§1 続日本紀宣命の「荒ビ乙る」と延喜式祝詞の「荒び甲る」
【1】「荒ぶる」「荒ビる」「荒びる」の用例
「荒ぶ」の連体形は、『古事記』では「荒ぶる」だが、平安語初期の文献たる『続日本紀』には「荒ビ乙る」とあり、『延喜式』には「荒び甲る」とある。
[上代] 荒ぶる〈荒夫琉〉神[神武記]
[平安語初期1] 荒ビ乙る〈荒備流〉蝦夷[続紀延暦八年宣命62]
[平安語初期2] 心荒び甲る〈荒比留〉は水神[延喜式祝詞鎮火祭]
【2】「荒ビ乙る」「荒び甲る」についての従来説
(1)橋本進吉の見解。
橋本進吉は「上代における波行上一段活用に就いて」『橋本進吉博士著作集第五冊上代語の研究』201~202頁で、上代語で上二段に活用した「荒ぶ」が『続日本紀』の宣命で「荒ビる」になることについて次のとおりいう。「ハ行上一段の動詞は上代には上二段で、ヒ、ヒ、フ、フル、フレと活用したと考へられるのであるが、これらは、平安朝に於ては上一段であつた事は当代の諸文献によつて明かである。これは、上二段が上一段に変化したのであるが、さやうな傾向が他の上二段の動詞にも既に平安朝初期からあらはれてゐたことは、奈良朝に於てハ行上二段に活用した「荒ぶ」が続日本紀巻四十、延暦八年九月戊午年の宣命に「陸奥国荒備流 蝦夷等乎」となつてゐるによつても明かである。」
この橋本説には納得できない点が五つある。
第一。橋本は「ハ行上一段の動詞は上代には上二段で、ヒ、ヒ、フ、フル、フレと活用した」という。だが、第12章で述べたように、「干(乾)」の已然形は「ふれ」ではなく、不明である。
第二。橋本は「平安朝に於ては上一段であつた事は当代の諸文献によつて明かである。これは、上二段が上一段に変化したのである」というが、「上二段が上一段に変化した」のではない。上代語「干」は上乙段活用だから、上代語の上乙段活用が平安語で上一段活用に変化したのである。
第三。橋本は“上二段が上一段に変化したという傾向は、上代語で上二段活用の「荒ぶ」が、宣命62に「荒ビ乙る蝦夷等」となっていることによって明きらかだ”という。
仮に、橋本のいうように、“上代語の上二段が平安語で上一段に変化した”なら、それは日本語の歴史における巨大な変化だから、そのことを示す用例が多々現れて当然である。だが、上代語に見える上二段連体形「恋ふる」は平安語でも「恋ふる」のままであり、「恋ひる」の用例は見いだせない。
第四。「荒ビ乙る」の他に、「荒び甲る」があり、両者の第三音素節は甲類・乙類が異なる。橋本はこのことについて説明しない。
第五。橋本は「いさちる」について論じない。『古事記』上巻には連体形「いさちる〈伊佐知流〉」が二度現れる。「いさちる」は平安時代の文献では「いさつる」と記される。そうすると、橋本の論法にならえば、“上代語の上一段活用は平安語では上二段活用に変化した”ということになろう。これは橋本のいう「上二段が上一段に変化した」とは逆の内容である。
(2)山口佳紀の見解。
山口佳紀は『古代日本語文法の成立の研究』351頁および『古代日本語史論究』319頁で「荒ビ乙る」「荒び甲る」について述べる。後者の文を引用する。
山口はいう。「アラビルのビの甲乙は、宣命(備=乙)と祝詞(比=甲)とで食い違っているいるが、文献の成立年代から見て、前者を優先させ、乙類であったと考えるべきである。」
山口は「成立年代から見て、前者を優先」というが、それは適切な視点ではない。成立年代から見るならば、『古事記』の「荒ぶる」だけを採ればよいということになろう。だが、それでは、〔動詞活用は時代とともにどのように変遷するか〕を探る手がかりを放棄することになる。私たちは「荒ビ乙る」「荒び甲る」を同等に尊重して、上代近畿語の上二段連体形「荒ぶる」が平安語初期に二つの形に変化する理由を考察せねばならない。
さて、山口は宣命の「荒ビ乙る」に焦点を当てて次のとおりいう。「アラビルは、「アラ(荒)+ミル(廻)」の転と解すべきであろう。(中略)マ行音がバ行音化するのはよくあること」。
山口は「マ行音がバ行音化するのはよくある」というが、“すべてのマ行音素節がバ行音素節に転じてよい”というわけではない。本質音にMMが含まれるなど、特定の音素配列の場合にのみ、マ行音素節がバ行音素節に転じる。“天飛ぶ”に相当する語句は、上代語では「天トぶ〈阿麻等夫〉」[万5 ―876]とも、「天だむ〈阿麻陀牟〉」[允恭記歌82]とも表記される。これは、『上代特殊仮名の本質音』第61章で述べたように、「飛ぶ」「飛む」双方の本質音が同一で、MMが含まれるからである。二つのMが共に顕存して融合すればバ行が現れ、前のMが潜化すればマ行が現れるのである。
山口は「アラビルは、「廻る」が「びる」に転じた」というが、「廻る」「廻」第一音素節が「ミ乙」と表記される用例は、「うち廻る〈宇知微流〉」[記上巻歌5]・「磯廻〈伊蘇未〉」[万17 ―3954]など多数あるが、それが「ビ乙」になった用例はない。「「荒ビる」を「アラ(荒)+ミル(廻)」の転」と解する山口説には従えない。
(3)川端善明の見解。
川端善明は「荒ビ乙る」「荒び甲る」の成立過程について、『活用の研究Ⅱ』157頁で次のとおりいう。「アラビルというその語形態を、上二段アラブの連用形に対してその一種の再動詞化とし、四段活用に到達する可能性をもった形と見ることもできる筈である。言わば語幹はアラでなく、アラビであり、語幹内部なるビは、(中略)乙類であらざるを得ないが、広義に、そして再動詞化なるものを、(中略)類比的に把握するならば、むしろ甲類であることを適切とするであろう」。
私なりに川端説を要約しよう。“「荒ビ乙る」は、上二段「荒ぶ」を基にして、四段活用として再動詞化したものである。その語幹は上二段「荒ぶ」の連用形たる「荒ビ乙」であり、語尾は「る」である。”
川端の仮説を検証するために、動詞「ヨロコぶ」(喜ぶ・良ロコぶ)に着目しよう。「ヨロコぶ」は再動詞化して、上二段動詞から四段動詞に転じたからである。
[平安語初期] 上二段活用。
《連用》 つてに用法。 悦コビ〈悦己備〉嘉しみ[祝詞遣唐使時奉幣]
《未然》 ヨロこびざるトコロ〈与呂古比左流止古呂〉
[日本書紀私記(乙本)神代上紀第四段本文「淡路洲為胞意所不快」の「不快」の注。新訂増補国史大系8。55頁]
[平安語前期(平安時代後期)] 四段活用。
《連体》 ヨロコブココロ[日本書紀前田本仁徳即位前条「驩心」傍訓]
これらの事例により、次のことが解る。上二段動詞が再動詞化して四段動詞に転じる場合、語幹は変化しない。活用行も変化しない。上二段活用でバ行で活用するなら、四段活用に転じても、バ行で活用する。
したがって、上二段動詞「荒ぶ」が再動詞化して四段動詞に転じたならば、連体形は「荒ぶ」になるのであって、「荒ビる」や「荒びる」になることはない。よって、私は川端説には賛同できない。
【3】「荒ビ乙る」「荒び甲る」についての私見
(1)「荒ビ乙る」「荒び甲る」の本質音は上代語「荒ぶる」と同一。
上代語「荒ぶる」と平安語初期の「荒ビ乙る」「荒び甲る」の語素構成は同一で、「荒BW+YRY+AU」である。
[上代] 荒ぶる=荒BW+YRY+AU→あらBWYRYAU
WYでは、Yは潜化し、Wは顕存する。
→あらBWy ―RyaU→あらBW ―RU=あらぶる
[平安語初期1] WYでは、WYが融合する。
荒ビる→あらBWYRYAU→あらB{WY} ―RyaU=あらビ乙る
[平安語初期2] WYでは、Wは潜化し、Yは顕存する。
荒びる→荒BwYRYAU→あらBY ―RyaU=あらび甲る
(2)八世紀半ば頃から10世紀前半頃の平安語初期は上代語から平安語に移行する過渡期である。
上代語と平安語との間には大きな段差がある。上代語にあった上代特殊仮名の識別は平安語では消滅する。上代語では上甲段活用した「見」「着」は平安語では上一段活用になる。上代語では上乙段活用した「干」「居」は平安語では上一段活用になる。上代語では下二段活用した「蹴ゑ」(連用形)は平安語では下一段活用になる。このような大きな変化は旦夕に完了するものではなく、数十年あるいはそれ以上の過渡期を経て移行したであろう。その過渡期においては、上代語とは異なり、平安語の通例とも異なる試行形が現れて当然である。宣命・祝詞に見える連体形「荒ビ乙る」「荒び甲る」は平安語初期という過渡期に現れた試行形だと考える。
§2 上代近畿語の「賜へ甲る」が続日本紀で「賜∧乙る」になるのはどうしてか
【1】上代近畿語の「賜へ甲る」が続日本紀で「賜∧乙る」になるのはどうしてか
上代近畿語では、「賜ふ」が完了存続助動詞「り」に上接すると、「賜へ甲る〈多麻敝流〉」[万18 ―4098]になる。他方、平安語初期の文献『続日本紀』には「賜∧乙る」という用例が見える。
立て賜ひ敷き賜∧乙る〈賜閉魯〉法ノ随に
[続紀神亀元年(西暦724年)宣命5]
(1)続日本紀宣命第5詔の「賜∧乙る」の遷移過程。
平安語初期の「賜∧乙る」の語素構成は上代近畿語の「賜へ甲る」の語素構成と同一である。
[上代] 賜へる=賜P+Y+AYる→たまP{YAY}る=たまへ甲る
[平安語初期] 賜∧る→賜PYAYる→たまP{YAY}る
{YAY}では、後のYは潜化する。{YAy}は「エ乙・え丙」を形成する。
→たまP{YAy}る→たま∧乙る
(2)「たま∧乙る」は試行形ではなく、平安語そのもの。
『続日本紀』宣命62の「荒ビ乙る」と『延喜式』の「荒び甲る」についてはこれらを平安語初期に現れた試行形だとした。それは、「荒ビ乙る」「荒び甲る」という連体形が一般の上代語にも一般の平安語にも合致しないからである。
これに対し、「たま∧乙る」は平安語「たまへる」と合致し得る。
おもひしづまり給へるを。[源氏物語帚木]
平安語の「たまへる」の「へ」が「へ甲」であるか「∧乙」であるかは不明だったが、これを「∧乙」相当だと考える。そうすると宣命5の「賜∧乙る」の「∧乙」は平安語の「たまへる」の「へ」に合致する。
そこで、このことを一般化して次のとおり考える。
平安語の「え」段音節は上代語の「エ乙」段音節と同じ音韻である。
【2】上代特殊仮名「え甲・エ乙」の識別は、「え甲」が「エ乙」に転じることによって消滅した
上代特殊仮名「え甲・エ乙」の識別の消滅について次のように考える。
上代語で「え甲」相当の音素節を形成していた{YAY}・{YOY}・{Y∀Y}などの末尾にあるYは、平安語では潜化する。{YAy}・{YOy}・{Y∀y}などは「エ乙」を形成するから、上代語で「え甲」段相当であった音素節は平安語ではすべて「エ乙」段相当の音素節に転じる。
上代語で「エ乙」段相当であった音素節は平安語でもそのまま「エ乙」段相当のままである。
それで平安語ではすべての「え」段音素節は「エ乙」段相当の音素節に統一される。
この経緯によって「え甲」「エ乙」の識別は消滅した。
§3 平安語四段活用・現代語五段活用の命令形
【1】平安語四段活用命令形の遷移過程
もろ共に 哀とおもへ 山桜[金葉和歌集9 ―557]
平安語の命令形「おもへ」の語素構成は、上代語の四段動詞命令形と同様である。
[平安] 思へ=思P+YOY→おもPYOY→おもP{YOY}
平安語では{YOY}の末尾のYは潜化する。P{YOy}は「∧乙」相当の音韻になる。
→おもP{YOy}=おも∧
【2】現代語五段活用命令形の遷移過程
現代語の命令形「履け」の「け」の本質音・現象音は上代東方語命令形「履ケ」の「ケ」と同一である。
履け=履K+YOY→はK{YOY}
{YOY}の末尾のYは潜化する。
→は{KYOy}→はケ