第32章 ラ変動詞「有り」の活用

§1 ラ変動詞「有り」

【1】上代語ラ変動詞「有り」の用例

《未然》 仮定用法。 国に有らば〈阿良婆〉 父取り見まし[万5 ―886]
《未然》 ずむ用法。 妹ト登れは 嶮しくモあらず〈阿良受〉
[仁徳記歌70]
今コソば 吾鳥にあらメ〈阿良米〉 後は 汝鳥にあらむ〈阿良牟〉を
[記上巻歌3a]
《連用》 体言用法。 布肩衣 有り〈安里〉ノコトゴト[万5 ―892]
《連用》 つてに用法。 年に有りて〈安里弖〉 一夜妹に逢ふ
[万15 ―3657]
《終止》 賢し女を 有り〈阿理〉ト聞かして[記上巻歌2]
《連体》 近畿語では「ある」になる。東方語では「あろ」になることもある。
[近畿] 腹に有る〈阿流〉 肝向合ふ 心をだにか[仁徳記歌60]
[東方] 子ロが襲着ノ 有ろ甲〈安路〉コソ良しモ[万14 ―3509東歌]
《已然》 接続用法。 妹トありし 時は有れドモ〈安礼杼毛〉
[万15 ―3591]
旅にはあれトモ〈安礼十方〉[万6 ―928]
《已然》 コソや用法。  内ノ朝臣が 腹内は 石あれや〈阿例椰〉
[神功元年 紀歌28]
《命令》 旅行く君を 幸く有れ〈安礼〉ト 斎ひ∧”
瓮据ゑつ[万17 ―3927]

【2】ラ変「有り」の動詞語素

(1)ラ変「有り」の終止形は「あR¥¥W」。

「で+有り」の語素構成の場合、平安語(後期)では、「り」が脱落することがある。『天草版伊曽保物語』「陣頭の貝吹の事」に「cotodea」(事であ)とある。この用例では、「であり」の「り」が脱落して「であ」になっている。
これは、「あり」の語尾「り」の母音部がまず潜化し、ついで父音部Rが潜化して、「り」全体が脱落したものと考える。
これに似たことは、否定助動詞終止形語尾でも起きる。第19章で述べたように、平安語・現代語での否定助動詞終止形「ぬ=N¥W」は、その母音部¥Wが潜化して「N=ん」になる。平安語では母音部¥Wは潜化しやすいのである。そこで終止形「あり」の語尾「り」の母音部は¥Wに似ると考える。
仮に、「有り」の終止形が「あR¥W」だったしよう。第26章で述べたように、上代語ではS¥Wは、「SjW=SW=す」になる。それなら、「あR¥W」は、上代語では、「あRjW=あRW=ある」になるだろう。これは事実に反する。「有り」終止形を「あR¥W」とすることはできない。
そこで「有り」終止形の「り」はR¥¥Wだと推定する。
「有り」の「あ」は、第14章で述べたように、AYだから、「有り」終止形はAYR¥¥Wだと推定できる。

(2)「有り」終止形が時代によって「あり」「あ」「ある」になる遷移過程。

[上代・平安] 母音部¥¥Wでは、二連続する¥はひとまず顕存し、Wは潜化する。
有り=AYR¥¥W→AY ―R¥¥w→Ay ―R¥¥
¥¥では、後の¥は顕存し、前の¥は潜化する。
→A ―Rj¥=A ―R¥=あり
[平安語後期] R¥¥Wの母音部¥¥Wが潜化する。
有→AYR¥¥W→AYRjjw=AYR
音素節AYR末尾の父音素Rは潜化する(末尾父音素潜化)。
→AYr=AY
完母音素Aは顕存し、兼音素Yは潜化する。
→Ay=A=あ
[現代] 現代語の四段動詞連用形で促音便・い音便が起きる主因は、¥¥が潜化することにある。現代語では¥¥潜化しやすいといえる。そこで、現代語では、母音部¥¥Wでは¥¥は潜化し、Wは顕存すると考える。
[現代] 有る→AYR¥¥W→Ay ―RjjW=A ―RW=ある

(3)「有り」の動詞語素はAYR¥¥。

終止形「有り=AYR¥¥W」の末尾にあるWは終止形の活用語足である。よって、AYR¥¥Wから活用語足Wを除去した部分がラ変「有り」の動詞語素である。ラ変「有り」の動詞語素はAYR¥¥だと推定できる。

【3】上代語でのラ変「有り」の未然・連用・連体・已然・命令の遷移過程

《未然》 仮定用法。 有らば=AYR¥¥+∀M+P∀→AYR¥¥∀MP∀
母音部¥¥∀では、末尾にある∀は顕存し、¥¥は潜化する。
→AyRjj∀{MP}∀=AR∀B∀ば=あらば
《未然》 ずむ用法。 有らず=AYR¥¥+∀+N¥+SU+W
→AyRjj∀NjSUw→AR∀{NS}U=あらZU=あらず
《連用》 体言用法。 有りノ=AYR¥¥+Y+ノ→AyR¥¥Yノ
母音部¥¥Yでは、末尾の通兼音素Yは顕存し、¥¥は潜化する。
→ARjjYノ=ARYノ=ありノ
《連用》 つてに用法。 有りて=AYR¥¥+¥¥+T¥∀¥
→AyR¥¥¥ ―¥T{¥∀¥}→ARjj¥ ―jT{¥∀j}=あR¥て=ありて
《連体》[近畿] 有る=AYR¥¥+AU→AYR¥¥AU
母音部¥¥AUでは、末尾の完母音素Uは顕存し、他は潜化する。
→AyRjjaU=ARU=ある
[東方] 有ろ=あR¥¥+AU→あR¥¥AU
AUは融合する。融合音{AU}は顕存し、¥¥は潜化する。
→あR¥¥{AU}→あRjj{AU}=あR{AU}=あろ甲
《已然》 接続用法。 有れドモ=AYR¥¥+YO¥M+TOモ
→AyR¥¥{YO¥}{MT}Oモ→ARjj{YOj}ドモ
→あR{YOj}ドモ=あれドモ
《已然》 コソや用法。 有れや=AYR¥¥+YO¥+YA
→AyR¥¥{YO¥} ―YA→ARjj{YOj}や
=あR{YOj}や=あれや
《命令》 有れ=AYR¥¥+YOY→AyR¥¥YOY
→AR¥¥{YOY}→あRjj{YOY}=あR{YOY}=あれ

【4】ラ変動詞の直結形

「有り」の語素AYR¥¥が直後の名詞を修飾する場合がある。これは「有り」の直結形である。
吾が逃ゲ登りし 有り嶺(を)〈阿理袁〉ノ 榛ノ木ノ枝
[雄略記歌97]
有り衣〈阿理岐奴〉ノ 三重ノ子が[雄略記歌99]
有り嶺=AYR¥¥+WO→AYR¥¥WO
¥¥WOでは、後の¥は父音素性を発揮して音素節¥WOを形成する(¥の後方編入)。その父音部¥Wでは、¥は潜化し、Wは顕存する。
→AyR¥ ―¥WO=AR¥ ―jWO→AR¥ ―WO=ありを
有り衣=AYR¥¥+KYぬ→AyR¥ ―¥KYぬ→AR¥ ―jKYぬ
=ありKYぬ=ありきぬ


§2 ラ変動詞「をり」

ラ変の動詞には、「有り」の他に、「をり」がある。
《終止》 大王し 良しト聞コさば 一人居り〈袁理〉トモ[仁徳記歌65]
《連用》 体言用法。 潮瀬ノ 魚居り〈袁理〉を見れば [清寧記歌108。「魚居り」は“魚が多数いるところ”。『古事記歌謡全解』記歌108の段参照]
《連体》 向合ひ居る〈袁流〉かモ い添ひ居る〈袁流〉かモ
[応神記歌42]
ラ変「をり」の動詞語素はWOR¥¥だと推定する。
《終止》 居り=WOR¥¥+W→WOR¥¥W
→WOR¥¥w→WORj¥=WOR¥=をり
《連用》 体言用法。 魚居り=魚+WOR¥¥+Y→魚WOR¥¥Y
→魚をRjjY=魚をRY=なをり
《連体》 居る=WOR¥¥+AU→をR¥¥AU→をRjjaU=をRU=をる


§3 完了存続助動詞「たり」の語素構成

安見児得たり〈衣多利〉[万2 ―95]
「たり」は、動詞連用形つてに用法に続く。
「たり」の語素構成は、完了助動詞「つ」の語素T¥Ω¥に、ラ変「有り」の動詞語素AYR¥¥と、動詞の活用語足が続いたもの。
得たり=¥Ω¥+WRW+¥¥+T¥Ω¥+AYR¥¥+W
→¥Ω¥WrW¥ ―¥T¥Ω¥AY ―R¥¥w
→{¥Ω¥}WW¥ ―jT¥Ω¥AY ―Rj¥
母音部¥Ω¥AYでは、完母音素Aは顕存し、他は潜化する。
→{¥Ωj}wwj ―TjωjAy ―R¥→{¥Ωj} ―TAり=えたり


§4 ラ変「あり」の語胴形WWら用法・語胴形WMW∧”し用法

ラ変「あり」に助動詞「らし」「∧”し」が続く場合の遷移過程を述べる。

(1)ラ変動詞の語胴形WWら用法。「あるらし」または「あらし」になる。

[上代1] 鶯ノ 鳴かむ春へは 明日にし有るらし〈安流良之〉
[万20 ―4488]
[上代2] 吾が旅は 久しく有らし〈安良思〉[万15 ―3667]
「あるらし」と「あらし」の語素構成は同一で、動詞語素AYR¥¥に、「WWRA+し」が続いたもの。
[上代1] 有るらし=AYR¥¥+WWRA+し→AyR¥¥WWRAし
R¥¥WWとRAの間で音素節が分離する。
→AR¥¥WW ―RAし
¥¥WWでは、末尾で二連続するWWがひとまず顕存し、¥¥は潜化する。
→ARjjWW ―らし→あRwW ―らし=あRWらし=あるらし
[上代2] 有らし=AYR¥¥+WWRAし→AyR¥¥WWRAし
双挟音素配列R¥¥WWRで、Rは¥¥WWを双挟潜化する。
→ARjjwwRAし=あRRAし→あRrAし=あRAし=あらし

(2)ラ変動詞の語胴形WMW∧”し用法。

今日ノ間は 楽しく有る∧”し〈阿流倍斯〉[万5 ―832]
動詞語素AYR¥¥に、「WMW∧”+し」が続く。
WはMを双挟潜化する。
有る∧”し=AYR¥¥+WMW∧”+し→AyR¥¥WmW∧”し
→ARjjWW∧”し→あRwW∧”し=あRW∧”し=ある∧”し


§5 山口佳紀の“「有り」の終止形は上代語より一段階前には「ある」だった”説

動詞が「らし」「∧”し」に上接する場合の遷移過程を述べたので、それを踏まえて山口佳紀の動詞活用論について述べる。

【1】“上代語より一段階前には「見る」の終止形は「み」だった”とする山口説

山口は『古代日本語文法の成立の研究』343~344頁で上代語の動詞活用についていう。「今、ミル(見)に例をとれば、これは、ミ・ミ・ミル・ミル・ミレ・ミ(ヨ)と活用した。しかし、すでに言われているとおり、終止形は、かつて連用形と同形のミであったらしいことが、助動詞ラム・ラシ・ベシおよび助詞トモに接続する時の形から言えそうである。それ故、ミルの活用は、一段階前には、ミ・ミ・ミ・ミル・ミレ・ミ(ヨ)であったと思われる。」
要約すれば次のようである。“上代語での「見」終止形は「み」ではなく、「みる」である”ということを前提とし、“上代語より「一段階前」の日本語では「見」の終止形は「み」だった。”
山口の論拠は次の二点である。

① 動詞が助動詞「らし」「らむ」「∧”し」に上接する時の形。
② 動詞が助詞「トモ」に上接する時の形。

【2】山口説には三つの不備がある

(1)山口は、上代語「見」の終止形を「ミル」だとするが、そのように主張するなら、その用例を挙げ、それが終止形だという理由を述べる必要がある。だが山口はその用例・理由を明示しない。

(2)「あるらし」「あるらむ」の用例があってもそれは“「有り」の終止形は上代語より一段階前には「ある」だった”ということの論拠にはならない。

山口は、“上代語より一段階前には「見」の終止形は「み」だった”と論証しようとして、「有り」の終止形について論じ、“「有り」の終止形は上代語より古い段階では「ある」だった”と主張する。山口は同書340頁でいう。「ラ変の終止形も、古くはアリでなくて、アルだったのではないかと思われるふしがある。というのは、一般に終止形接続を行なう、ラム・ラシ・ベシなど推量系助動詞が、ラ変に限って、終止形アリでなく、連体形アルから接続しているという事実があるからである。これは、もともとアリの終止形はアルであったために、ラムなどの助動詞がつく場合に、古い終止形アルが残ったものと解釈すべきであろう。」
だが、“上代語動詞は、ラムなどの助動詞がつく場合、「古い終止形」になる”という想定は、正しいと証明されたものではない。逆に、正しくないという論拠はある。
仮に、山口のいうように、「もともとアリの終止形はアルであった」とするならば、“動詞「有り」の終止形は、もともとは「ある」だったが、上代語・平安語では「あり」になり、現代語では「ある」に戻った”ということになる。このような戻り惑う変化が起きたとは考えがたい。
そしてもう一点。「あり」が「らし」に上接すると「あらし」[万15 ―3667]にもなる。そうすると、“「ラムなどの助動詞がつく場合には古い終止形」になる”という山口説によるならば、“「あり」の終止形はもともとは「あ」だった”ということにもなる。もともとの終止形が「ある」と「あ」、二つあったことになるが、これは事実とは考えがたい。
私見によれば、「あり」が「らし」に上接する場合に「ある」にも「あ」にもなるのは、「あり」の動詞語素「あR¥¥」に「WWRAし」が下接・縮約するからである。その遷移過程が二通りあるために、「あるらし」「あらし」の両形が現れる。「あるらし」「あらし」は“上代語より「一段階前」の終止形”とは無関係である。

(3)“助詞「トモ」に上接する時の形によって、上代語より一段階前の「見」の終止形は「み」だと解る”という山口説について。

山口は「見」のもともとの終止形を推定する際には、「トモ」に上接する場合の形「みトモ」に依拠して「み」だとする。だが、山口が「見」についてこの方法を用いるなら、「あり」についてもこの方法を用いなければならない。そうすると、「ありトモ〈安里等母〉」[万5 ―811]により、“ラ変「有り」のもともとの終止形は「あり」だった”とせねばならない。これは山口の提示した結論“「有り」のもともとの終止形は「有る」”に矛盾する。
あらためて私見を述べる。上代語では動詞は終止形で「トモ」に上接する。そして、上代語動詞「見」は、「みトモ」[万18 ―4037など]のように、「み」で「トモ」に上接する。よって、上代語動詞「見」の終止形は「み」である。