第67章 形容詞已然形語尾が「けれ」「け」「か」「き」になる理由  ―ク形容¥O¥群

§1 形容詞已然形の接続用法・コソや用法

上代語の形容詞已然形の語尾は「けれ」「け」「か」「き」の四通りあるが、§1・§2では「けれ」「け」「か」について述べる。
形容詞の已然形には接続用法と コソや用法とがある。

【1】形容詞已然形接続用法

形容詞已然形語尾「けれ」「け」「か」に「ば」「は」「ド」「ト」「ドモ」が続く用法を形容詞已然形の接続用法と呼ぶ。
[近畿1] 近畿語で已然形語尾が「けれ」になる。
《ク活》 若ければ〈和可家礼婆〉 道行き知らじ[万5 ―905]
返しやる 使ひ無ければ〈奈家礼婆〉[万15 ―3627]
[近畿2] 已然形語尾が「け」になる。
《シク活》 倉橋山は 嶮しけド〈佐賀斯祁杼〉[仁徳記歌70]
《ク活》 畝傍山 木立ち薄けト〈于須家苔〉[舒明即位前 紀歌105]
奈良ノ大路は 行き良けド〈余家杼〉[万15 ―3728]
吾が恋ヒ止まず 本ノ繁けは〈之繁家波〉[万10 ―1910]
雷な鳴りソね 吾が上には 故は無けドモ〈奈家杼母〉 児らに依りてソ[万14 ―3421東歌]
[東方] 已然形語尾が「か」になる。
打つや斧音ノ 遠かドモ〈等抱加騰母〉[万14 ―3473東歌]

【2】形容詞已然形コソや用法

形容詞已然形が助詞「や」に上接する用法と、係助詞「コソ」を結ぶ用法をまとめて形容詞已然形のコソや用法と呼ぶ。
《シク活》 少なくモ 年月経れは 恋ヒしけれやモ〈古非之家礼夜母〉
[万18 ―4118]


§2 形容詞已然形語尾「けれ」「け」「か」の遷移過程

【1】形容詞の語尾の定義

形容詞を形成する音素節のうち、〔活用語足を形成する音素群のうち、顕存している音素〕を一つでも含む(単数または複数の)音素節を、形容詞の語尾と呼ぶ。
形容詞の末部にあるカ行音節・ラ行音節は語尾である。
形容詞終止形の末部にある「し」は、その現象音S¥の¥が終止形活用語足たる¥だから、語尾でもない。

【2】形容詞已然形語尾「けれ」「け」「か」についての従来説

(1)山田孝雄の“「く+あれ」が「か」「け」になった”説。

山田孝雄は『奈良朝文法史』199~200頁で、形容詞カリ活用已然形「かれ」に関係付けて次のとおりいう。「「かり」の活用は下に複語尾助詞の接してある時に往々音の上に変化を生ずることあり。(中略)已然形の「かれ」は「か」と約せらるることあり。「かど」これなり。かくて「かれ」は又下の「れ」音の感化によつて「けれ」となることあり。その「けれ」が、又助詞「ば」「ど」「ども」につづくときに約められて「け」となることあり。「けば」「けど」「けども」の如きこれなり。」
山田の形容詞已然形についての説明には賛同できない。山田は「「かれ」は又下の「れ」音の感化によつて「けれ」となる」というが、その「かれ」は「形容詞連用形語尾く+ラ変動詞已然形あれ」の縮約したものであり、その「れ」は動詞已然形の語尾だから、「エ乙」相当である。だから、「かれ」が「れ」音の感化によって「けれ」になたのなら、その「け」は「ケ乙」でなくてはならない。だが文献事実はそうではない。形容詞已然形「けれ」「け」の「け」はすべて「け甲」である。

(2)北条忠雄の“「しげかく」は「しげからく」の「ら」が脱落したもの”説。

北条忠雄は『上代東国方言の研究』449~450頁で、東方語の「良かば」「遠かば」や「あやほかト〈安夜抱可等〉」[万14 ―3539東歌]や、「ク(所謂接尾語)の接したもの」たる「しげかく〈之牙可久〉」[万14 ―3489東歌]などの用例を挙げて、次のとおりいう(圏点は省略して引用する)。「下に接した助詞バ・ドモ及び接尾語クからいへば、これらの ―カは、形容詞といふよりは、むしろ動詞性のものであること疑ふ余地あるまい。この ―カの動詞性を考へるとき、そこに想定される原形は、所謂形容動詞のカリ活用である。(中略)前に掲出した遠カ・善カ・危ホカ・繁カの動詞性と、このカリ活形容動詞とを相比照するとき、両者は全く同質のものと考へられ、ここに、遠カ・善カ・危ホカ・繁カは、カリ活形容動詞の語尾ラ・リ・ル・レのいづれかが脱落したものと考へられることになる。」
北条は「カリ活形容動詞の語尾ラ・リ・ル・レのいづれかが脱落したもの」というが、語尾の「ら」「り」「る」「れ」は脱落するものなのか。
「しげかく」の事例で説明する。「しげかく」はク語法と呼ばれる用法である。北条は、“「しげかく」は、「しげく+ラ変ク語法あらく」が縮約して「ら」が脱落したもの”とするのである。
だが、ラ変ク語法の用例は、「あらく〈阿良久〉」[万5 ―809]・「けらく〈家良久〉」[万18 ―4106]になるが、その「ら」が脱落した用例は文献事実にない。よって、私は北条説には従えない。

【3】形容詞已然形接続用法の遷移過程

形容詞已然形接続用法の活用語足はKYAYRY∀YMだと推定する。
[近畿1] 已然形語尾が「けれ」になる遷移過程。
《ク活》 無ければ=NA+S¥+KYAYRY∀YM+P∀
→NAS ―¥KYAYRY∀Y{MP}∀→NAs ―jKYAYRY∀Yば
YAYは融合し、Y∀Yも融合する。R前後のYは共に融合音に含まれる。この場合、Rは双挟潜化されない。
→NA ―K{YAY} ―R{Y∀Y}ば=なけ甲れば
[近畿2] 已然形語尾が「け」になる遷移過程。
《シク活》 嶮しけド=さG∀+S¥+KYAYRY∀YM+TO
→さG∀ ―S¥ ―KYAYRY∀Y ―{MT}O
YはRを双挟潜化する。
→さがしKYAYrY∀Yド=さがしKYAYY∀Yド
YAYは融合する。
→さがしK{YAY}Y∀Yド→さがしK{YAY}yαyド
=さがしK{YAY}ド=さがしけ甲ド
《ク活》 薄けト=うSU+S¥+KYAYRY∀YM+TO
→うSUS ―¥KYAYRY∀YM ―TO
→うSUs ―jKYAYrY∀Ymト→うSU ―K{YAY}Y∀Yト
→うすK{YAY}yαyト=うすK{YAY}ト=うすけ甲ト
[東方] 已然形語尾が「か」になる。
遠かドモ=トP¥O¥+S¥+KYAYRY∀YM+TOモ
→トP¥O¥S¥KYAYRY∀Y{MT}Oモ
母音部¥O¥にS¥Kが続く場合、¥O¥はS¥Kの¥に父音素性を発揮させる。
→トP¥O¥S ―¥KYAYRY∀Yドモ
→トP¥O¥s ―jKYAYrY∀Yドモ→トPjOj ―KYAYY∀Yドモ
母音部YAYY∀Yでは、完母音素Aは顕存し、他は潜化する。
→トPO ―KyAyyαyドモ=トPO ―KAドモ=トほかドモ

【4】ク形容¥O¥群

「遠し」のように、語幹末尾音素節の母音部が¥O¥である形容詞はク活用する。
語幹末尾母音部が¥O¥である形容詞をク形容¥O¥群と呼ぶ。

【5】形容詞已然形コソや用法の遷移過程

コソや用法の活用語足はKYAYRY∀Yだと推定する。
《シク活》 恋ヒしけれやモ=恋PW+¥Ω+S¥+KYAYRY∀Y+YA+モ
→こPW¥Ω ―S¥ ―K{YAY} ―R{Y∀Y} ―YAモ
→こP{W¥}ωしけ甲れやモ=こヒ乙しけ甲れやモ


§3 形容詞已然形語尾「き」の遷移過程

【1】「コソ」を結ぶ形容詞已然形語尾は「き」になる

[近畿3] 「コソ」を結ぶ形容詞の語尾はすべて「き」になる。
《シク活》 いにしへモ 然かにあれコソ〈有許曽〉 うつせみモ 妻を争ふらしき〈良思吉〉[万1 ―13]
う∧”しコソ〈社〉 見る人ゴトに 語り継ぎ 偲ひけらしき〈家良思吉〉
[万6 ―1065]
《ク活》 鮎コソ〈挙曽〉は 島傍モ良き〈曳岐〉[天智紀10年 紀歌126]
野を広み 草コソ繁き〈許曽之既吉〉[万17 ―4011]

【2】「コソ…形容詞語尾き」についての従来説

山口佳紀は『古代日本語文法の成立の研究』285頁で次のとおりいう。「上代において、形容詞は、動詞のように〈~コソ~已然形〉の呼応をなさず、〈~コソ~連体形〉の呼応が行なわれた」。
山口は「コソ…形容詞語尾き」の「き」を連体形だというのだが、どうしてこの場合の「き」が連体形だといえるのか、その説明はない。
上代語・平安語では、〔係助詞「コソ」を結ぶ活用語は已然形になる〕という規則性がある。山口は“「コソ」を結ぶ形容詞「き」の活用は連体形”だというが、それは上代語・平安語の規則性に違背する見解である。

【3】「コソ」を結ぶ形容詞「良き」「らしき」は已然形

〔係助詞「コソ」を結ぶ活用語は已然形である〕という命題は上代語・平安語文法の鉄則である。そして「コソ」を結ぶ形容詞の語尾はすべて「き」である。よって、「コソ」を結ぶ形容詞「良き」「らしき」は已然形だと論定できる。

【4】「コソ」を結ぶ形容詞已然形「き」の遷移過程

(1)近畿語で「コ乙」、東方語で「こ甲」になる「コソ」第一音素節はKOΩO。

形容詞已然形語尾が「き」になるのは、近畿語で、係助詞「コソ」を結ぶ場合だけである。
「コソ」は近畿語で「コ乙ソ」だが、東方語では「忘ら来ばこ甲ソ〈古曽〉」[万14 ―3394東歌]のように、「こ甲ソ」になる。『上代特殊仮名の本質音』第42章で述べたように、「コ乙ソ・こ甲ソ」の本質音はKOΩOSOだと推定する。
近畿語でKOΩOSOが「コ乙ソ」になるのは、KOΩOのOΩOとSOのOが呼応潜顕し、共にOになるからである。OΩOでは、OはΩを双挟潜化する。
[近畿] コソ=KOΩOSO→KOωOSO→KoOSO=KOSO=コ乙ソ
東方語で「こ甲ソ」になるのは、OΩOが融合するからである。{OΩO}は「お甲」を形成する。
[東方] こソ=KOΩOSO→K{OΩO}SO=こ甲ソ

(2)「コソ」を結ぶ形容詞已然形の語尾が「き」になる遷移過程。

「コソ」を結ぶ形容詞已然形はコソや用法であり、活用語足はKYAYRY∀Yである。
[近畿3]《シク活》 争ふらしき=争P+WWRYA+S¥+KYAYRY∀Y
→争PWWRYA ―S¥ ―KYAYRY∀Y
→争PwWRyAしKYAYRY∀Y=争ふらしKYAYRY∀Y
「コソ……形容詞已然形き」の場合、「コソ=KOΩOソ」のOΩOと、KYAYRY∀YのYAYとY∀Yは、呼応潜顕する。前者ではΩはOに双挟潜化される。これに呼応して、中者YAYではAはYに双挟潜化され、後者Y∀Yでは∀はYに双挟潜化される。
→KOωOソ…争ふらしKYaYRYαY
→KoOソ…争ふらしKYYRYY
YRYでは前後のYが双挟潜化を促すのでYはRを双挟潜化する。
→KOソ…争ふらしKYYrYY=コソ…争ふらしKYYYY
→コソ…争ふらしKyyyY=コソ…争ふらしKY=コソ…争ふらしき甲
《ク活》 良き=YYO+S¥+KYAYRY∀Y
→YYOS ―¥KYAYRY∀Y→Y{YO}s ―jKYAYRY∀Y
→Y{YO} ―KYAYRY∀Y=イエKYAYRY∀Y
「KOΩOソ」のΩがOに双挟潜化されるのに呼応して、YAYのAはYに双挟潜化され、Y∀Yの∀はYに双挟潜化される。
→KOωOソ…イエKYaYRYαY→KoOソ…イエKYYrYY
=コソ…イエKYYYY→コソ…イエKyyyY=コソ…イエKY=コソ…イエき甲