§1 否定助動詞ずは語法が仮定条件を表す理由
【1】否定助動詞ずは語法
否定助動詞「ず」に助詞「は」が付いた「ずは」は仮定などを表す。この語法を否定助動詞ずは語法と呼ぶ。
「ずは」が仮定を表す用例を挙げる。
恋ヒ忘れ貝 取らずは〈等良受波〉行かじ[万15 ―3711]
布勢ノ浦を 見ずは〈見受波〉上らじ[万18 ―4039]
逢ふコト難し 今日にしあらずは〈安良受波〉[万14 ―3401東歌]
これらの「ずは」は“……しなかったら”という仮定を表す。ずは語法のうち、仮定を表すものを仮定用法と呼ぶ。
【2】否定助動詞には連体形「ず」がある
(1)否定助動詞「ず」の連体形は「ぬ」の他に「ず」もある。
橋本進吉は「奈良朝語法研究の中から」『橋本進吉博士著作集第五冊上代語の研究』150頁で、「「ず」は奈良朝に於ても連用形かさもなければ終止形であるが、助詞「は」は如何なる場合にも終止形についた例が無いから、「ず」は必連用形でなければならない。」という。
だが、“「ず」は連用形でなければ終止形”という橋本の論断には疑義がある。濱田敦が「助動詞」『万葉集大成第六巻』109頁で指摘するように、「ず」には「連体的用法に立つもの」がある。「逢はず間」の「ず」である。
夜見し君を 明くる朝 逢はず間〈安波受麻〉にして 今ソ悔やしき
[万15 ―3769]
『日本古典文学大系万葉集四』は頭注で「逢はずまに」を「お逢いせぬままで」と訳す。これは、「逢はず」の「ず」を否定助動詞「ず」の連体形だとしたからである。
私は濱田らの見解に従い、否定助動詞「ず」には連体形「ず」があると論定する。
(2)否定助動詞連体形「ず」の語素構成。
連体形「ず」の語素構成は、否定助動詞語素N¥に、段付加語素SUと、連体形の活用語足AUが下接したもの。
ず=N¥+SU+AU→N¥SUAU→NjSUaU
→{NS}UU→ZuU=ZU=ず
【3】否定助動詞ずは語法の遷移過程
「ずは」の語素構成は、否定助動詞連体形「ず」に助詞「う=WΩW」と助詞「は」が下接・縮約したもの。
取らずは=取R+∀+N¥+SU+AU+WΩW+P∀
→トR∀N¥SUAUWΩWは→トR∀NjSUaUWωWは
→トら{NS}UUWWは
UUWWでは、二連続する完母音素Uはひとまず顕存し、WWは潜化する。
→トらZUUwwは→トらZuUは=トらずは
【4】ずは語法仮定用法が仮定を表す理由
ずは語法仮定用法での助詞「う=WΩW」は“場合”を表す。「ずは=連体形ず+助詞う+は」の直訳は“……しない場合は”であり、仮定“……しなかったら”の意味になる。
【5】否定助動詞ずう縮約
否定助動詞連体形「ず」に助詞「う=WΩW」が下接・縮約して「ず」になることを否定助動詞ずう縮約と呼ぶ。
§2 ずは語法ぐらいなら用法・もちろん用法
ずは語法には“……しなかったら”と訳せるものの他に、“……するぐらいなら”と訳せるものと、“……しないのはもちろんのこと”と訳せるものがある。
【1】ずは語法ぐらいなら用法
① いざ吾君 振熊が 痛手負はずは〈淤波受波〉 鳰鳥ノ 淡海ノ海に 潜きせなわ[仲哀記歌38]
② かくばかり 恋ヒつつあらずは〈乍不有者〉 高山ノ 岩根し枕きて 死なましモノを[万2 ―86]
「痛手負はずは」の「ずは」は否定助動詞ずは語法である。「負はずは」は「負は+否定助動詞連体形ず+助詞う+は」が縮約したもの。
「痛手負はずは」の原義は、橋本進吉が「上代の国語に於ける一種の「ずは」について」『橋本進吉博士著作集第五冊上代語の研究』320頁でいうように、「痛手を負はざらんが為に」である。この歌の「ず+う+は」の助詞「う」の意味は“ため”だと考える。
「痛手負はずは(中略)海に潜きせなわ」は直訳すれば“痛手を負わないためには海に潜ろう”であり、“痛手を負うぐらいなら湖底に沈んでしまおう”の意である。
「恋ヒつつあらずは」も「痛手負はずは」と同様で、歌意は、“これほどまでに恋焦がれて苦しむぐらいなら、死んでおくのだったのに”である。
ずは語法のうち、「……するぐらいなら」と訳せるものを、ぐらいなら用法と呼ぶ。
【2】ずは語法もちろん用法
立ち萎ふ 君が姿を 忘れずは〈和須礼受波〉 命ノ限りにや 恋ヒ渡りなむ[万20 ―4441]
「忘れずは」の「ずは」は否定助動詞ずは語法である。この場合の助詞「う」は“わけ”を意味する。「忘れずは命ノ限りにや恋ヒ渡りなむ」は、直訳すれば“あなたを忘れないと言えるわけ、それは、命が尽きるまでずっとあなたを恋い続けよう、ということ”である。“あなたの姿を忘れないのはもちろんのこと、命尽きるまでずっと恋い続けます”と訳せる。
ずは語法のうちで、“……しないのはもちろんのこと”と訳せるものをもちろん用法と呼ぶ。