§1 おほほし・おぼほし
【1】「おほほし」と「おぼほし」は同一語。
第二音素節が清音の「おほほし」と濁音の「おぼほし」がある。
[上代1] いふかしみ、おほほし〈意保保志〉み念]はむか
[正倉院文書「孝謙天皇詔」。天平勝宝九歳三月。宣命64]
国遠き 道ノ長道を おほほしく〈意保保斯久〉 今日や過ぎなむ 事問ひモ無く[万5 ―884]
母が目見ずて おほほしく〈意保保斯久〉 何方向きてか 吾が別るらむ[万5 ―887]
己妻を 人ノ里におき おほほしく〈於保保思久〉 見つつゾ来ぬる 此ノ道ノ間[万14 ―3571防人歌]
老夫ノ歌に おほほしき〈大欲寸〉 九ノ子らや 感ケてをらむ
[万16 ―3794]
[上代2] 海媛女 漁り焚く火ノ おぼほしく〈於煩保之久〉 角ノ松原 思ほゆるかモ[万17 ―3899]
『時代別国語大辞典上代編』は「おほほし」の項で「おぼほし」についても説明する。「おほほし」と「おぼほし」を同一語だとするのである。私も、「いふ」「いぶ」が同一語であるのと同様、「おほほし」と「おぼほし」は同一語だと考える。
【2】「おほほし・おぼほし」の語素
『時代別国語大辞典上代編』は「おほ[凡]」の項で、「形容詞オホホシはこのオホの重複形オホオホのシク活用化したもの」という。私はこの説に賛同し、語幹「おほほ・おぼほ」は語素「おほ」が重複したものと考える。「おほほ・おぼほ」の語素「おほ」はΩMPΩだと推定する。
「おほほし・おぼほし」は「ΩMPΩ+ΩMPΩ」であり、その末尾音素節の母音部はΩだから、「おほほし・おぼほし」はシク形容Ω群に属する。
ΩMPΩは「大・多」の本質音ΩΩPΩΩとは異なる。「おほほし・おぼほし」は「大し・多し」とは異源語である。
【3】「おほほしく」「おぼほしく」の遷移過程
[上代1] おほほしく=ΩMPΩ+ΩMPΩ+S¥+KWU
→ΩMPΩΩMPΩ ―S¥ ―KwU=ΩMPΩΩMPΩしく
ΩMPΩΩMPΩでは、初頭のΩMPの部分で、MがΩに付着する場合としない場合がある。付着する場合は音素節ΩMが形成される。
→ΩM ―PΩΩMPΩしく
PΩΩMPのMは直前の母類音素Ωに付着して音素節PΩΩMを形成する。
→Ωm ―PΩΩM ―PΩしく→Ω ―PΩΩmほしく→おPωΩほしく
=おPΩほしく=おほほしく
[上代2] おぼほしく→ΩMPΩΩMPΩ ―S¥ ―KwU
初頭のΩMPではMPは融合する。
→Ω ―{MP}ΩΩMPΩしく→おBΩΩMPΩしく
ΩΩMPのMはΩに付着して、音素節BΩΩMを形成する。
→おBΩΩM ―PΩしく→おBΩΩmほしく
→おBωΩほしく=おぼほしく
§2 「おほ=ΩMPΩ」の原義と「おほほし・おぼほし」の意味
『時代別国語大辞典上代編』は、万3899の「おぼほしく」の意味を「ものの形がおぼろである。ぼんやりしている」とし、万3571の「おほほしく」を「心がぼんやりとして晴れない」「おろかである」とし、万3794の「おほほしき」を「おろかである」とする。私はこれらの解釈に賛同する。
問題にしたいのは、「おほほ・おぼほ」に含まれる語素「おほ=ΩMPΩ」の原義は何か、である。
宣命64では、「おほほし」は「いふかし」と並記される。そこで「おほほし」と「いふかし」は似た意味だと推察する。
「いふ・いぶ」は「燻す」の「いぶ」であり、煙りが多く出る状況である。上代の自然環境を思うと、“煙りが多く出る”に似た状況として、“霧や霞の中にいる”状況を挙げることができる。そこで語素「おほ」の原義は“霧や霞の中にいる状況”だと推察する。
「おほほし・おぼほし」の意味が「ものの形がおぼろである。ぼんやりしている」になるのは、「おほ」が“霧や霞の中にいる状況”だからである。
「心がぼんやりとして晴れない」の意味になるのは、「おほ」の原義を、心の状況を表すのに用いて、“自分の心は霧の中にいるようで、ぼんやりして晴れない”としたのである。
「おろかである」の意味になるのは、「おほ」の原義を頭脳の状況を表すのに用いて、“頭脳の中が霧の中のようで、考えることができない”ということである。
§3 おほロか・おほならば・己が生をおほにな思ひソ・朝霧ノおほ
【1】上代語「おほロか」と現代語「おぼろ」
(1)上代語「おほロか」。
磐之媛が おほロか〈飫朋呂伽〉に 聞コさぬ[仁徳紀30年 紀歌56]
「おほロか」は、“霧や霞の中にいる状況”の意味の「おほ=ΩMPΩ」に、助詞「ロ」と助詞「か」が続いたものだと考える。
歌意は次のようである。(私が八田皇女を宮中に娶り入れたことを)皇后磐之媛は“その事は霧霞の中で行われたことのようで、よく見えない。見なかったことにしましょう”とは、お思いにならない。
おほロか=ΩMPΩ+ロ+か→ΩMPΩロか→ΩM ―PΩロか
→Ωmほロか=おほロか
(2)現代語「おぼろ」。
現代語「おぼろ」の語素構成は上代語「おほロか」の「おほロ」と同一である。現代語ではMPは融合する。
朧=ΩMPΩ+ロ→Ω{MP}Ωロ→おBΩロ=おぼロ
「おぼロ」の原義は“霧や霞の中にいるようでぼんやりしている”である。
「おぼロ月夜」は「おぼ+ロ+月夜」で、“「おぼ」の月”すなわち“霞の中の月”の意である。
【2】おほならば かモかモせむを
おほならば〈凡有者〉 かモかモせむを 畏みト 振りたき袖を 忍ビてあるかモ[万6 ―965]
「おほならば」は“霧の中(で出会い、私が何をしても他人には見えないの)だったら”の意。
【3】己が生を おほにな思ひソ
己が生を おほ〈於保〉にな思ひソ 庭に立ち 笑ますが故に 駒に逢ふモノを[万14 ―3535東歌]
「己がを」は、“自分の命”から転じて、“自分の人生”の意を表す。
歌意。自分の人生を、“(自分は)霧の中にいる(ようなもので、むやみに行動すると危ない。何もしないのが一番良い)”などと思ってはいけません。庭に立ってにこにこ笑っていらっしゃるだけで、駒(に乗った貴人)に出会え(て、その御方と結婚することにな)るかもしれないのに。
【4】朝霧ノおほ
朝霧ノ おほ〈髣髴〉になりつつ[万3 ―481]
「朝霧ノ」は枕詞。“朝の霧”といえば、“霧の中にいる状況”すなわち「おほ」を想いおこす。それで、「朝霧ノ」は「おほ」にかかる。