【1】東方語否定助動詞「なふ」の用例
東方語では否定助動詞として、近畿語と同じ「ず」も用いられるが、「なふ」も用いられる。
《終止》 なふ。
去にし宵より 夫ロに逢はなふ〈安波奈布〉ヨ[万14 ―3375東歌]
《未然》 仮定用法。 「なは」。
逢はなはば〈安波奈波婆〉 偲ひにせもト[万14 ―3426東歌]
《未然》 ずむ用法。 「なは」。
然からばか 隣ノ衣を 借りて着なはも〈伎奈波毛〉
[万14 ―3472東歌。「も」は意志助動詞「む」連体形の東方語形]
《連体》 「なへ」「ノへ」両形がある。
[東方1] 小さ小さモ 寝なへ〈祢奈敝〉子ゆゑに 母に嘖ロはイエ
[万14 ―3529東歌。「小さ小さモ」は“少しも(……ない)”“まったく(……ない)”の意]
昼解けは 解けなへ〈等家奈敝〉紐ノ[万14 ―3483東歌]
[東方2] 逢ほ時モ 逢はノへ〈安波乃敝〉時モ[万14 ―3478東歌]
《已然》 接続用法。 「なへ」「ノへ」両形がある。
[東方1] 寝なへドモ〈宿奈敝杼母〉 子ロが襲着ノ 有ろコソ良しモ
[万14 ―3509東歌]
[東方2] 恋ふしかるなモ 流なへ行けド 吾ぬ行かノへは〈由賀乃敝波〉
[万14 ―3476或本。東歌]
【2】「なふ」の助動詞語素・段付加語素・活用語足
東方語否定助動詞「なふ」の助動詞語素は、近畿語否定助動詞「ず・にす」の語素と同一で、N¥だと推定する。
「なふ」の段付加語素はAOPだと推定する。第27章・第28章で述べたように、東方語には、下二段活用の段付加語素は¥Ω¥とYAY、二つある。これと同様、否定助動詞N¥の段付加語素も、東方語ではSUとAOPの二つが用いられる。
動詞に「なふ」が続く場合、その構成は次のようである。動詞の活用語胴に、動詞未然形ずむ用法の活用語足∀と、「なふ」の助動詞語素N¥と、その段付加語素AOPと、活用語足が続く。
【3】「なふ」の終止・未然・連体・已然の遷移過程
《終止》 終止形の活用語足はWだと推定する。
逢はなふ=逢P+∀+N¥+AOP+W→あP∀N¥AOPW
母音部¥AOでは多くの場合、完母音素Aは顕存し、¥・Oは潜化する。
→あはNjAoPW=あはNAPW=あはなふ
《未然》 仮定用法。 活用語足は∀Mだと推定する。
逢はなはば=逢P+∀+N¥+AOP+∀M+P∀
→あP∀NjAoP∀{MP}∀=あはNAはば=あはなはば
《未然》 ずむ用法。 未然形ずむ用法の活用語足は∀だと推定する。
着なはも=KY+YRY+∀+N¥+AOP+∀+も
→KYYrY∀NjAoP∀も→KYYYαNAはも
→KyyYなはも=KYなはも=き甲なはも
《連体》 「なふ」の連体形は「なへ」と「ノへ」の二つあるが、その第二音素節は「へ甲」以外にはならない。『上代特殊仮名の本質音』117章で述べたように、「え甲」以外に変化しない母音部は¥∀Yである。そこで「なふ」連体形の活用語足は¥∀Yだと推定する。
[東方1] 寝なへ=N¥Ω¥+WRW+∀+N¥+AOP+¥∀Y
→N¥Ω¥WrW∀NjAoP{¥∀Y}→N{¥Ωj}wwαNAへ甲
=N{¥Ωj}なへ甲=ねなへ甲
[東方2] 逢はノへ=逢P+∀+N¥+AOP+¥∀Y
→あP∀N¥AOP{¥∀Y}
母音部¥AOでは、Oが顕存し、¥Aが潜化することもある。
→あはNjaOへ甲=あはNOへ甲=あはノ乙へ甲
《已然》 「なふ」の已然形接続用法は「なへ」と「ノへ」の二つあるが、その第二音素節は「へ甲」以外にはならない。そこで已然形接続用法の活用語足は¥∀YMだと推定する。
[東方1] 寝なへドモ=N¥Ω¥+WRW+∀+N¥+AOP+¥∀YM+TOモ
→N¥Ω¥WrW∀NjAoP{¥∀Y}{MT}Oモ
→N{¥Ωj}wwαNAへ甲ドモ=ねなへ甲ドモ
[東方2] 行かノへは=行K+∀+N¥+AOP+¥∀YM+P∀
→ゆK∀NjaOP{¥∀Y}m ―P∀=ゆかNOP{¥∀Y}は
=ゆかノ乙へ甲は