§1 船余り・雨籠モり
【1】「船」第二音素節が「ね」にも「な」にもなる理由
「船」の読みは、後続語と熟合しない場合には「ふね」だが、後続語と熟合した場合には「ふな」になる。
[上代1] 鈴船〈赴泥〉取らせ 腰難み 其ノ船〈赴尼〉取らせ 大御船〈赴泥〉取れ[仁徳紀30年 紀歌51]
[上代2] ふな〈布儺〉あまり い帰り来むゾ[允恭紀24年 紀歌70]
「船」が単独の場合に「ふね」になる形は露出形と呼ばれ、「船」に後続語が熟合して「ふな」になる形は被覆形と呼ばれる。本章で問題にしたいのは、何が原因で、どのような経緯で、露出形「ふね」が被覆形では「ふな」になるのか、ということである。
「船」第二音素節の母音部は∀¥だと推定する。
[上代1] 「ふね」になる。「船」が後続語と熟合しない場合、「ね=N∀¥」の¥は母音素性を発揮する。∀¥は融合する。N{∀¥}は「ね」になる。
船=ふN∀¥→ふN{∀¥}=ふね
[上代2] 「ふな」になる。「余り」の「あ」はAだと推定する。
船余り=ふN∀¥+Aまり→ふN∀¥Aまり
∀¥が後続語と熟合すると、遊兼音素¥は父音素性を発揮して音素節を形成する(¥の後方編入)。
→ふN∀ ―¥Aまり
音素節¥Aでは、¥は父音部になるが、近畿語では父音部たる¥は潜化する。
→ふN∀ ―jAまり=ふなあまり、
【2】「雨」第二音素節が「メ乙」にも「ま」にもなる理由
「雨」第二音素節は、後続語と熟合しない場合には「メ乙」になり、後続語と熟合すれば「ま」になる。
[上代1] あメ乙〈阿米〉立ち止メむ[允恭記歌80]
[上代2] あま籠モり〈安麻其毛理〉 物思ふ時に[万15 ―3782]
「雨」第二音素節の母音部は∀¥だと推定する。「雨」が後続語と熟合しない場合、∀¥は融合する。M{∀¥}は「メ乙」になる。
雨=あM∀¥→あM{∀¥}=あメ乙
[上代2] 「籠モり」の「籠」の本質音はKGOだと推定する。
雨籠モり=あM∀¥+KGOモり→あM∀¥KGOモり
¥は父音素性を発揮して音素節¥KGOを形成する。
→あM∀ ―¥KGOモり
父音部¥KGでは、遊兼音素¥は潜化し、Kも潜化し、Gは顕存する。
→あM∀ ―jkGOモり=あM∀ ―GOモり=あまゴモり
§2 「足跡」が「あト」、「足結ひ」が「あゆひ」、「鐙(足踏み)」が「あぶみ」と読まれる理由
【1】「足」の「し」は脱落することがある
[上代1] [足」の読みは、後続語と熟合しない場合には「あし」である。
牡蠣貝に 足〈阿斯〉踏ますな[允恭記歌86]
[上代2] 「足」が後続語と熟合した場合には「し」が脱落することがある。「足跡」「足結ひ」「足踏み」などがその事例である。
御足跡〈阿止〉作る 石ノ響きは[仏足石歌1]
足結ひ〈阿由比〉ノ小鈴[允恭記歌81]
川ノ渡り瀬 足踏み〈安夫美〉浸かすモ[万17 ―4024]
【2】「足」の「し」が脱落する理由
「足」の本質音はAS¥だと推定する。
[上代1] AS¥が後続語と熟合しない場合には、¥は母音素性を発揮する。S¥はサ行・¥段(い段)の「し」になる。
足=AS¥→A ―S¥=あし
[上代2] 「足跡」「足結ひ」「鐙(足踏み)」で「し」が脱落する遷移過程。
(1)「足跡」で「足」の「し」が脱落する遷移過程。
「跡」の本質音はTOだと推定する。
足跡=足+跡=AS¥+TO→AS¥TO
母音部Aの後に、父音素Sと、遊兼音素¥と、父音素Tが続く。このように、Aの後に父音素と遊兼音素¥と父音素が続く場合、母音部Aは遊兼音素¥に父音素性を発揮させる。
¥が父音素性を発揮した場合、AS¥Tでは、母類音素Aの後に、父音素性を発揮する音素がS・¥・T三連続する。それでSは母類音素Aに付着して音素節ASを形成する(父音素の前方編入)。¥はTOと結合して音素節¥TOを形成する(¥の後方編入)。ASと¥TOの間で音素節が分離する。
→AS ―¥TO
ASでは、音素節末尾にある父音素Sは潜化する(末尾父音素潜化)。
¥TOの父音部¥Tでは、遊兼音素¥は潜化し、父音素Tは顕存する。
→As ―jTO=A ―TO=あト乙
このような経緯で「足」の「し」は脱落する。
(2)「足結ひ」で「足」の「し」が脱落する遷移過程。
「結ひ」の本質音は「YUひ」だと推定する。
足結ひ=足+結ひ=AS¥+YUひ→AS¥YUひ
母音部Aの後に、父音素Sと、遊兼音素¥と、ヤ行父音部のYが続く。この場合、母音部Aは¥に父音素性を発揮させる。Aの直後には父音素性を発揮する音素がS・¥・Y三連続する。それでSは母類音素Aに付着して音素節ASを形成する。¥はYUと結合して音素節¥YUを形成する。
→AS ―¥YUひ→As ―¥YUひ
父音部¥Yでは、遊兼音素¥は潜化し、通兼音素Yは顕存する。
→A ―jYUひ=A ―YUひ=あゆひ
(3)「足踏み」で「足」の「し」が脱落する遷移過程。
「踏み」の本質音は「PBUみ」だと推定する。
足踏み=AS¥+PBUみ→AS¥PBUみ
AS¥PBでは、母音部Aは¥に父音素性を発揮させる。父音素性を発揮する音素がS・¥・P・B四連続する。それでSはAに付着して音素節ASを形成する。¥はPBUと結合して音素節¥PBUを形成する。
→AS ―¥PBUみ→As ―¥PBUみ
父音部¥PBでは、¥とPは潜化し、Bは顕存する。
→A ―jpBUみ=A ―BUみ=あぶみ
§3 「下下」が「したた」と読まれる理由
「下」に「下」が続くと後の「し」が脱落して「したた」になる。
軽ノ媛女 下下〈志多多〉にモ 寄り寝て通れ[允恭記歌83]
「下下に」の原義は、『古事記歌謡全解』記歌83の段で述べたように、“(上半身を)下に下に低くして”で、“謙虚に”の意になる。
「下」の本質音はS¥TAだと推定する。
下下=S¥TA+S¥TA→S¥TAS¥TA=しTAS¥TA
母音部Aに父音素と遊兼音素¥と父音素が続く場合、母音部Aは¥に父音素性を発揮させる。Aの後に父音素性を発揮する音素がS・¥・T三連続する。それでSはAに付着して音素節TASを形成する。¥はTAと結合して音素節¥TAを形成する。
→しTAS ―¥TA→しTAs ―¥TA
父音部¥Tでは、¥は潜化し、Tは顕存する。
→しTA ―jTA=しTA ―TA=したた