第88章 「たづ」の原義とシク活用「たづたづし」  ―WΩW

§1 鶴が「たづ」と呼ばれる理由

「たづ」を“鶴”の意味で用いた最古の用例は軽太子の歌である。
天飛ぶ 鳥モ使ひソ 鶴〈多豆〉が音ノ 聞コイエむ時は 吾が名問はさね[允恭記歌84]
『万葉集』には、「見つるかモ」を「見鶴鴨」[万1 ―81など]と表記するように、「鶴」を「つる」と読む例がある。上代では、「鶴」は「つる」と読まれた。それなのに、どうして軽太子は“鶴”のことを「たづ」と表すのか。
軽太子がこの歌を詠むまで、「たづ」には“鶴”の意味はなかった。「たづ」の原義は“片足立ち”だと考える。原義どおりにこの歌を訳せば次のようである。
天空を飛ぶ鳥も(最新の情報を伝える)使者だ。だから、“片足立ち”の鳴き声が聞こえるような時は、私が何と名宣っているか、聞いてほしい。(天皇に即位して、何々宮に坐す誰某天皇と名宣っているよ。)
この歌を聞いた上代人は、一瞬、“空を飛ぶ鳥で、「たづ」(片足立ち)するものとは何だろう”と思うが、すぐ、“片足立ちするが空を飛ぶ鳥、それは鶴だ。軽太子は鶴のことを「たづ」と表したのだ”と気付く。軽太子の気概と歌の技法に感動した歌人たちは、これ以後“鶴”を「たづ」というようになる。


§2 シク活用「たづたづし」

【1】上代語「たづたづし」と平安語・現代語「たドたドし」

(1)上代語「たづたづし」の意味。

あな たづたづし〈多豆多頭思〉 友無しにして[万4 ―575]
この歌の「たづたづし」の意味は『時代別国語大辞典上代編』「たづたづし」の項によれば「たよりない・心細い」である。
夕闇は 道たづたづし〈多豆多頭四〉[万4 ―709]
この歌の「たづたづし」の意味は同書同項によれば「あぶなっかしい。確かでない」である。
「たづたづし」の「たづ」は允恭記歌84の「たづ」と同じ語で、“片足立ち”の意である。その「たづ」を二つ重ねて語幹とした形容詞「たづたづし」の原義は“片足立ちのように不安定な”である。それで、“たよりない”や“あぶなっかしい”の意味になる。

(2)上代語「たづたづし」が平安語で「たドたドし」になる理由。

上代語の「たづたづし」の語幹は平安語・現代語では「たドたド」に転じる。
手つき口つき、みなたどたどしからず。見聞きわたりはべりき。
[源氏物語帚木]
このように、上代近畿語では「う」段で、平安語・現代語では「オ」段に転じる音素節として、「過ぐす・過ゴす」第二音素節がある。「過ぐす・過ゴす」第二音素節の母音部は、第35章で述べたように、WΩWである。そこで「たづたづし」の第二音素節・第四音素節「づ」の母音部はWΩWだと推定する。

【2】「たづたづし」の遷移過程

「たづたづし」は、その語幹末尾音素節母音部がWΩWだから、シク形容WΩW群に属する。
《終止》 たづたづし=たづ+たDWΩW+S¥+¥→たづたDWωW ―Sj¥
→たづたDwW ―S¥=たづたDW ―S¥=たづたづし