§1 「全けむ」が「またけむ」にも「まソけむ」にもなる理由 ―ク形容Ω∀群
【1】ク活用「全し」は「またし」にも「まソ乙し」にもなる
[上代1] 第二音素節が「た」になる。
《未然》 命ノ またけむ〈麻多祁牟〉人は[景行記歌31]
《連用》 命をし またく〈麻多久〉しあらば[万15 ―3741]
[近畿2] 第二音素節が「ソ乙」になる。
《未然》 命ノ まソけむ〈摩曽祁務〉人は[景行紀17年 紀歌23]
【2】「全けむ」が「またけむ」「まソ乙けむ」になる遷移過程
「またし」「まソし」は同一語で、その語幹はM∀STΩ∀だと推定する。
「またけむ」「まソけむ」の語素構成は同一で、語幹M∀STΩ∀に、S¥と、未然形ずむ用法の活用語足KYAYと、助動詞語素MΩと、AUが続いたもの。
[上代1] またけむ=M∀STΩ∀+S¥+KYAY+MΩ+AU
→M∀STΩ∀S¥K{YAY} ―MΩAU
母音部Ω∀は¥に父音素性を発揮させる。Sと¥の間で音素節が分離する。
→M∀STΩ∀S ―¥K{YAY} ―MωaU
→M∀STΩ∀s ―jK{YAY} ―MU
=M∀STΩ∀ ―けむ
STとΩ∀は呼応潜顕する。その遷移過程は二通りある。
第一。STでSが潜化すると、Ω∀ではΩが潜化し、∀は顕存する。
第二。STでTが潜化すると、Ω∀ではΩは顕存し、∀は潜化する。
「またけむ」になる場合には第一の遷移が起きる。
M∀STでは、Sが弱母音素∀に付着し、音素節M∀Sを形成する。
→M∀S ―TΩ∀ ―けむ
音素節M∀Sの末尾にある父音素Sは潜化する。これに呼応して、Ω∀ではΩは潜化し、∀は顕存する。
→M∀s ―Tω∀ ―けむ=M∀ ―∀ ―けむ=またけむ
[上代2] まソけむ=M∀STΩ∀+S¥+KYAY+MΩ+AU
「M∀STΩ∀ ―けむ」になるところまでは「またけむ」の場合と同じ遷移である。
→M∀STΩ∀ ―けむ
Sは弱母音素∀に付着せず、M∀とSTΩ∀の間で音素節が分離する。
→M∀ ―STΩ∀ ―けむ
ここで、上記第二の遷移が起きる。音素節STΩ∀の初頭には父音素が二連続する。この場合には、前のSは顕存し、後のTは潜化する。Sが潜化したことに呼応して、Ω∀ではΩが顕存し、∀は潜化する。
→M∀ ―StΩα ―けむ=ま ―SΩ ―けむ=まソ乙けむ
【3】ク形容Ω∀群
語幹末尾音素節の母音部がΩ∀である形容詞はク活用する。これをク形容Ω∀群と呼ぶ。
§2 形容詞「おほし」がク活用する理由 ―ク形容ΩΩ群
【1】形容詞「おほし」がク活用する理由
形容詞「おほし」の語幹がΩΩPΩΩであることは第56章で述べた。本章では、「おほし」がク活用する理由を述べる。
《未然》 恋ふる日 おほけむ〈於保家牟〉[万17 ―3999]
多けむ=ΩΩPΩΩ+S¥+KYAY+MΩ+W
→ΩΩ ―PΩΩS¥KYAYMωW
母音部ΩΩにS¥Kが続く場合、ΩΩは¥に父音素性を発揮させる。
→ωΩ ―PΩΩS ―¥K{YAY}む→おPΩΩs ―jK{YAY}む
→おPωΩ ―K{YAY}む=おPΩけ甲む=おほけ甲む
【2】ク形容ΩΩ群
語幹末尾音素節の母音部がΩΩである形容詞はク活用する。これをク形容ΩΩ群と呼ぶ。