第93章 語幹末尾に「無」がある形容詞

§1 心無し・あづき無し

語幹末尾の「な」が「無」である形容詞がある。

(1)心無し。

真遠くノ 野にモ遇はなむ 心無く〈己許呂奈久〉 里ノみ中に 遇へる夫なかモ[万14 ―3463東歌]
この歌の「心無く」は“私の望む心どおりでは無く”の意である。
歌意。(誰からも見られない)遠くの野原の中で出遇えたら良かったのに(駆け寄れるから)。私の希望に反して、(人が大勢いる)里のまん中で出遇ってしまった愛する人よ。

(2)あづき無し。

面形ノ 忘る門有らば あづき無く〈小豆鳴〉 男じモノや 恋ヒつつ居らむ[万11 ―2580]
「あづき」は“正常な行動規範”の意であり、「あづき無く」は“常軌を逸して”の意である。
歌意。(つらい失恋をしたが、あの人の)顔を忘れることのできる門はこれだ、という門があるならば、(私は女だが、女としての)正常な行動規範に従うこと無く、男がするように、何人もの相方に次々に恋を(するという道に入門)しよう。
あづき無く〈小豆奈九〉 何ノ狂言 今更に 小童言する 老人にして
[万11 ―2582]
歌意。正常な行動規範に背いて、何という非常識なこと(を言ってしまったことだ)。今この年になりながら、小児の言うようなことを言ったものだ、(私は分別ある)老人なのに。
なかなかに 黙然モあらましを あづき無く〈小豆無〉  相ひ見始メてモ 吾れは恋ふるか[万12 ―2899]
歌意。いっそ(あの人に)声をかけなければよかった。正常な行動規範に背くことだが、初めて会って(あの人と深く愛し合うようになりながら)、(逢うことさえもできなくなり)私があの人に恋い焦がれることになろうとは。


§2 かたじケ無し

宣命にはク活用形容詞「かたじケなし」がある。

① 吉備ノ朝臣は朕が太子ト坐しし時より、師トして教∧悟しける多ノ年歴ぬ。今は身モ敢∧ずあるらむモノを、夜昼退らずして護り助ケ奉∧侍るを見れば、かたじケなみ〈可多自気奈弥〉なモ念ほす。然かれドモ、人トして恩みを知らず恩みを報いぬをば聖ノ御法にモ禁メ給へるモノにあり。是を以ちて吉備朝臣に右大臣ノ位を授ケ賜ふ。[続紀天平神護二年宣命41]
② 賢しき臣たちノ、世を累ねて仕∧奉りまさへる事をなモ、かたじケなみ〈加多自気奈美〉いそしみ思ほし坐す。[続紀宝亀二年宣命52]
③ 皇太子ノ位に謀反大逆人ノ子を治メ賜へれば、卿ら、百官人ら、天ノ下ノ百姓ノ念へらまくモ、恥づかし、かたじケなし〈賀多自気奈志〉。

[続紀宝亀三年宣命54]
「かたじケなし」は上代語では『続日本紀』の宣命の中でのみ用いられる。そこで「かたじケなし」は、律令制度における天皇のみが用いる語だと考える。天皇専用語たる「かたじケなし」の意味は何か。
「かたじケなし」を用いた三つの用例では、話者たる天皇が「かたじケなし」といった時の心情を明瞭に知ることができる。
宣命41では、“深く恩義を感じている”。
宣命52では、“懸命に勤務してくれたことを感謝している”。
宣命54では、“〔大逆をたくらむ人の子を皇太子にしている〕と人々が知ったら恥ずかしい”。
そこで「かたじケなし」は、天皇が心情を表す際の表し方に関する形容詞だと考える。
「かたじケなし」の語素構成については、岡田希雄が「新訳華厳経音義私記倭訓攷」『国語国文』11 ―3の22~23頁で述べたものがある。岡田は、上代語・平安語の「かたじケなし」の用例・訓解を挙げ、本居宣長の見解を紹介・批判した上で、「かたじケなし」の意味を「元来容貌の猥悪を云ふ」と述べ、語素構成について、「カタは貌にてナシは無シであり」、「ジケは不明だが、ジはシシジモノなどのジか。ケも様子を示す語と見られぬ事も無い。」という。
私見は岡田説に従う部分が多いが、「容貌の猥悪を云ふ」という解釈には賛同できない。「かた」の解釈についても同意できないところがある。
私見を述べよう。「かたじ」の「じ」は、「鳥じモノ」などの「じ」であり、“本質的には……ではないのだが、まるで……のように”の意味である。
「かたじ」の「かた」は「形」である。「じ」の直前にある語は体言であり、「鹿じ」「男じ」の用例のように、習性・特性を表現するために用いられることが多い。そこで「形」は“感情をそのまま顔の形に表す人”の意だと考える。
「ケ」は、「静ケし」「確ケし」などの「ケ」と同じで、“……のような”の意味を添える語素である。
「形じケ」の意味は次のようだといえる。“(私は天皇だから)心情を、軽々しく顔の形に表さないのだが、(今だけは感じる程度が非常に強いので)まるで〔心情をそのまま顔の表情に出す人〕であるかのように、顔に出すような”。
「形じケな」の「な」は“無”であり、上記の「形じケ」の内容に“……ことはせずに”の意を付加するものである。
まとめると「形じケ無し」の意味は次のようである。
(私は律令制度での天皇だから)心情を顔の形に表さないのだが、(今だけは感じる程度が非常に強いので)〔心情をそのまま顔の表情に出す人〕のように顔に出す(か、というと、それでもやはり天皇だから)顔の形には出さないが、非常に深く感じているのだ。
「あづき無し」「形じケ無し」の語幹末尾にある「無」の母音部はAだから、これらはク形容A群に属する。
《終止》 形じケ無し=形+N¥+S¥+ケ+NA+S¥+¥
→形NjS¥ケNA ―S¥¥→形{NS}¥ケNA ―Sj¥
→形Z¥ケなS¥=かたじケなし