【1】反実仮想を表す助動詞「ませ・まし」の用例
悔やしかモ かく知らませば〈斯良摩世婆〉 青丹ヨし 国内コトゴト見せましモノを〈美世摩斯母乃乎〉[万5 ―797]
思ふにし 死にするモノに あらませは〈有麻世波〉 千遍ソ吾れは 死に返らまし〈変益〉[万4 ―603]
「ませば」が用いられずに「まし」だけが用いられることもある。
世ノ中は 恋ヒ繁しゑや かくしあらば 梅ノ花にモ ならまし〈奈良麻之〉モノを[万5 ―819]
一つ松 人にありせば 衣着せまし〈岐勢摩之〉を
[景行紀40年 紀歌27]
家に有らば 母取り見まし〈美麻志〉[万5 ―886]
【2】「ませば……まし」の「まし」は連体形
「ませ」「まし」の活用形について、『時代別国語大辞典上代編』は「未然形マセ・終止形マシ・連体形マシが認められる」という。私はこの見解に同意できない。
「知らませば」の「ませ」は未然形であり、「見せましモノ」の「まし」が連体形であることについては同意する。だが、「死に返らまし」「母取り見まし」の「まし」は終止形ではないと考える。
連体形には、文末にあって詠嘆を添える用法があり、連体止めと呼ばれる。動詞の連体止めの用例は、「浜ノ白波いたづらにココに寄せ来る〈久流〉見る人無しに」[万9 ―1673]、「ほトトぎす いトねたけくは橘ノ花散る時に来鳴き響むる〈登余牟流〉」[万18 ―4092]、「宵なは来なに 明けぬ時来る〈久流〉」[万14 ―3461]にあり、過去助動詞「き」の用例は「いや清敷きて吾が二人寝し〈泥斯〉」[神武記歌19]19]にある。
「ませば……まし」は反実仮想を表す構文だから、作者は“……だったら……したのに。残念だ”というような感情を抱いている。してみれば、文末の「まし」には詠嘆の意が込められていて当然である。よって、文末の「まし」は連体形であり、詠嘆を表す連体止めだと考える。
このように考えると、「ませ・まし」の用例には、未然形「ませ」と連体形「まし」の用例だけがあって、終止形の用例はないといえる。
【3】「ませ」「まし」の語尾「せ」「し」は助動詞「き」の未然形・連体形
(1)未然形「ませ」の語尾「せ」は過去助動詞「き」の未然形そのもの。
反実仮想の前提部分を表すには、「ませ」の他に、「知りせば」「ありせば」のように、「動詞連用形+せ+ば」の形が用いられることもある。この「せ」は過去助動詞「き」の未然形仮定用法である。反実仮想の前提部分を表すには“過去”の意味を持つ語が用いられるのである。
そこで反実仮想の前提部分を表す「ませ」にも過去の意味を持つ語が含まれると考える。
「ませ」の「せ」は、過去助動詞「き」の未然形「せ」と同一音節である。そこで反実仮想助動詞の未然形だとされている「ませ」の第二音素節「せ」は、本質的には過去助動詞「き」の未然形そのものだと分析する。
(2)連体形「まし」の語尾「し」は助動詞「き」の連体形そのもの。
反実仮想の帰結部分を表す連体形「まし」の「し」は、過去助動詞「き」の連体形「し」と同一音節である。そこで反実仮想助動詞の連体形だとされている「まし」の第二音素節「し」は、本質的には過去助動詞「き」の連体形「し」そのものだと分析する。
【4】「ませ」「まし」の語素構成
反実仮想助動詞「ませ・まし」の初頭にある助動詞語素はMASだと推定する。
「ませ・まし」の語素構成は、MASに、語素形Y用法の活用語足Yと、過去助動詞「き」の助動詞語素SYKと、その活用語足が続いたものだと考える。
【5】「ませば」「ましモノ」「まし」の遷移過程
(1)「知らませば」の遷移過程。
「知らませば」の語素構成は、「知R」に、未然形ずむ用法の活用語足∀と、反実仮想の助動詞語素MASと、語素形Y用法の活用語足Yと、過去助動詞語素SYKと、その未然形仮定用法の活用語足Y∀YMと、助詞P∀が続いたもの。
知らませば=知R+∀+MAS+Y+SYK+Y∀YM+P∀
→しR∀ ―MA ―SYSYKY∀Y{MP}∀=しらまSYSYKY∀Yば
SYSYKY∀Yでは、YSYKYの直前にSがあり、後に完母音素はない。この場合には、SはYを双挟潜化し、YはKを双挟潜化する。
→しらまSySYkY∀Yば=しらまSSYY∀Yば
→しらまSsY{Y∀Y}ば→しらまSy{Y∀Y}ば=しらませば
(2)「成らまし」の遷移過程。
「成らまし」の語素構成は、「成R」に、∀とMASとYとSYKとその連体形の活用語足Yが続いたもの。
成らまし=成R+∀+MAS+Y+SYK+Y=なR∀MASYSYKY
SYSYKYでは、YSYKYの直前にSがあり、直後で音素節が分離する。この場合、SはYを双挟潜化し、YはKを双挟潜化する。
→ならまSySYkY=ならまSSYY→ならまSSyY
→ならまSsY=ならまSY=ならまし
(3)「見まし」の遷移過程。
「見まし」の語素構成は、MYに、YRYと、∀と、「MAS+Y」と、SYKと、その連体形の活用語足Yが続いたもの。
見まし=MY+YRY+∀+MAS+Y+SYK+Y
→MYYrY∀ ―MA ―SYSYKY→MYYY∀まSySYkY
→MYYYαまSSyY→MyyYまSsY=MYまSY=み甲まし