§1 恥づかし
シク活用形容詞には語幹末尾が「か」のものがある。
里人ノ 見る目恥づかし〈波豆可之〉[万18 ―4108]
「恥づかし」は、平安語の用例「いとはづかしく」[源氏物語帚木]があるのでシク活用だと考える。
「恥づかし」の語幹は、上二段動詞「恥づ」の動詞語素「恥DW」に、助詞「か」が付いたものだと推定する。
助詞「か」の本質音はK∀だと推定する。
「恥づかし」は語幹末尾音素節の母音部が∀だからシク形容∀群に属する。
《終止》 恥づかし=恥DW+K∀+S¥+¥→はDWK∀S¥¥
→はづかSj¥→はづかS¥=はづかし
§2 「いぶせし」は「いぶ+為+し」 ―ク形容YOY群
【1】「いふかし」「いぶせし」の「いふ・いぶ」の原義は何か
(1)シク活用「いふかし」の用例。
かくだにモ宣り賜はねは、汝たち、いふかしみ〈伊布加志美〉、おほほしみ念はむか
[正倉院文書「孝謙天皇詔」。天平勝宝九歳三月宣命64。『大日本古文書四』225~226頁]
眉根描き 心いふかしみ〈伊布可之美〉 思へりし 妹が姿を 今日見つるかモ[万11 ―2614一書]
相ひ見まく 欲りしみしすれば 君よりモ 吾れソまさりて いふかしみ〈伊布可思美〉する[万12 ―3106]
『時代別国語大辞典上代編』「いふかし」の項は「様子が知れず気がかりである」という。
(2)ク活用「いぶせし」の用例。
まロ寝をすれば いぶせみ〈移夫勢美〉ト 心なぐさに[万18 ―4113]
しぐれノ雨ノ 山霧ノ いぶせき〈烟寸〉吾が胸 誰れを見ば 止まむ
[万10 ―2263]
同書「いぶせし」の項は「心が晴れず、うっとうしい」「物事がぼんやりしている」という。
(3)「いふかし」「いぶせし」にある「いふ」「いぶ」は同一語。
同書の記すところによれば「いふかし」の意味と「いぶかし」の意味はよく似ている。また、「いふかし」の「いふ」と「いぶせし」の「いぶ」は、上代語では第二音素節の清濁が異なるが、現代語「いぶかしい」では第二音素節は濁音である。
そこで「いふかし」「いぶせし」の「いふ」「いぶ」は同一語だと考える。
(4)「いふ・いぶ」の原義は何か。
万2263で「いぶせき」と読まれる「烟寸」の「烟」は「煙」の別体で、“けむり”のことである。そこで「いぶ・いふ」は“けむり”に関係する語だと推察する。
“けむり”という意味と「いぶ」という音の双方に関係する現代語は“燻す”である。木材を加熱し、その煙りで肉を調理することである。そこで「いぶ・いふ」の原義は、“肉を燻す際にでる煙り”だと考える。
(5)「いふかし」の原義。
「いふかし」の「か」は助詞「か」だと考える。
「いふかし」の原義は“肉を燻す際の煙りのような”だと考える。“燻す煙りでよく見えない”ということから、「様子が知れず気がかりである」の意味になる。「いふかし」を「燻かし」とも表記する。
(6)語幹「いぶせ」の「せ」はサ変「す」の語素SYOY。
「いぶせし」の「せ」はサ変動詞「す」の語素SYOYだと考える。YOYが融合して、「S{YOY}=せ」になる。
「いぶせし」の原義は“肉を燻す状況のような”だと考える。
“肉を燻すと煙りでよく見えない”ということから、「心が晴れず、うっとうしい」「物事がぼんやりしている」の意味になる。「いぶせし」を「燻せし」とも表記する。
【2】「いふかしみ」「いぶせみ」の遷移過程
「燻=いふ・いぶ」の本質音はYYMPWだと推定する。
燻かしみ=YYMPW+K∀+S¥+MY
→YYMPW ―K∀ ―S¥ ―MY
YYの母音部Yの直後に父音素がM・P二つ続く。それで、Mは直前の母類音素Yに付着して音素節YYMを形成することがある。YYMとPWの間で音素節が分離する。
→YYM ―PWかしみ→YYm ―PWかしみ=いふかしみ甲
燻せみ=YYMPW+SYOY+S¥+MY
→YYMPWSYOYS¥MY
YYとMPWの間で音素節が分離する。MPは融合する。
→YY ―{MP}W ―SYOYS¥MY=いぶSYOYS¥MY
母音部YOYはS¥Mの¥に父音素性を発揮させる。
→いぶSYOYS ―¥MY→いぶS{YOY}s ―jMY=いぶせみ甲
一字一音の用例ではないが、「馬声蜂音石花蜘蛛」[万12 ―2991]を「いぶせくモ」と読む説がある。この説に従って、「いぶせし」の連用形を「いぶせく」だとした場合の遷移過程を記す。
《ク活》 燻せく=YYMPW+SYOY+S¥+KWU
→YYMPWSYOYS¥KwU
母音部YOYはS¥Kの¥に父音素性を発揮させる。
→YYMPWSYOYS ―¥KU→YY ―MPW ―SYOYs ―jく
→い{MP}W ―S{YOY}く=いぶせく
【3】ク形容YOY群
語幹末尾音素節の母音部がYOYである形容詞はク活用する。
語幹末尾母音部がYOYである形容詞・形容源詞をク形容YOY群と呼ぶ。