§1 「しコメしコメき」はク形容Y∀Y群
【1】「女(め・み・メ)」の本質音はMY∀Y
“女”の意味の一音節語は、第44章で述べたように、8世紀の近畿語では「め甲」と読まれ、東方語および7世紀前半の近畿語では「み甲」とも読まれ、九州語では「メ乙」とも読まれる。
「め甲」「メ乙」「み甲」と読まれる「女」の本質音はMY∀Yだと推定する。
[近畿1] 「め甲」になる場合は、Y∀Yは融合する。{Y∀Y}は「え甲」を形成する。
女=MY∀Y→M{Y∀Y}=め甲
[九州] 「メ乙」になる場合、Y∀Yは融合するが、{Y∀Y}の末尾のYは潜化する。{Y∀y}は「エ乙」を形成する。
女=MY∀Y→M{Y∀Y}→M{Y∀y}=メ乙
[近畿2・[東方] 「み甲」になる場合は、Yは∀を双挟潜化する。
女=MY∀Y→MYαY→MyY=MY=み甲
【2】ク活用形容詞連体形「しこメき」の遷移過程
ク活用「しコメき」は、第44章で述べたように、「醜女き」の義である。よって、その語幹末尾はMY∀Yである。
醜女き=醜+MY∀Y+S¥+KYΩY→しコMY∀YS¥KYΩY
母音部Y∀YにS¥Kが続く場合、Y∀Yは¥に父音素性を発揮させる。
→しコMY∀YS ―¥KYωY→しコMY∀Ys ―jKyY
→しコM{Y∀Y} ―KY
九州語では{Y∀Y}の末尾のYは潜化することがある。
=しコM{Y∀y} ―KY=しコメ乙き甲
【3】ク形容Y∀Y群
語幹末尾音素節の母音部がY∀Yである形容詞はク活用する。
語幹末尾母音部がY∀Yである形容詞・形容源詞をク形容Y∀Y群と呼ぶ。
§2 「若たける」「獲加多支鹵」と「武き」
ク活用「武し」の語幹末尾母音部がどのようであるかを考えたい。
勇みたる 武き〈多家吉〉軍卒ト[万20 ―4331]
【1】「獲加多支鹵」第四音素節は「き甲」
埼玉県稲荷山古墳出土鉄刀の銘文には「獲加多支鹵大王」とある。この「支」の読みは何か。
岸俊男・田中稔・狩野久は『稲荷山古墳出土鉄剣金象嵌銘概報』でいう。「「支」は音仮名の字母としては、甲類の「キ」を表わし、これを「ケ」とよむ例はない。」
この内容は正しい。“「獲加多支鹵」の「支」は「き甲」である”を最終的な結論とせねばならない。
ところが岸らは逆接の接続詞「しかし」を用いて、「しかし、継体紀で同じ甲類の「キ」の音仮名の字母として用いられている「祁」が他方では一般に「ケ」とよまれ、「キ」「ケ」両方に用いられている。」といい、「獲加多支鹵」の「支」の読みを「け甲」だとする。
岸のこの論法には従えない。「支」と「祁」は別の漢字であり、音韻が異なる。『広韻』によれば、「支」は平声で支韻に属する。他方、「祁」は平声としては脂韻に属し、上声としては旨韻に属する。だから、〔「祁」が「け」「き」両方に読まれる〕からといって、それを理由にして“「支」も「き」「け」両方に読まれる”と断定してはならない。
「支」の読みは「き甲」である。「獲加多支鹵」の「支」は「き」である。
「獲加多支鹵」の「鹵」は、『上代特殊仮名の本質音』第152章で述べたように、「ろ甲」だと考える。「獲加多支鹵」の読みは「わかたき甲ろ甲」である。
【2】「建・武」第二音素節の本質音はどのようか
「獲加多支鹵」の意味は、漢字2字で表せば「若建」[景行記など]・「幼武」[雄略紀]だと考える。8世紀での「若建」の「建」読みは、「出雲建」の「建」と同一で、「たけ甲る〈多祁流〉」[景行記]である。
そこで「獲加多支鹵」なる人物は、古墳時代には「わかたき甲ろ」と呼ばれたが、八世紀では「わかたけ甲る」と呼ばれたと考える。
「たき甲・たけ甲」第二音素節の本質音はどのようか。
〔古墳時代には「い甲」段で八世紀には「え甲」段になる〕という変化は「女=MY∀Y」と同様である。そこで「建・武(たけ甲る・たき甲ろ)」第二音素節の本質音はKY∀Yだと推定する。
そしてク活用形容詞「武し」の語幹「たけ甲」は、「建・武」の「たけ」と同一で、「たKY∀Y」だと推定する。
「武し」は、語幹末尾音素節の母音部はY∀Yだから、ク形容Y∀Y群に含まれる。
【3】ク活用連体形「武き」が「たけき」になる遷移過程
武き=たKY∀Y+S¥+KYΩY→たKY∀YS¥KYωY
→たKY∀YS ―¥KyY→たK{Y∀Y}s ―jKY=たけ甲き
【4】ク活用「侮し」
礼無くして従はず、なめ甲く〈奈売久〉あらむ人をば帝ノ位に置くコトは得ずあれ[続紀天平宝字八年宣命29]
「なめ甲し」は、「たけ甲し」と同じく、語幹末尾音素節「え甲」段である。そして両者ともク活用である。そこで「なめし」の語幹末尾音素節「め」の母音部は、「武し」第二音素節と同じく、Y∀Yだと推定する。「侮し」はク形容Y∀Y群に属する。