は融合する。
{W¥}は「イ乙・い丙」を形成すると考える。
→KjojYYYY ―NW{W¥}て→KyyyY ―Nw{W¥}て
=KY ―N{W¥}て=き甲にて
(ヘ) 《四段》 摘みに=摘M+¥¥+NI→つM¥¥NI
M¥¥では、後の¥は父音素性を発揮して音素節¥NIを形成する。父音部¥Nでは、¥は潜化し、Nは顕存する。
→つM¥ ―¥NI→つM¥ ―jNI=つみ甲に
《サ変》 為に=SYOY+YWRY+¥¥+NI
→SYOYYwrY¥ ―jNI=SYOYYY¥に
母音部YOYYY¥では、YYY¥がひとまず顕存し、YOは潜化する。
→SyoYYY¥に→SYYYjに→SyyYに=SYに=しに
《下二》 籠メに=籠M+¥Ω¥+WRW+¥¥+NI
→ゴM¥Ω¥WrW¥ ―jNI→ゴM{¥Ω¥}WW¥に
→ゴM{¥Ωj}wwjに=ゴM{¥Ωj}に=ゴメ乙に
(ニ) 動詞が完了助動詞「つ」に上接する場合の遷移過程
《四段》 継ぎてむ=継G+¥¥+T¥Ω¥+WRW+∀+む
→つG¥ ―¥T¥Ω¥WrW∀む→つG¥ ―jT{¥Ω¥}WW∀む
→つG¥ ―T{¥Ωj}wwαむ=つG¥ ―T{¥Ωj}む=つぎ甲てむ
《上二》 「参う」は連用形で二音節なのでワ行で活用する上二段活用なので、動詞語素はMAWWだと推定する。
参ゐてむ=MAWW+YRY+¥¥+T¥Ω¥+WRW+∀+む
→MAWWYrY¥ ―¥T{¥Ω¥}WrW∀む
→MA ―WWYY¥ ―jT{¥Ωj}wwαむ=まWWYY¥てむ
WWYY¥では、WWが父音部になり、YY¥が母音部になる。父音部WWでは後のWは潜化する。母音部YY¥では、まず末尾の¥が潜化する。
→まWwYYjてむ=まWYYてむ→まWyYてむ=まWYてむ
=まゐてむ
(ハ) 連用中止法の遷移過程。
《四段》 聞き=聞K+¥¥→きK¥¥→きKj¥=きK¥=きき甲
《上二》 過ギ=過GW+YRY+¥¥→すGWYrY¥¥
→すG{WY}Y¥¥→すG{WY}yjj=すG{WY}=すギ乙
《上乙》 居=WY+YRY+¥¥→WYYrY¥¥=WYYY¥¥
母音部YYY¥¥では三連続するYはひとまず顕存し、¥¥は潜化する。
→WYYYjj=WYYY→WyyY=WY=ゐ
《上乙》 干=PWY+YRY+¥¥→PWYYrY¥¥→P{WY}YY¥¥
→P{WY}yyjj=P{WY}=ヒ乙
《サ変》 為=SYOY+YWRY+¥¥→SYOYYwrY¥¥
→SyoYYY¥¥→SYYYjj→SyyY=SY=し
《下二》 寄せ=寄S+¥Ω¥+WRW+¥¥→ヨS¥Ω¥WrW¥¥
→ヨS{¥Ω¥}WW¥¥→ヨS{¥Ωj}wwjj=ヨせ乙
(ロ) 連用形が補助動詞「まつる」「かぬ」に上接する。
《下二》 仕∧まつらむ=仕P+¥Ω¥+WRW+¥¥+MAつらむ
→仕P¥Ω¥WrW¥ ―jMAつらむ→仕P{¥Ω¥}WW¥まつらむ
→つかP{¥Ωj}wwjまつらむ=つか∧乙まつらむ
《下二》 慰メかね=慰M+¥Ω¥+WRW+¥¥+KAね
→慰M¥Ω¥WrW¥ ―jKAね→慰M{¥Ω¥}WW¥かね
→慰M{¥Ωj}wwjかね=慰M{¥Ωj}かね=なぐさメ乙かね

【4】東方語つてに用法の稀少用例「捧ゴ乙て」の遷移過程

(ホ) 下二段の連用形が助詞「て」に上接する場合、東方語では語尾が「オ乙」段になることがある。
捧ゴて〈佐佐己弖〉行かむ[万20 ―4325防人歌]
越ヨて〈古与弖〉来のかむ[万20 ―4403防人歌]
捧ゴて=捧G+¥Ω¥+WRW+¥¥+T¥∀¥
→ささG¥Ω¥WrW¥¥T{¥∀¥}
二連続する¥は共に母音素性を発揮する。¥¥の直後で音素節が分離する。
→ささG¥Ω¥WW¥¥ ―T{¥∀j}=ささG¥Ω¥WW¥¥て
¥WW¥では、直後の¥が双挟潜化を促すので¥はWWを双挟潜化する。
→ささG¥Ω¥ww¥¥て=ささG¥Ω¥¥¥て
東方語ではΩは顕存する力が強いことがある。¥Ω¥¥¥ではΩは顕存し、¥は潜化する。
→ささGjΩjjjて=ささGΩて=ささゴ乙て

【5】同一兼音素融合遷移

連用形つてに用法には、他にも稀少例があるが、それらを説明するためには、兼音素が連続した場合の遷移を述べておく必要がある。
兼音素のうちY・¥・Ωが、同一音素で連続する場合、次に述べる遷移が起きる。
〔父音素の直後で兼音素Y・¥・Ωが同一音素で連続し、その直後で音素節が分離する〕場合、上代語では、多くの場合、末尾の兼音素のみが顕存し、他は潜化する。だが、連続する同一兼音素がすべて顕存して融合することもある。
複数のYが融合すれば「イ乙・い丙」を形成する。
複数の¥が融合すれば「イ乙・い丙」を形成する。
複数のΩが融合すれば「お甲・お丙」を形成する。
〔父音素の後にWが連続し、その直後で音素節が分離する〕場合、末尾のWは顕存し、他は潜化する。複数のWが融合することはない。
これを同一兼音素融合遷移と呼ぶ。

【6】東方語つてに用法の稀少用例「告ぎ甲コソ」「斎ヒ乙て」「捕りかにて」「恋ひ甲」の遷移過程

(ト) 下二段の連用形が助詞「コソ」に上接する場合、語尾が「い甲」段になることがある。
吾れは漕ぎぬト 妹に告ぎ甲コソ〈都岐許曽〉[万20 ―4365防人歌]
告ぎコソ=告G+¥Ω¥+WRW+¥¥+KOソ
→つG¥Ω¥WrW¥¥KOソ=つG¥Ω¥WW¥¥KOソ
二連続する¥は共に母音素性を発揮し、G¥Ω¥WW¥¥が音素節を形成する。¥WW¥では、直後の¥が双挟潜化を促すので¥はWWを双挟潜化する。
→つG¥Ω¥ww¥¥ ―KOソ=つG¥Ω¥¥¥コソ
¥Ω¥では直後の¥¥が双挟潜化を促すので¥はΩを双挟潜化する。
→つG¥ω¥¥¥コソ=つG¥¥¥¥コソ
¥¥¥¥では、末尾の¥は顕存し、他は潜化する。
→つGjjj¥コソ=つG¥コソ=つぎ甲コソ
(ニ) 四段動詞連用形が完了助動詞「つ」に上接する場合に語尾が「イ乙」段になる遷移過程。
斎ヒ乙て〈伊波非弖〉しかモ[万20 ―4347防人歌。上総]
稲は運ビ乙てき〈波古非天伎〉
[正倉院仮名文書(甲)。この文書の筆録者は、上総など東方語圏出身だと推察する。『上代特殊仮名の本質音』第136章参照]
斎ヒてしか=斎P+¥¥+て+しか→いはP¥¥てしか
二連続する¥は共に母音素性を発揮し、融合する。{¥¥}は「イ乙」を形成する(同一兼音素融合遷移)。
→いはP{¥¥}てしか=いはヒ乙てしか
(ロ) 下二段活用する補助動詞「かぬ」が助詞「て」に上接する場合、東方語では語尾が「い丙」段になることがある。
赤駒を 山野にはがし 捕りかにて〈刀里加尓弖〉
[万20 ―4417防人歌]
捕りかにて=捕り+かN+¥Ω¥+WRW+¥¥+て
→とりかN¥Ω¥WrW¥¥て=とりかN¥Ω¥WW¥¥て
二連続する¥は共に母音素性を発揮する。¥WW¥では直後の¥が双挟潜化を促すので¥はWWを双挟潜化する。
→とりかN¥Ω¥ww¥¥て=とりかN¥Ω¥¥¥て
→とりかN¥ω¥¥¥て=とりかN¥¥¥¥て
この後、二通りの遷移が考えられる。¥¥¥¥が潜顕する場合と、融合する場合である。どちらも「かにて」になる。
→とりかNjjj¥て=とりかN¥て=とりかにて
→とりかN{¥¥¥¥}て=とりかにて
(ハ) 上二段の連用中止法の場合、東方語では語尾が「い甲・い丙」段になることがある。
妹を恋ひ甲〈古比〉 妻ト言はばや[常陸国風土記茨城郡条]
恋ひ=恋PW+YRY+¥¥→こPWYrY¥¥=こPWYY¥¥
母音部WYY¥¥では、二連続するYはひとまず顕存し、他は潜化する。
→こPwYYjj=こPYY→こPyY=こPY=こひ甲

【7】近畿語の下二段の連用形つてに用法の稀少用例

近畿語では、下二段動詞の連用形つてに用法の語尾が「イ乙」段・「い丙」段になることがある。助詞「に」に上接する場合や、補助動詞「まつる」「かぬ」に上接する場合や、連用中止法の場合である。
(ヘ) 妻籠ミ乙に〈都麻碁微尓〉 八重垣作る[記上巻歌1]
網張り渡し 目ロ寄しに〈予嗣尓〉寄し
[神代下紀第九段一書第一 紀歌3。“(左右の黒)目を寄せに寄せ”]
(ロ) 歌付キ乙まつる〈豆紀摩都流〉[推古紀20年 紀歌102]
世ノ事なれば 留ミ乙〈等登尾〉かねつモ[万5 ―805]
(ハ) 目ロ寄しに寄し〈予嗣〉 寄り来ね
[神代下紀第九段一書第一 紀歌2。“(左右の黒)目を、(眼のすぐ前のものを見る時のように)寄せに寄せ、(そうなるほど近くに)寄ってきて(私の兄を見て)ください”の意]

【8】「籠メに」「籠ミ乙に」についての従来説

橋本進吉は「上代の文献に存する特殊の仮名遣と当時の語法」『橋本進吉博士著作集第三冊文字及び仮名遣の研究』187頁で、「連用形にキヒミの乙類の仮名のあるものは上二段である。(中略)「都麻碁微尓」の「コミ」は、ミが乙類の仮名である故、コミ、コム、コムル、コムレと上二段に活用したもの」という。これ以後、上二段活用だとするのが定説になった。だが、私は橋本の説には従えない。
橋本は、「連用形にキヒミの乙類の仮名のあるものは上二段である」と断言したが、その根拠は示されていない。逆に、〔連用形語尾に「ミ乙」があっても上二段とはいえない〕事例がある。「廻」の連用形は、「島廻〈之麻未〉」[万3991]の用例から解るように、「ミ乙」である。そうすると、橋本の見解によるならば、「廻」は上二段であり、連体形は「むる」だということになる。だが、文献事実たる「うち廻る〈微流〉島ノ崎崎」[記上巻歌5]によれば、「廻」の連体形は「ミ乙る」である。
別の角度から述べよう。仮に、連用形で助詞「に」に上接する「籠ミ乙」や、補助動詞に上接する「付キ乙」や、連用中止法「寄し」が上二段連用形だったとしよう。それなら、助動詞「き」「けり」「ぬ」などに上接する連用形においても、「籠ミ乙き」や「付キ乙けり」や、「寄しぬ」のような用例が現れそうなものである。だが実際にはそのような用例はない。
連用形だけではない。未然形においても、「籠ミ乙む」や「付キ乙ず」や、仮定用法「寄しば」のような用例が現れそうなものである。だが、現実にはそのような用例はない。
下二段活用・上二段活用の両方にまたがるかのような用例は、連用形つてに用法においてのみ現れる。この事実を重視する私は橋本説に従えない。

【9】近畿語の下二段の連用形つてに用法の稀少用例の遷移過程

私は次のとおり考える。「籠メ」の本質音と「籠ミ」の本質音は同一であって、ただ遷移過程が異なるために二通りの現象音が現れた。「付キまつる」「留ミかねつ」「寄し」なども同様である。これらの遷移過程を述べる。
(ヘ) 「籠ミに」の遷移過程。「籠ミに」の語素構成は「籠メに」と同一で、「籠M+¥Ω¥+WRW+¥¥+NI」である。
籠ミに→ゴM¥Ω¥WrW¥¥NI=ゴM¥Ω¥WW¥¥NI
二連続する¥は共に母音素性を発揮し、音素節M¥Ω¥WW¥¥を形成する。¥WW¥では直後の¥が双挟潜化を促すので¥はWWを双挟潜化する。
→ゴM¥Ω¥ww¥¥に=ゴM¥Ω¥¥¥に
¥Ω¥では、直後の¥¥が双挟潜化を促すので¥はΩを双挟潜化する。
→ゴM¥ω¥¥¥に=ゴM¥¥¥¥に
¥¥¥¥は融合する。{¥¥¥¥}は「イ乙・い丙」を形成する(同一兼音素融合遷移)。
→ゴM{¥¥¥¥}に→ゴミ乙に
(ロ) 付キまつる=付K+¥Ω¥+WRW+¥¥+MAつる
→づK¥Ω¥WrW¥¥ ―MAつる→づK¥Ω¥ww¥¥まつる
→づK¥ω¥¥¥まつる→づK{¥¥¥¥}まつる=づキ乙まつる
留ミかね=留M+¥Ω¥+WRW+¥¥+かね
→トドM¥Ω¥WrW¥¥かね→トドM¥Ω¥ww¥¥かね
→トドM¥ω¥¥¥かね→トドM{¥¥¥¥}か)ね=トドミ乙かね
(ハ) 寄し→ヨS¥Ω¥WRW¥¥→ヨS¥Ω¥WrW¥¥
→ヨS¥Ω¥ww¥¥→ヨS¥ω¥¥¥→ヨS{¥¥¥¥}=ヨし


§4 東方語カ変「来」の連用形が「キ乙」になる理由

[東方] 東方語では、カ変「来」が完了助動詞「ぬ」に上接する場合、「キ乙」になることがある。
百隈ノ道は キ乙にし〈紀尓志〉を[万20 ―4349防人歌。上総]
「来にし」は、K¥O¥に、YWRYと、完了助動詞語素YYNと、WRWと、活用語足Yと、過去助動詞連体形「し」が続いたもの。
来にし=K¥O¥+YWRY+YYN+WRW+Y+し
→K¥O¥YwrYYYNWrWYし=K¥O¥YYYYNWWYし
母音部¥O¥YYYYでは、四連続するYは融合する。{YYYY}は「イ乙」を形成する(同一兼音素融合遷移)。
母音部WWYではWYが融合する。
→K¥O¥{YYYY}NW{WY}し
融合音は顕存し、他は潜化する。
→Kjoj{YYYY}Nw{WY}し=K{YYYY}N{WY}し
=キ乙にし


§5 否定助動詞「ず」の連用形つてに用法「に」「ず」

動詞に否定助動詞「ず・にす」の連用形つてに用法が続く遷移過程を述べる。

(1)連用中止法「知らに」の遷移過程。

延∧けく知らに〈斯良迩〉[応神記歌44]
連用中止法「知らに」は、「知R」に、活用語足∀と、助動詞語素N¥とその連用形つてに用法の活用語足¥¥が続いたもの。
知らに=知R+∀+N¥+¥¥→しR∀N¥¥¥→しR∀Njj¥
=しR∀N¥=しらに

(2)連用中止法「行かず」の遷移過程。

腰難む 空は行かず〈由賀受〉 足よ行くな[景行記歌35]
連用中止法「行かず」は、「行K」に、∀と、N¥と、段付加語素SUと、活用語足¥¥が続いたもの。
行かず=行K+∀+N¥+SU+¥¥→ゆK∀N¥SU¥¥
母音部U¥¥では、完母音素Uは顕存し、兼音素¥は二つとも潜化する。
→ゆK∀NjSUjj→ゆK∀{NS}U→ゆK∀ZU=ゆかず

(3)「見ずて」の遷移過程。

玉島を 見ずて〈美受弖〉や吾れは 恋ヒつつをらむ[万5 ―862]
見ずて=MY+YRY+∀+N¥+SU+¥¥+T¥∀¥
→MYYrY∀NjSU¥ ―jT{¥∀j}→MYYYαNSUjて
→MyyY{NS}Uて=MYZUて=み甲ずて