第79章 形容源詞「いそしみ」・形容詞「いそし」と「いと県主」「いト手」  ―シク形容OWO群

【1】形容源詞み語法「いそしみ」・形容詞「いそし」の「いそし」は“忠し”

上代語では「いそし」は天皇の言葉においてのみ用いられる。「いそし」の意味は単に“精勤な”ではなく、“臣下として主君に忠勤な”の意である。これを「忠し」とも表記する。
賢しき臣たちノ、世を累ねて仕∧奉りまさへる事をなモ、忠しみ〈伊蘇志美〉思ほし坐す。[続紀宝亀二年宣命52]

【2】人名「五十迹手」・形容詞「伊蘇志」・国名「伊蘇」「伊覩」

「いそしみ」の語幹「いそ」の本質音を探るには仲哀紀九年条の記事が参考になる。
仲哀天皇が九州に来た時、筑紫の伊覩ノ県主ノ祖、いト乙て〈五十迹手〉が穴門まで迎えに来て、仲哀天皇に瓊・鏡・剣を献上して、“天皇が曲妙に分明に国土を統治し、天下を平定なさいますように”と奏上した。天皇は五十迹手をほめて、「いそ甲し〈伊蘇志〉」といった。それで、時の人は五十迹手の本土を「いそ〈伊蘇〉ノ国」と号けた。今、「いと甲〈伊覩〉」国というのは、(「いそ」が)訛ったものである。
「いト乙て」の言動が「いそ甲し」だから、その本拠の国は「いそ甲」と呼ばれたが、今は訛って「いと甲」と呼ばれる、ということである。

【3】人名「いトて」の「いト」と、国名「いそ」「いと」と、形容詞「忠し」の語幹「いそ」は同一語

“天皇が五十迹手をほめて「いそし」といったから、五十迹手の国は「いそ」と呼ばれた”とあるから、国名の「いそ」は形容詞「いそし」の語幹「いそ」と同一語だと考える。
また、『日本書紀』の国名由来の記事には、人名の一部がそのまま国号になる事例がある。景行紀八年条には、“阿蘇都彦・阿蘇都媛が「何、人無(ルな)けむや」といったから、その国を「阿蘇」と名付けた”とある。このことから類推して、人名「いトて」の「いト」と、当初の国名「いそ」と、「今」の国名「いと」は同一の本質音だと考える。以下、これを「いト・いそ・いと」とも表記する。
第5章で述べたように、「十」は、句頭にあれば「ト乙を」と読まれるが、「八十」の場合には「そ甲」と読まれ、訓仮名では「ト乙」と読まれる。現象音がこのように変化する「十」の本質音はTSOWOである。そこで「いト・いそ・いと」の本質音はYYTSOWOだと推定する。

① 五十迹手=YYTSOWO+て

YYとTSOWOの間で音素節が分離する。OはWを双挟潜化する。
→YY ―TsOWOて→いTOwOて→いToOて=いTOて=いト乙て

② 伊蘇国=YYTSOWO+国

二つ続く父音素TSのうち、先頭のTは直前の母類音素Yに付着する。
OWOは融合する。
→YYT ―SOWO国→YYt ―S{OWO}国=いそ甲国

③ 忠し=YYTSOWO+S¥+¥→YYT ―SOWO ―S¥¥

→YYt ―S{OWO} ―Sj¥=YY ―S{OWO} ―S¥=いそ甲し

④ 伊覩国→YY ―TSOWO国→いTsOWO国→いT{OWO}国

=いと甲国

【4】「忠しみ」の遷移過程

《形容源詞》 忠しみ=YYTSOWO+S¥+MY→YYT ―SOWOS¥MY
母音部OWOはS¥Mの¥に母音素性を発揮させる。
→YYt ―SOWO ―S¥ ―MY→YY ―S{OWO}しMY=いそ甲しみ甲

【5】シク形容OWO群

語幹末尾母音部がOWOである形容詞・形容源詞をシク形容OWO群と呼ぶ。