第97章 東方語「あやはとモ」は形容素詞の已然用法  ―ク形容AU群

§1 「あやふかる」「あやほかト」「あやはとモ」の第三音素節はPAU

【1】近畿語「あやふかる」と東方語「あやほかト」「あやはとモ」

(1)上代近畿語には形容詞カリ活用連体形「あやふかる」がある。

[近畿] あやふかる〈阿夜布可流〉が故に
[正倉院仮名文書(乙)。『書道全集第9巻』172~173頁の「87 万葉仮名文書」に当たる]

(2)上代東方語には「あやほかト」「あやはとモ」がある。

[東方1] あずノ上に 駒を繋ぎて あやほかト〈安夜抱可等〉
[万14 ―3539東歌]
[東方2] あず∧から 駒ノ行こ如す あやはとモ〈安也波刀文〉 人妻子ロを 目行かせらふモ[万14 ―3541東歌]

【2】語幹「あやふ」「あやほ」「あやは」は「あやPAU」

「あやふかる」「あやほかト」「あやはとモ」は共に“危ない”の意味である。そこで「あやふかる」の語幹「あやふ」と、東方語の「あやほ」「あやは」は同一の語素だと考える。
「あやふ」「あやほ」「あやは」の第三音素節は「う」段・「お」段・「あ」段に変化するが、このように変化する音素節は他にもある。四段動詞連体形の語尾は、近畿語「降る」では「う」段であり、東方語「逢ほ」では「お」段であり、東方語「通は」では「あ」段だが、その母音部は同一で、AUである。そこで「あやふ」「あやほ」「あやは」の第三音素節の母音部はAUだと推定する。「あやふ」「あやほ」「あやは」の本質音は「あやPAU」である。
[近畿] あやPAU→あやPaU=あやPU=あやふ
[東方1] あやPAU→あやP{AU}=あやほ
[東方2] あやPAU→あやPAu=あやPA=あやは
「あやふ」「あやほ」「あやは」をまとめて「危」と表記する。


§2 形容素詞の連体用法

形容詞の語幹に相当する語が直後の体言を修飾する用法がある。「赤玉〈阿加陀麻〉」[記上巻歌7]・「白玉〈斯良多麻〉」[記上巻歌7]・「事無酒〈許登那具志〉」[応神記歌49]などである。これらの用例では、形容源化語素「し=S¥」も活用語足KYΩYも用いられていない。
このように、形容詞の語幹に相当する語が、形容源化語素・活用語足を伴わずに何らかの作用をする場合、これを形容素詞と呼ぶ。
形容素詞が形容詞連体形相当の作用をする用法を形容素詞の連体用法と呼ぶ。


§3 東方語「あやはとモ」の「あやは」は形容素詞の已然用法

【1】東方語「あやはとモ」についての従来説

東方語「あやはとモ」の語素構成はどのようであるか。
福田良輔は『奈良時代東国方言の研究』378~380頁で「あやはとモ」の「あやは」を四段活用動詞だとする。福田は次のとおりいう。「東国方言には、中央語形には全く見られない動詞の接続形式がある。(中略)「アヤハトモ」は、中央語系古代語では「あやふ(危)とも」とあるべきところであり、三五二六の「カヨハ鳥」は「通ふ鳥」とあるべきところである。すなわち四段活動詞と見られる連体形及び終止形のウ列音がア列音となっているが、このような接続形式は、中央語系には見当らない。(中略)東国地方では、四段活動詞の活用形のア列音から体言、もしくは動詞の終止形に付く助詞「とも」に続く語法があったものと思われる。しかし、ア列音で終止する事例がないことを考えると、体言に続く連体形と見るのが妥当であろう。(中略)したがって、「通は鳥」「垂ら小柳」「危はとも」は、三音節の四段活動詞のア列音から体言に続く事例、もしくはこれに準ずる事例と見ることができよう。」
福田の見解を要約すれば次のようである。“「アヤハトモ」の「アヤハ」は「四段活動詞と見られる」。「終止形に付く助詞「とも」に続く」ことからすると「アヤハ」は終止形。「しかし、ア列音で終止する事例がないことを考えると、体言に続く連体形と見るのが妥当であろう。」”
福田の見解には従えない。助詞「トモ」に上接する動詞は終止形である。“「あやは」は連体形で「とモ」に上接する”という福田の見解は上代語の文献事実に違背する。

【2】近畿語の助詞「ト乙モ」が東方語で「と甲モ」[万14 ―3541]になる理由

東方語の助詞「とモ」は近畿語の助詞「トモ」と同一語で、その第一音素節の本質音は、『上代特殊仮名の本質音』第42章で述べたように、TOΩOだと推定する。
近畿語ではOがΩを双挟潜化する。東方語ではOΩOは融合して「お甲」になる。
[近畿] TOΩOモ→TOωOモ→ToOモ=TOモ=ト乙モ
[東方] TOΩOモ→T{OΩO}モ=と甲モ

【3】東方語「あやはとモ」の「あやは」は形容素詞の已然用法

(1)東方語「あやはとモ」の「あやは」は形容素詞。

「あやはとモ」の「あやは」は、形容詞「あやふかる」「あやほかト」の語幹「あやふ」「あやほ」と同一語である。「あやは」は形容詞の語幹に相当する語でありつつ、形容源化語素・活用語足を伴わずに助詞「とモ」に上接して逆接条件を表すから、形容素詞である。

(2)東方語「あやはとモ」の「あやは」は形容素詞の已然用法。

形容源詞には連体用法と已然用法がある。これと同様、形容素詞にも、連体用法と已然用法がある。
「あやはとモ」は“危ないけれども”の意味である。助詞「とモ・トモ」に上接して逆接の意味を表すから、形容素詞「あやは」は已然形として作用している。
「あやはとモ」の「あやは」のように已然形相当の作用をする用法を形容素詞の已然用法と呼ぶ。

(3)形容素詞は活用語ではない。

形容素詞には連体用法と已然用法があるが、これらの用法では活用語足は用いられていない。形容素詞では活用語足が用いられないから活用語ではない。


§4 形容詞「あやふかる」「あやほかト」と形容素詞「あやはとモ」の遷移過程

【1】形容詞「あやふかる」「あやほかト」の遷移過程

「あやふ・あやほ・あやは」の本質音はAYAMPAUだと推定する。
[近畿]カリ活用。 危かる=AYAMPAU+S¥+KWU+AYる
→AYAMPAUS¥KWUAYる→AYAMPAUS¥KwuAyる
母音部AUはS¥Kの¥に父音素性を発揮させる。
→AYAMPAUS ―¥KAる→AYAMPAUs ―jKAる
YAMPでは、完母音素Aの後に父音素がM・P二連続する。MはAに付着して音素節YAMを形成する。
母音部AUでは、Aは潜化し、Uは顕存する(近畿語完母潜顕法則)。
→A ―YAM ―PAUかる→あYAm ―PaUかる=あYA ―PUかる
=あやふかる
[東方1]《已然》 「危かト」は語幹AYAMPAUに、S¥と、已然形接続用法の活用語足KYAYRY∀YMと、助詞「ト」が続いたもの。
危かト=AYAMPAU+S¥+KYAYRY∀YM+ト
→A ―YAM ―PAUS ―¥KYAYrY∀Ymト
→A ―YAm ―PAUs ―jKYAYY∀Yト
母音部YAYY∀Yでは、完母音素Aのみが顕存する。
→あYA ―P{AU} ―KyAyyαyト→あやほKAト=あやほかト

【2】ク形容AU群

「あやふし」「あやほし」のように、語幹末尾母音部がAUである形容詞はク活用する。これをク形容AU群と呼ぶ。

【3】形容素詞「あやはとモ」の遷移過程

「あやはとモ」は語幹AYAMPAUに助詞「とモ」が続いたものである。
[東方2]形容素詞已然用法。 危とモ=AYAMPAU+TOΩOモ
→A ―YAM ―PAU ―T{OΩO}モ
東方語では母音部AUで、前方にあるAが顕存し、後方にあるUが潜化することがある。
→あYAm ―PAuとモ→あYA ―PAとモ=あやはとモ

【4】現代語「あやぶむ」の遷移過程

現代語には、“あぶないと思う”意味の「あやぶむ」がある。その語素構成は、“危険”を表す語素AYAMPAUに、これを動詞化する語素Mと、動詞の活用語足が続いたものだと考える。
《終止》 危ぶむ=AYAMPAU+M+W→AYAMPAUMW
MPは融合する。
→A ―YA ―{MP}aU ―MW→あや ―BUむ=あやぶむ

【5】現代語ク活用形容詞連用形「あぶなく」の遷移過程

現代語には“危険な”の意味のク活用形容詞「あぶない」がある。
「あぶない」の語幹「あぶな」は、AYAMPAUに、「如=NOA」が続いたものだと考える。
[現代]《連用》 危なく=AYAMPAU+NOA+S¥+KWU
→AYAMPAUNOAS ―¥KwU→AYAMPAUNOAs ―jKU
AはYを双挟潜化する。MPは融合する。
→AyA{MP}AU ―NoA ―KU→aABaU ―NAく
→ABUなく=あぶなく