§1 をぢなし
ク活用形容詞で、語幹末尾に「な」があり、その「な」が“……のような”と解せる場合、その「な」は「如す」の動詞語素NOAだと考える。
【1】ク活用形容詞・形容源詞「をぢなし」の用例
《連体》 をぢなき〈乎遅奈伎〉や 吾れに劣れる 人を多み
[仏足石歌13]
《形容源詞》 大匠 をぢなみ〈袁遅那美〉コソ 隅傾けれ
[清寧記歌106]
【2】「をぢなし」の語素構成と意味
山口佳紀は『古代日本語文法の成立の研究』第二章第二節で、語幹末尾に「な」のある形容詞について、参考文献を挙げて解説するが、「をぢ」については「ヲヂの意が全く不明である。」という。
私見を述べる。「をぢなし」の「をぢ」は「小+爺」である。「小爺」の意味は、「かま鹿ノをぢ」[書紀歌107]の「をぢ」と同じで、“高齢の男性”である。
「をぢなし」の「な」は、補助動詞「如す」の語素NOAである。
「をぢなし」の原義は“高齢の男性のような”だが、上代語では、ごく一部の高齢男性に見られる短所を誇張した意味で用いられている。古事記歌106の「をぢなみ」は“思考力・注意力が足りないから”の意であり、仏足石歌13の「をぢなき」は“頑魯な”の意である。
【3】「小爺なし」がク活用になる遷移過程
「をぢなき」の語素構成は、「小+爺」に、「如=NOA」と、S¥と、活用語足KYΩYが続いたもの。
小爺なき=小+爺+NOA+S¥+KYΩY→をぢNOAS¥KYωY
母音部OAはS¥Kの¥に父音素性を発揮させる。
→をぢNOAS ―¥KyY→をぢNoAs ―jKY=をぢNA ―KY=をぢなき甲
【4】ク形容OA群
語幹末尾音素節の母音部がOAである形容詞はク活用する。
語幹末尾母音部がOAである形容詞・形容源詞をク形容OA群と呼ぶ。
§2以下で述べる「つたなし」「いらなし」「すくなし」「きたなし」「すかなし」はク形容OA群に属する。
§2 つたなし
正倉院文書に「つたなし〈都田无之。「无」に右傍書「奈」がある〉」[『大日本古文書』23巻42頁。正倉院文書宝亀5年11月7日]がある。平安語の用例から「つたなし」はク活用だと考える。
『時代別国語大辞典上代編』の「つたなし」の項は、綏靖紀即位前条の「懦弱不能致果」の「懦」を『日本書紀私記甲本』が「ツタナク」と読むことなどから、「つたなし」の意味を「臆病だ」と記す。意味は大体これでよいのだが、問題は、どうして「つたなし」が“臆病な”の意味になるのか、である。
この「懦弱不能致果」は、神八井耳命が弓矢を持って手研耳命を殺そうとしたが、手足が震えて矢を放てなかったことをいう。そこで次のように考える。
「つたなし」の「つた」は蔓性の植物「蔦」である。蔦や葛など蔓性の植物は、他のものに巻き付く。そのことについて『古事記』に歌がある。
出雲建が 佩ける大刀 葛多巻き さ身無しに あはれ
[景行記歌23]
“蔓性の葛が刀の柄と鞘に巻き付いていて、刀身を抜けなかったので(出雲建は倭建命に斬りかかることができなかった)”というのである。
「つたなし」の語幹は、「蔦」に「如す」の語素NOAが続いたものだと考える。「つたなし」は「蔦如し」であり、原義は“蔓性の植物が巻き付いたような”である。
神八井耳命が「つたなく」と形容されるのは、“(持った弓矢に)蔦が巻き付いていた(わけでもなかろうに、つがえた矢を放てないとは臆病なことだ)”ということからである。
「蔦なし」は“微力”“巧みでない”の意味にもなる。これは“(指や手足に)蔦が巻き付いているようで(思うように動かせない)”ということからである。
《終止》 蔦如し=蔦+NOA+S¥+¥→つたNOAS¥¥
→つたNoASj¥=つたNAS¥=つたなし
§3 いらなし
いらなけく〈伊良那祁久〉 其コに思ひ出[応神記歌51]
「いらなけく」はク活用「いらなし」のク語法である。「いらなし」の「いら」は『岩波古語辞典補訂版』の「いらなし」の項がいうように、棘のことである。
「いらなし」は「棘+如+し」だと考える。「棘なし」は“とげが刺さったように、心が痛む”の意である。
§4 すくなし
【1】「すくなし」の「すく」と「すくすくト」の「すく」は同一語
語幹に「すく」を含むク活用形容詞「すくなし」がある。
旅ト言∧ば 言にソ易き 少なく〈須久奈久〉モ 妹に恋ヒつつ 為方無けなくに[万15 ―3743]
「すく」が重畳する副詞「すくすくト」がある。
小小波路を すくすくト〈須久須久登〉 吾が幸行せばや
[応神記歌42]
形容詞「すくなし」と副詞「すくすくト」に共有される「すく」は同一語だと考える。「すく」の原義は“育ちざかりの幼児”だと考える。
形容詞「すくなし」は「すく+如+し」である。「すくなし」の原義は“育ちざかりの幼児のような”であり、転じて“小さい”の意味になる。
また、“育ちざかりの幼児は身長・体重がぐんぐん増える”ということから、副詞「すくすくト」は“健康に”“順調に”の意味になる。
【2】「すコし」「すコやか」の「すコ」は上代語「すく」と同一語
平安語・現代語には「すコし」「すコやか」の語がある。
玉篋 小 披尓[万9 ―1740。傍訓は広瀬本に依る]
「すコし」「すコやか」の「すコ」は上代語「すく」と同一語で、その本質音は「すKWΩW」だと推定する。
第35章で述べたように、母音部WΩWは、上代近畿語ではWがΩを双挟潜化して「WωW→wW」を経てWになるが、平安語・現代語ではWは二つとも潜化して「wΩw=Ω」になる。
[平安・現代] 少し=すKWΩWし→すKwΩwし=すKΩし=すコし
[平安・現代] 健やか=すKWΩWやか→すKwΩwやか→すKΩやか
=すコやか
【3】上代語ク活用形容詞連用形「少なく」の遷移過程
《連用》 少なく=すKWΩW+NOA+S¥+KWU
→すKWΩWNOAS ―¥KwU→すKWωWNOAs ―jKU
→すKwWNoA ―KU=すKWNAく=すくなく
§5 きたなし
『日本書紀』では、神代上紀第五段一書第六の「汚穢」について、第五段一書第七に「きたなき〈枳多儺枳〉」という注があり、「きたなき」は“汚穢”の意味で用いられる。
一方、宣命43には、天皇位を簒奪しようとした犬部姉女が「きたなく悪しき奴」と結託したという文言や、「きたなき佐保川」という語句がある。
きたなく〈岐多奈久〉悪しき奴ドモト相ひ結び謀りけらく、朝庭を傾ケ奉り、国家を乱りて(中略)天皇ノ大御髪を盜み給はりて、きたなき〈岐多奈伎〉佐保川ノ髑髏に入れて[続紀神護景雲三年宣命43]
どうして「きたなき」は、天皇位を簒奪しようとする謀叛人を形容するのに用いられるのか。また、どうして「きたなき」は「佐保」の前に置かれるのか。
「きたなし」の語幹の語素構成は「北+如」だと考える。「きたなし」の「きた」は、漢字「北」の訓「きた」を借りて、漢字たる「北」の意味を表したものだと考える。
漢字の「北」はどんな意味か。『説文解字』には「北、乖也、从二人相背」とある。これを『角川新字源』は「たがいに背を向け合っているふたりのさまにより、そむく意を表す」と訳す。
それで「北如し」は“「そむく」ような”の意味になる。
「きたなく悪しき奴」は“(天皇に)背く、悪い奴”の意である。
「きたなき佐保」の「きたなき」も“そむくような”“天皇位を簒奪しようとした”の意である。説明しよう。
上代人なら、“天皇位を簒奪しようとした”といえば誰を想いおこすか。
垂仁天皇の時代、天皇を殺して天下を奪おうとした兄妹がいた。狭穂彦王・狭穂姫である(垂仁記・垂仁紀参照)。それで、「きたなき」=“天皇位を簒奪しようとした”といえば「さほ」を想いおこす。「きたなき佐保」の「きたなき」は、文意の根幹にあずかる語ではなく、「佐保」を想いおこさせる想起詞である。
§6 すかなし
心には 揺るふコトなく すかノ山 すかなく〈須可奈久〉ノミや 恋ヒわたりなむ[万17 ―4015]
歌の趣意は次のようである。(この人は)心で揺るぎなく“飼っていた鷹はきっと帰って来るだろう”と信じて待ち続けているけれど、(鷹は帰って来ないだろうから)期待はずれに終わり、鷹の帰りをむなしく待ち続けるだけになるだろう。
「すか」という語は次の歌にも見える。
美夜自呂ノ すか〈須可〉辺に立てる 顔が花 な咲き出でソね 籠メて偲はむ[万14 ―3575東歌]
「すかなし」「すか辺」の「すか」は、動詞「空く」の語素「すK」に、助詞「あ=A¥」が付いたものだと考える。「すか」の原義は“空虚”である。
「すかなし」の語幹「すかな」は、この「すか」に「如」が続いたものだと考える。「すかなし」の原義は“空虚のような”である。万4015の「すかなく」は“期待は外れ、望みはかなわず、がっかり”の意である。
「すか辺」は“実りがない場所”で、“不毛の地”“荒れ地”のことである。
§7 おぎロなし
「おぎロなき」[万20 ―4360]の「おぎロな」が「大+君+助詞ロ+如」であることは既に述べた。ここでは連体形「おぎロなき」の遷移過程を述べる。
大君ロ如き=ΩΩPΩΩ+KGYMY+R∀Ω+NOA+S¥+KYΩY
→ΩΩpΩΩK ―GYMY ―RαΩ ―NOAS ―¥KYωY
→ΩωωΩk ―GYMY ―RΩ ―NOAs ―jKyY
→ΩΩ ―GYMY ―RΩ ―NoA ―KY
ΩΩの初頭にある父音部のΩとMは、呼応潜顕し、双方とも潜化する。
→ωΩ ―GYmYロNAき→おGyYロなき=おぎ甲ロ乙なき甲