第36章 “時”を表す「う」と「何時」「いづれ」の語素構成

§1 “時”を表す「う」

“時”に関する単語の中には、末尾音素節が「う」段のものがある。「何時」「明日」「昼」「夜」である。
か黒き髪に 何時〈伊都〉ノ間か 霜ノ降りけむ[万5 ―804]
君が目を 今日か明日〈安須〉かト 斎ひて待たむ[万15 ―3587]
昼〈比流〉は物思ひ ぬば玉ノ 夜〈欲流〉はすがらに[万15 ―3732]
「何時」「明日」「昼」「夜」の末尾には、“時”の意味を表す語素「う」があると考える。“時”を表す「う」の本質音はUだと推定する。「う=U」は、直前の語素と熟合・縮約するので、単独の「う」として現れることはない。


§2 「昼」「夜」の語素構成・遷移過程

(1)「昼=ひる」の語素構成。

「昼」の語素構成は、“太陽”の意味の「日」に、助詞「ロ・ら=R∀Ω」と、「時=U」が下接・縮約したもの。“太陽の時”の意である。
昼=日+R∀Ω+U→ひR∀ΩU→ひRαωU=ひRU=ひる

(2)「夜=よる」の語素構成。

古事記歌3bでは「夜」が「よ」と読まれるが、この場合の「夜」の意味は“月”だと考える。
青山に 日が隠らば ぬば玉ノ 夜〈用〉は出でなむ
[記上巻歌3b]
趣意は、“太陽が山に隠れたら、自然の原理として、「夜=月」が出る”である(『古事記歌謡全解』記歌3bの段参照)。
「よる(夜)」の語素構成は、「よ(月)」に、助詞「ロ・ら」と、「時=U」が下接・縮約したもの。“月の時”の意である。
夜=月+R∀Ω+U→よR∀ΩU→よRαωU→よRU=よる


§3 “何時”の意味の「いつ」の語素構成・遷移過程

【1】上代語の疑問詞「いつ」と「いづれ」「いづく」「いづへ」「いづち」「いづら」「いづゆ」

(1)第二音素節が清音の上代語疑問詞「いつ」。

上代語に、“特定はしないが、ある時に”や“何時”を意味する「いつ」がある。
吾妹子は 何時〈伊都〉トか吾れを 斎ひ待つらむ[万15 ―3659]
行く吾れを 何時〈何時〉来まさむト 問ひし子らはモ[万17 ―3897]

(2)第二音素節が濁音の上代語疑問詞「いづれ」「いづく」「いづへ」「いづち」「いづら」「いづゆ」。

上代語の疑問詞には「いづ」で始まるものが多い。「いづれ〈伊豆礼〉」[万15 ―3742]・「いづく〈伊豆久〉」[応神記歌42]・「いづへ〈伊頭敝〉」[万19 ―4195]・「いづち〈伊豆知〉」[万5 ―887]・「いづら〈伊豆良〉」[万15 ―3689]・「いづゆ〈伊豆由〉」[万14 ―3549東歌]である。

【2】「いつ」および「いづれ」「いづく」等の語頭には“何”を意味する語素¥¥TDがある

「いつ」は“何”の意味を含み、「いづれ」「いづく」等も“何”の意味を含む。そこでこれらの疑問詞の初頭には、“何”を意味する語素が共通して存在すると考える。“何”を意味する語素の本質音は¥¥TDだと推定する。

【3】“何時”を意味する「いつ」の語素構成は「¥¥TD+U」

“何時”を意味する「いつ」の語素構成は、“何”を意味する¥¥TDに、“時”を意味するUが下接・縮約したものだと考える。
何時=¥¥TD+U→¥¥TDU
¥¥は音素節を形成する。初頭の¥は父音部になるが、近畿語ではヤ行を形成できずに潜化する。後の¥は母音素性を発揮し、「い」を形成する。
j¥は「い」になる。
母音素性を発揮する¥の後では父音素がT・D二連続する。TDの直後には完母音素Uがある場合には、Tは¥に付着せず、音素節TDUを形成する。
→¥¥ ―TDU→j¥ ―TDU=いTDU
父音部TDでは、前のTは顕存し、後のDは潜化する。
→いTdU=いTU=いつ


§4 上代語「いづれ」の語素構成・遷移過程と現代語「ドれ」の遷移過程

【1】上代語「いづれ」の語素構成・遷移過程

「いづれ」の語素構成は“何”を意味する¥¥TDに、助詞「う=WΩW」と、“物”を意味する接尾語「れ」が下接・縮約したもの。
何れ=¥¥TD+WΩW+れ→¥¥TDWΩWれ
¥¥では初頭の¥は父音部になるが、ヤ行を形成できずに潜化する。後の¥は母音素性を発揮する。
母音素性を発揮する¥の直後では父音素がT・D二連続する。TDの直後にWがある場合には、Tは直前の¥に付着して音素節¥¥Tを形成する。
→¥¥T ―DWΩWれ→¥¥t ―DWΩWれ
母音部WΩWでは、WはΩを双挟潜化する。
→¥¥ ―DWωWれ→¥¥ ―DwWれ→j¥ ―DWれ=いづれ

【2】上代語の「いづれ」が現代語で「ドれ」になる遷移過程

現代語「ドれ」の語素構成は上代語「いづれ」と同一である。
何れ=¥¥TD+WΩW+れ→¥¥TDWΩWれ
¥¥とWΩWは呼応潜顕する。後者ではΩは顕存し、Wは二つとも潜化する。これに呼応して、¥¥は二つとも潜化するのだが、そのために、¥¥は二つとも父音素性を発揮する。
→¥¥TDwΩwれ=¥¥TDΩれ
父音部¥¥TDでは、父音素性を発揮する音素が四連続する。母音部がΩの場合には末尾のDが顕存し、¥¥Tは潜化する。
→jjtDΩれ=DΩれ=ドれ
惑兼音素Ωを含む音素群と遊兼音素¥を含む音素群が呼応潜顕することを惑遊呼応潜顕と呼ぶ。