第54章 助詞「ロ・ら」 R∀Ω

【1】助詞「ロ」の意味・用法

助詞「ロ乙」「ら」には種々の意味があるが、その一部を述べる。
(イ) 体言に続いて後続語を連体修飾する。
吾ロ〈呂〉旅は[万20 ―4343防人歌。“私の旅は”]
(ハ) 直前の語が直後の動詞の目的語であることを表す。
網張り渡し 目ロ〈慮〉寄しに寄し
[神代下紀第九段一書第一 紀歌3。“網を張り渡して(魚を捕らえ、網を引き、網の)目を寄せるが、(近くの物を見る時に左右の黒目を寄せる。)そのように、(皆様の左右の)黒目を、寄せに寄せて(すぐ近くで私の兄を見てください)”]
(ホ) 親愛感を表す。
妹ロ〈呂〉を立てて さ寝床払ふモ[万14 ―3489東歌]
衣に益せる 子ロ〈侶〉が肌はモ[万20 ―4431昔年防人歌]
(ト) 譬喩を表す。……のようだ。
木幡ノ道に 遇はしし媛女 後方は 雄墳ロ〈袁陀弖呂〉かモ
[応神記歌42]
「雄墳」は前方後円墳のこと。「うしロでは雄墳ロかモ」は、“後から見た姿は前方後円墳(のふくらみ・くびれ)のようだなあ”の意。矢河枝比売命の体型を讃えた句である。詳細は『古事記歌謡全解』応神記歌42の段参照。
猪串ロ〈慮〉 うま眠寝し間に[継体紀7年 紀歌96]
「鹿串」=“串にさして焼いた鹿肉・猪肉”といえば想いおこすのは「うま(美味・完熟)」だがその「うま」で始まる、ということで、「鹿串ロ」は「うま眠」(熟睡)にかかる枕詞になる。
(リ) 再述代名詞。
織ロす布 誰が種ロ〈呂〉かモ[仁徳記歌66]
「ロ」は「布」を受ける。“あなたが織っていらっしゃる布は誰れの(衣服の)素材になる布なのかね。”
さ夜床を 並∧”む君は 畏きロ〈呂〉かモ[仁徳紀22年 紀歌47]
「ロ」は「君」を受ける。“愛の寝床を(三人分)並べようとする君はおそるべき君だなあ。”
身ノ盛り人 トモしきロ〈呂〉かモ[雄略記歌94]
「ロ」は「人」を受ける。“身分も若さも全盛期の人(たる大后)はうらやましい人だなあ。”
二つの石を (中略) 奇し御玉 今ノ現に尊きロ〈呂〉かむ
[万5 ―813]
「ロ」は「石」を受ける。“二つの石、希有貴重な宝、今現実にあるとは、尊い石だなあ。”
(ヌ) 直前語の周囲・近隣を含む広い地域を表す。…のあたり。
吾が家ロ〈呂〉に 行かも人モが[万20 ―4406防人歌]

【2】助詞「ら」の意味・用法

(ニ) 形容詞の語幹に続いて後続の体言を修飾する。
[近畿] 薄ら〈良〉氷ノ 薄き心を[万20 ―4478]
[近畿] あから〈阿加良〉媛女[応神記歌43]
(ホ) 親愛感を表す。
[東方] 駿河ノ嶺ら〈祢良〉は 恋ふしくメあるか[万20 ―4345防人歌]
(リ) 再述代名詞。
[近畿] 花橘 下づ枝ら〈羅〉は 人皆取り
[応神13年 紀歌35。「ら」は「花橘」を受ける]
(ヌ) 直前語の周囲・近隣を含む広い地域を表す。…のあたり。
[近畿] 荒野ら〈等〉に 里はあれドモ[万6 ―929]
「ら」には“複数”を表すものがあるが、これは助詞「ら」とは別の語なので、次章で述べる。

【3】助詞「ロ・ら」の本質音はR∀Ω

(1)助詞「ロ・ら」。

助詞「ロ」「ら」は、いずれもラ行一音節であり、意味・用法には共通する点がある。そこで助詞「ら」は助詞「ロ」と同一語で、その音韻転化したものだと考える。助詞「ロ」「ら」をまとめて助詞「ロ・ら」と表記する。

(2)助詞「ロ・ら」の本質音はR∀Ω。

助詞「ロ・ら」の本質音はR∀Ωだと推定する。

【4】助詞「ロ・ら」が「ら」になる遷移過程

[近畿] 下づ枝ら=しづイエR∀Ω→しづイエR∀ω=しづイエR∀=しづイエら
[東方] 嶺ら=ねR∀Ω→ねR∀ω=ねR∀=ねら
このとおりでよいのだが、吟味すべきことがある。近畿語では助詞「ノ・な=N∀Ω」では、呼応潜顕が起きない場合、∀は潜化し、Ωは顕存するので、「ノ」になる。これに対し、助詞「ロ・ら=R∀Ω」では、近畿語においても、∀が顕存してΩが潜化することがよくある。同じ母音部∀Ωでありながら「ノ・な」と「ロ・ら」の遷移が異なるのはどうしてか。
近畿語のラ行音素節の母音部の潜顕の仕方は他の行と異なることがある。
母音部がYUYの事例で説明しよう。「寂し=さBYUYし」は「さByUyし=さぶし」になるが、同じ母音部であっても、「針」「百合」「しり方」の「り=RYUY」は、近畿語では「RYuY→RyY=り」になる。母音部が同じであっても、直前の父音素がRの場合と、R以外の場合とでは、異なる遷移が起きるのである。近畿語で「ロ・ら=R∀Ω」の遷移過程が「ノ・な=N∀Ω」と異なるのも、前者では父音部がRであるのに対し、後者では父音部がR以外だからである。

【5】「坐すら男」が「ますらを」になる遷移過程

「ますらを〈麻須良袁〉」[万17 ―3973]の構成は「坐す+助詞ら+男」だと考える。
坐すら男=坐す+R∀Ω+WO→ますR∀ΩWO
R∀ΩWOでは、兼音素Ωは父音素性を発揮し、音素節ΩWOを形成する。その父音部ΩWでは、Ωは潜化し、Wは顕存する。
→ますR∀ ―ΩWO→ますR∀ ―ωWO=ますR∀ ―WO=ますらを