第31章 四段動詞連用形の促音便・い音便

§1 現代語の促音便「持って」「取って」の遷移過程

【1】上代語で「持ちて」が「モて」になる理由

四段動詞「持つ」に助詞「て」が続く場合、「モちて」になることもあり、「モて」になることもある。
まそ鏡 手に取り持ちて〈毛知弖〉[万5 ―904]
片思ひを 馬にふつまに負ほせ持て〈母天〉[万18 ―4081]
「持ちて」と「持て」は同一の語素構成である。「持つ」第一音素節は、第20章で述べたように、M¥O¥である。
持ちて=M¥O¥T+¥¥+T¥∀¥→M¥O¥T¥¥T¥∀¥
→MjOj ―T¥ ―jT{¥∀j}=MOちて=モ乙ちて
持て→M¥O¥T¥¥T¥∀¥
上代語では¥O¥と¥¥が呼応潜顕することがある。¥O¥では、Oは顕存し、¥は二つとも潜化する。これに呼応して、¥¥は二音素とも潜化する。
→MjOjTjjT{¥∀j}→MOTT{¥∀j}
父音部TTでは前のTは顕存し、後のTは潜化する。
→MO ―Tt{¥∀j}=MO ―T{¥∀j}=モ乙て

【2】現代語で「持ちて」が促音便「もって」になる理由

現代語「持って」の語素構成は上代語「持ちて」「持て」と同一である。
持って=M¥O¥T+¥¥+T¥∀¥→M¥O¥T¥¥T¥∀¥
現代語では、¥¥と¥∀¥が呼応潜顕することがある。¥∀¥は融合し、{¥∀¥}の末尾の¥は潜化する。これに呼応して、¥¥は二音素とも潜化する。
→M¥O¥T¥¥T{¥∀¥}→M¥O¥TjjT{¥∀j}
M¥O¥では、¥は二つとも潜化する。
→MjOjTT{¥∀j}=MOTT{¥∀j}
現代語では、父音部TTで、前のTが潜化し、後のTは顕存する。これによって促音便が形成される。
促音の「っ」に当たるところを´と記す。その直後に潜化した父音素を小文字で表示する。
→MO´tT{¥∀j}=モ´tて=モって

【3】現代語で「取りて」が促音便「とって」になる理由

「持つ」以外の四段動詞が促音便になる遷移過程は「持って」とほぼ同様である。
取って→とR+¥¥+T¥∀¥→とR¥¥T{¥∀¥}
→とRjjT{¥∀j}=とRT{¥∀j}
RTでは、前方にある父音素Rが潜化し、後方にあるTは顕存する。これによって促音便が形成される。
→と´rT{¥∀j}=と´rて=とって


§2 動詞連用形がい音便を起こす理由

【1】従来の“活用行子音脱落”説では「次ぎて」が「ついで」になることを説明できない

大野晋は「万葉時代の音韻」(『万葉集大成第六巻』318頁でいう。「カ行四活の連用形は平安時代に入つてから音便を起す。sakite→saite(咲いて)。」
また、『広辞苑』「い ―おんびん」の項には概略次のようにある。“「き」「ぎ」「し」「り」のk・g・s・rが脱落してi音となる現象。「聞きて」が「聞いて」に、「次ぎて」が「次いで」になる類。”
“い音便は活用行の子音が脱落したもの”だというのである。しかし、この従来説では、活用行が濁音の場合には説明がつかない。「次ぎて」の事例でいえば次のようになろう。
「次ぎて=tugite」のgが脱落するから、「tuite=ついて」になる。
末尾は清音「て」である。現実には末尾音節は濁音「で」であるのに、従来説では清音「て」になる。このことは大野説でも同様である。

【2】平安語の い音便「往いて」の遷移過程

(1)「往きて(行きて)」が「ゆいて」になる遷移過程。

馬淵和夫の『国語音韻論』84頁によれば、い音便の用例として、「往いて」[西大寺蔵大毘盧遮那経長保二年点]がある。
私は、「往いて」の語素構成は「往きて(行きて)」と同一だと考える。「行く」第一音素節は、第3章で述べたように、YUYである。
往いて=YUYK+¥¥+T¥∀¥→YUYK¥¥T¥∀¥
三つの母音部UY・¥¥・¥∀¥は呼応潜顕する。¥¥は潜化する。¥∀¥では、融合した後、末尾の¥が潜化する。これに呼応して、UYは二音素とも顕存して母音素性を発揮する。YUとYの間で音素節が分離する。
→YU ―YKjjT{¥∀j}→YU ―YKT{¥∀j}
YKTでは、母音素性を発揮するYの直後で、父音素がK・T二つ続く。それでその先頭のKはYに付着して音素節YKを形成する。
→YU ―YK ―T{¥∀j}
音素節YKでは、音素節末尾にある父音素Kは潜化する(末尾父音素潜化)。Yは単独で「い」になる。
→ゆ ―Yk ―て=ゆ ―Y ―て=ゆいて
「往いて」の事例を一般化して次のように考える。
い音便を起こす動詞は、その動詞語素の末部に、A・O・U・Yのずれかがあり、その後にYがあり、その後に父音素がある。
「次ぐ」の動詞語素はTUYGであり、「咲く」の動詞語素はSAYKだと推定する。

(2)「次ぎて」が「ついで」になる遷移過程。

次いで=TUYG+¥¥+T¥∀¥→TUYGjjT{¥∀j}
UYは二音素とも顕存して母音素性を発揮する。
YとGTの間で音素節が分離する。Yは単独で音素節を形成し、「い」になる。GTは融合して、ダ行を形成する。
→TU ―Y ―GT{¥∀j}→つい ―{GT}{¥∀j}
→つい ―D{¥∀j}=ついで

(3)「敷きて」が「敷いて」になる遷移過程。

四段「敷く」の動詞語素はSYYKだと推定する。終止形なら、「SYYK+W」は「SyYKW=しく」になる。
敷いて=SYYK+¥¥+T¥∀¥→SYYKjjT{¥∀j}
YYは二音素とも母音素性を発揮する。SYとYKの間で音素節が分離する。
→SY ―YK ―T{¥∀j}→し ―Yk ―て=し ―Y ―て=しいて

【3】サ行で活用する四段活用「押す」の語素はOYSだと推定する

(1)い音便「下いて」の遷移過程。

サ行で活用する四段動詞は現代語では い音便を起こさないが、平安語では、馬淵和夫が『国語音韻論』84頁で紹介するように、「下して」が「くだいて」になる用例や、「覚したる」が「おぼいたる」になる用例がある。
「下いて」になる遷移過程を記す。
下いて=くDAYS+¥¥+T¥∀¥→くDA ―YSjjT{¥∀j}
→くDA ―YS ―T{¥∀j}→くDA ―Ys ―T{¥∀j}=くだいて

(2)「押す」の動詞語素はOYS。

「下す」と同様にサ行で活用する四段動詞「押す」の動詞語素はOYSだと推定する。