§1 大野晋のク語法aku説
【1】ク語法の用例
上代語には、活用語に「く」が続いて、形容詞の場合には“……しいと感じて”や“……しいところ”や“……しい程度”などの意味を付加し、動詞の場合には“……すること”や“……する内容”などの意味を付加する用法がある。これはク語法と呼ばれる。
(1)形容詞のク語法の用例。
《シク活》 シク活用のク語法は末尾が「しけく」になる。
悲しけく〈加那志祁久〉 此コに思ひ出[応神記歌51]
《ク活》 近畿語ではク活用のク語法の末尾は「け甲く」になるが、東方語では「かく」になることがある。
[近畿] 実ノ無け甲く〈那祁久〉を[神武記歌9]
[東方] 夜らノ山辺ノ しげ甲かく〈之牙可久〉に 妹ロを立てて さ寝床払ふモ[万14 ―3489東歌]
万3489の形容詞語幹「しげ甲」は、「しゲ乙(繁)」とは別の語で、“人の行為を誹謗する舌鋒が鋭い”こと。「しげ甲し」を「鋭し」とも表記する。
(2)動詞のク語法の用例。
《四段》 梅ノ花 散らく〈知良久〉は何処[万5 ―823]
《ラ変》 直に逢はず 有らく〈阿良久〉モ多く[万5 ―809]
《上甲》 天ノ原 門渡る光 見らく〈見良久〉し良しモ[万6 ―983]
《上二》 恋ふらく〈古布良久〉は 富士ノ高嶺に 降る雪如すモ
[万14 ―3358一本]
《下二》 さ寝らく〈佐奴良久〉は 玉ノ緒ばかり[万14 ―3358東歌]
《サ変》 殺さむト 為らく〈須羅句〉を知らに[崇神十年注 紀歌18一云]
《カ変》 神代より 言ひ伝て来らく〈久良久〉[万5 ―894]
(3)ナ変完了助動詞「ぬ」・否定助動詞「ず]・過去助動詞「き」のク語法。
《完了ぬ》 夜ノ更ケぬらく〈深去良久〉[万10 ―2071]
《否定ず》 いまだ干なくに〈飛那久尓〉[万5 ―798]
《過去き》[上代1] 「けく」になる。応神記・応神紀の歌にのみ見える用例である。
菱殻ノ 刺しけく〈佐辞鶏区〉知らに[応神紀13年 紀歌36]
沼縄繰り 延∧けく〈波閉祁久〉知らに[応神記歌44]
[上代2] 応神記歌・応神紀歌以外の用例では「しく」になる。
馬立てて 玉拾ひしく〈拾之久〉[万7 ―1153]
【2】ク語法の語素構成についての従来説
金田一京助は1942年に東京大学の講義で、“ク語法は、活用語の連体形に「あく」が続いたもの”と述べた。私は基本的には金田一の説に賛同する。
大野晋は、金田一説に従いつつ、“「あく」は平安語に見える「あく離る」の「あく」であり、名詞である”と、『日本古典文学大系万葉集一』の「校注の覚え書」57~60頁や、『仮名遣と上代語』322~326頁で述べた。
いつまでか 野辺に心の あくかれむ 花しちらずは千世もへぬべし
[古今和歌集2 ―96]
「あく離る」は現代語では「あこがれる」になる。「あく」の原義は“事理”“事の筋道”である。
私は、大野の説のうち上記の部分については賛同し、ク語法は、動詞・助動詞・形容詞の連体形に、「あく離る」の「あく」が続いたものと考える。
だが、「あく」の音素配列については大野説には従わない。
【3】大野晋のク語法aku説には不備がある
大野は『仮名遣と上代語』324頁で、ク語法は「活用語の連体形+aku」がその起源形であると考えることによってはじめて包括的・統一的にその起源の説明が可能となる」という。しかし、ク語法を「連体形+aku」としたのでは、説明できない用例が残る。
(1)大野説では過去助動詞(回想の助動詞ともいう)「き」のク語法が「しく」になることを包括的には説明できない。
大野は『日本古典文学大系万葉集一』59~60頁でいう。「ただ一つの例外というのは、回想の助動詞キの連体形シにアクの接続した場合である。この場合は、他の例にならえばsi+aku→siaku→sekuすなわちセクという形になりそうだが、シクという形になる。この場合は、イヅク(何処)のク(意味は、やはり、所とか事にあたる)がついて、アクはつかなかったものである。」
“ク語法の構成は、一般的には「連体形+あく」だが、過去助動詞「き」の場合だけは「連体形+く」である”というのである。これでは包括的・統一的な説明とはいえない。
(2)大野説では過去助動詞「き」のク語法が「けく」になることを説明できない。
過去助動詞「き」のク語法には「しく」の他に「けく」もある。上掲の「刺しけく」「延∧けく」である。
この「けく」は、大野も認めるように、過去助動詞「き」のク語法である。そして過去助動詞の連体形は「し」である。そうすると、大野説によるならば、「si+aku→siaku→seku=せく」になるはずである。ところが、応神記歌・応神紀歌での文献事実は「けく」であって、「せく」ではない。
このことについて、大野は『仮名遣と上代語』326頁でいう。「キという形は、終止形だけではなく、古くは連体形としても働いたことがあるのではないか。」大野は“助動詞「き」の連体形には「き」もあった”とした上で、「kiaku→kekuという変化が起ったものと見るべきであろう」という。大野説が成り立つためには“助動詞「き」の連体形には「き」もあった”という仮説が必要になる、ということである。
日本語学では活用語の六活用形を定めるには、文献事実そのものに依らねばならない。文献事実によれば助動詞「き」の連体形は、「問ひし君はモ」[景行記歌24]などから解るように、「し」である。過去助動詞「き」には連体形「き」は存在しない。
大野は、自分の立てた“ク語法=連体形+aku”という仮説を存立させるために、文献事実に違背する仮説“過去助動詞連体形たる「き」がある”を提起するが、それは論理が逆である。真であるのは、〔過去助動詞には連体形たる「き」は存在しない〕という文献事実である。この文献事実に違背する大野説に従うことはできない。
§2 ク語法「AYく」説
【1】ク語法の「あく」はAYKWΩW
ク語法の「あく」の本質音はAYKWΩWだと推定する。
「く」の母音部WΩWは、「過ぐす・過ごす・過ゴす」の「ぐ・ご・ゴ」の母音部と同じであり、上代近畿語・平安語では現象音がWになるが、現代語でΩになる。
[平安] あく離れむ=AYKWΩW+離れむ→AYKWΩWかれむ
AYでは、完母音素Aは顕存し、兼音素Yは潜化する。
WはΩを双挟潜化する。
→AyKWωWかれむ→AKwWかれむ=AKWかれむ=あくかれむ
[現代] あこ離れ=AYKWΩW+離れ→AYKWΩWがれ
WΩWでは、Ωは顕存し、Wは二つとも潜化する。
→AyKwΩwがれ→AKΩがれ=あコがれ
【2】ク語法「AYく」説
ク語法は活用語の連体形に名詞「あく=AYKWΩW」が下接・縮約したものだと考える。
§3 形容詞ク語法の遷移過程 ―近畿語「悲しけく」「無けく」と東方語「しげかく」
【1】近畿語のク語法「悲しけく」「無けく」
《シク活》 「悲しけく」は、形容詞語幹「かN∀」に、形容源化語素S¥と、形容詞連体形の活用語足KYΩYと、「あく=AYKWΩW→AYく」が続いたもの。
悲しけく=かN∀+S¥+KYΩY+AYく→かN∀S¥KYΩYAYく
母音部YΩYAYではYAYが融合する。
→かN∀ ―S¥ ―KYΩ{YAY}く→かなしKyω{YAY}く
=かなしK{YAY}く=かなしけ甲く
《ク活》 無けく=NA+S¥+KYΩY+AYく→NAS ―¥KYΩYAYく
→NAs ―jKYΩ{YAY}く→NA ―Kyω{YAY}く
=なK{YAY}く=なけ甲く
【2】東方語のク活用ク語法「しげかく」
東方語「鋭かく」の語幹「しげ」は「しGY∀Y」だと推定する。「鋭し」はク形容Y∀Y群に属する。
[東方] 鋭かく=しGY∀Y+S¥+KYΩY+AYく
→しGY∀YS ―¥KYΩYAYく→しG{Y∀Y}s ―jKYΩYAYく
母音部YΩYAYでは完母音素Aのみが顕存し、他は潜化する。
→しG{Y∀Y} ―KyωyAyく=しG{Y∀Y} ―KAく=しげ甲かく
§4 動詞のク語法の遷移過程
動詞のク語法は、動詞の連体形に、「AYく」が続いたものである。
《四段》 動詞語素に、連体形の活用語足AUと、「AYく」が続く。
散らく=散R+AU+AYく→ちRAUAYく
母音部AUAYでは、まず、AがUを双挟潜化する。最終的には、後方にある完母音素Aのみが顕存し、他は潜化する。
→ちRAuAYく→ちRAAyく→ちRaAく=ちRAく=ちらく
《ラ変》 有らく=AYR¥¥+AU+AYく→AyR¥¥AUAYく
→AR¥¥AuAYく→ARjjAAyく→あRaAく=あらく
《上甲》 MYに、活用形式付加語素YRYとAUと「AYく」が続く。
見らく=MY+YRY+AU+AYく→MYYRYAUAYく
YRYAUAYでは、R直後の母類音素群に複数の完母音素がある。この場合、Rは双挟潜化されずに顕存する。
→MyYRYAuAYく=MYRYAAYく
YAAYではAAはひとまず顕存し、Yは二つとも潜化する。
→MY ―RyAAyく→MY ―RaAく=MY ―RAく=み甲らく
《上二》 「恋PW」に、YRYとAUと「AYく」が続く。
恋ふらく=恋PW+YRY+AU+AYく→こPWYRYAUAYく
WYとYAUAYは呼応潜顕する。後者では、まず、AがUを双挟潜化し、次に二つのYが潜化し、最終的には後方にある完母音素Aのみが顕存する。R直後のYが潜化したことに呼応して、前者ではYは潜化し、Wは顕存する。
→こPWYRYAuAYく→こPWy ―RyAAyく→こPW ―RaAく
=こふらく
《下二》 動詞語素N¥Ω¥に、WRWとAUと「AYく」が続く。
寝らく=N¥Ω¥+WRW+AU+AYく→N¥Ω¥WRWAUAYく
¥Ω¥WとWAUAYは呼応潜顕する。後者では、まず、AがUを双挟潜化し、次にW・Yが潜化し、最終的には後方にあるAのみが顕存する。R直後のWが潜化したことに呼応して、前者ではWは顕存し、他は潜化する。
→N¥Ω¥WRWAuAYく→NjωjW ―RwAAyく
→NW ―RaAく=ぬらく
《サ変》 SYOYに、活用形式付加語素YWRYとAUと「AYく」が続く。
為らく=SYOY+YWRY+AU+AYく→SYOYYWRYAUAYく
YOYYWとYAUAYは呼応潜顕する。後者では、まず、AがUを双挟潜化し、次に二つのYが潜化し、最終的には後方にあるAのみが顕存する。R直後のYが潜化したことに呼応して、前者ではWは顕存し、他は潜化する。
→SYOYYWRYAuAYく→SyoyyW ―RyAAyく
→SW ―RaAく=すらく
《カ変》 K¥O¥に、YWRYとAUと「AYく」が続く。
来らく=K¥O¥+YWRY+AU+AYく→K¥O¥YWRYAUAYく
¥O¥YWとYAUAYは呼応潜顕する。後者では、まず、AがUを双挟潜化し、次に二つのYが潜化し、最終的には後方にあるAのみが顕存する。R直後のYが潜化したことに呼応して、前者ではWは顕存し、他は顕存する。
→K¥O¥YWRYAuAYく→KjojyW ―RyAAyく
→KW ―RaAく=くらく
§5 完了助動詞「ぬ」・否定助動詞「ず」のク語法の遷移過程
【1】ナ変活用する完了助動詞「ぬ」のク語法
更ケぬらく=更K+¥Ω¥+WRW+YYN+WRW+AU+AYく
→ふK¥Ω¥WrWYY ―NWRWAUAYく
→ふK{¥Ω¥}WWYY ―NWRWAuAYく
→ふK{¥Ωj}wwyy ― ―NW ―RwAAyく
→ふK{¥Ωj} ― ―NW ―RaAく=ふケ乙ぬらく
【2】否定助動詞「ず」のク語法
動詞の未然形ずむ用法に、否定助動詞語素N¥と、その連体形の活用語足AUと、「AYく」が続く。
干なく=PWY+YRY+∀+N¥+AU+AYく
→PWYYrY∀ ―N¥AuAYく→P{WY}YY∀ ―NjAAyく
→P{WY}yyα ―NaAく=P{WY} ―NAく=ヒ乙なく
§6 詠嘆助動詞「け甲り・ケ乙り・かり」と過去推量助動詞「けらし」
過去助動詞「き」のク語法について述べる前に詠嘆助動詞「け甲り・ケ乙り・かり」と過去推量助動詞「けらし」の語素構成・遷移過程を述べておきたい。
【1】助動詞「け甲り・ケ乙り・かり」の用例
「けり・ケり・かり」はラ変活用する。第一音素節は近畿語では「け甲」だが、東方語では「ケ乙」にも「か」にもなる。
[近畿]《終止》 尊くありけ甲り〈阿理祁理〉[記上巻歌7]
《已然》 歌ひつつ 醸みけ甲れ〈迦美祁礼〉かモ[仲哀記歌40]
[東方1]《連体》 絶イエにケ乙る〈多延尓気流〉かモ[万20 ―4404防人歌]
[東方2]《終止》 垢付きにかり〈都枳尓迦理〉[万20 ―4388防人歌]
【2】「有りけり」の語素構成・遷移過程とYSYKYAY呼応潜顕
山田孝雄は『奈良朝文法史』326頁で、疑問符を付けながらも、「き(?) ―あり」が熟合して「けり」になったとする。私は山田説に賛同する。
(1)「有りけり」の語素構成。
「けり・ケり・かり」は動詞の語素形Y用法に続く。
「けり・ケり・かり」は、過去助動詞「き」の助動詞語素SYKに、その語素形Y用法の活用語足Yと、ラ変動詞「有り=AYり」が続いたもの。
[近畿]《終止》 有りけり=有R¥¥+Y+SYK+Y+AYR¥¥+W
→あR¥¥YSYKYAYR¥¥W
(2)YSYKYAY呼応潜顕。
音素配列YSYKYAYの遷移過程はYSYKYAY直後がRである場合と、Kである場合とで異なる。
YSYKYAYの直後がRである場合には、SがYに双挟潜化され、Kは顕存する。
YSYKYAYの直後がKである場合は、応神記歌・応神紀歌での用例と、それ以外の用例とで、異なる遷移過程が起きる。
応神記歌・応神紀歌では、SがYに双挟潜化され、Kは顕存する。
応神記歌・応神紀歌以外の用例では、KがYに双挟潜化され、Sは顕存する。
この遷移をYSYKYAY呼応潜顕と呼ぶ。
(3)「有りけり」の遷移過程。
「有りけり」の遷移過程の続きは次のようである。
YSYKYAY直後の父音素はRなので、SはYに双挟潜化される(YSYKYAY呼応潜顕)。
→あR¥¥YsYKYAYR¥¥w→あRjjYYKYAYR¥¥
→あRyYK{YAY}Rj¥=あRYK{YAY}R¥=ありけ甲り
【3】東方語「絶イエにケる」「付きにかり」の遷移過程
[東方1] 絶イエにケる→絶Y+¥Ω¥+WRW+YYN+Y+SYK+Y
+AYR¥¥+AU
→たY{¥Ω¥}WrWYY ―NYSYKYAYRjjaU
→たY{¥Ωj}wwyy ―NYSYKYAYRU
→たイエNYSYKYAYRU
YSYKYAY直後の父音素はRなので、SはYに双挟潜化される(YSYKYAY呼応遷移)。
→たイエNYsYKYAYRU→たイエNYY ―K{YAY}る
東方語では{YAY}の末尾のYは潜化することがある。
→たイエNyY ―K{YAy}る=たイエにケ乙る
[東方2] 付きにかり=付K+YYN+Y+SYK+Y+AYR¥¥+W
→つKyY ―NYSYKYAYR¥¥w→つKY ―NYSYKYAYRj¥
YSYKYAYRでは、SはYに双挟潜化される(YSYKYAY呼応潜顕)。
→つき ―NYsYKYAYR¥
母音部YAYで、Aは顕存し、Yは二つとも潜化する。
→つき ―NYY ―KyAyり→つき ―NyY ―KAり=つきにかり
【4】助動詞「けらし」の遷移過程
領巾振りけらし〈布利家良之〉 松浦佐用姫[万5 ―873]
「振りけらし」は、「振R」に、活用語足Yと、過去助動詞語素SYKと、活用語足Yと、ラ変「有り」の語素AYR¥¥と、助動詞「WWRYA+し」が続いたもの。
振りけらし=振R+Y+SYK+Y+AYR¥¥+WWRYA+し
=ふRYSYKYAYR¥¥WWRYAし
SはYに双挟潜化される(YSYKYAY呼応潜顕)。
Rは¥¥WWを双挟潜化する。
=ふRYsYKYAYRjjwwRyAし
→ふRyYK{YAY}RrAし=ふりK{YAY}RAし=ふりけ甲らし
§7 過去助動詞「き」のク語法が「けく」にも「しく」にもなる理由
[上代1] 過去助動詞「き」のク語法が応神記歌・応神紀歌で「けく」になる遷移過程。
「刺しけく」の語素構成は、動詞語素「刺S」に、語素形Y用法の活用語足Yと、過去助動詞語素SYKと、その連体形の活用語足Yと、「あく=AYKWΩW」が続いたもの。
《四段》 刺しけく=刺S+Y+SYK+Y+AYKWΩW
→さSYSYKYAYKWωW
YSYKYAYの直後がKであって、応神記・応神紀の歌詞である場合には、SがYに双挟潜化され、Kは顕存する(YSYKYAY呼応潜顕)。
→さSYsYKYAYKwW→さSyYK{YAY}KW=さしけ甲く
《下二段》 「延∧けく」の語素構成は、「延P」に、¥Ω¥と、語素形Y用法の活用語足Yと、SYKと、その連体形の活用語足Yと、AYKWΩWが続いたもの。
延∧けく=延P+¥Ω¥+Y+SYK+Y+AYKWΩW
→はP¥Ω¥YSYKYAYKWωW
YSYKYAYの直後がKであって応神記・応神紀の歌詞である場合には、SがYに双挟潜化され、Kは顕存する(YSYKYAY呼応潜顕)。
→はP¥Ω¥YsYKYAY ―KwW→はP{¥Ω¥}YY ―K{YAY}く
→はP{¥Ωj}yyけ甲く=は∧乙け甲く
[上代2] 過去助動詞「き」のク語法が応神記歌・応神紀歌以外の用例で「しく」になる遷移過程。
「拾ひしく」の語素構成は、動詞語素以外は「刺しけく」と同一である。
《四段》 拾ひしく=拾P+Y+SYK+Y+AYKWΩW
→ひりPYSYKYAYKWωW
YSYKYAYの直後がKである場合、応神記歌・応神紀歌以外の用例では、KがYに双挟潜化され、Sは顕存する(YSYKYAY呼応潜顕)。
→ひりPYSYkYAYKwW=ひりPYSYYAYKW
PYの母音部YとSYYAYの母音部YYAYは呼応潜顕し、共にYになる。そのために、まずYAYでYがAを双挟潜化する。
→ひりPYSYYaYく→ひりPYSyyYく=ひりPYSYく
=ひりひ甲しく
上記のように、ク語法「AYく」説に依るなら、すべてのク語法の用例を統一的に説明できる。
応神記・応神紀の歌詞に限ってYSYKYAYの遷移過程が異なるのはなぜか。
それは日本語学の問題というより、むしろ日本古代史の問題になる。応神天皇・仁徳天皇らの歴史については拙著『古代天皇系図の謎』『邪馬壹国の論理と数値』『日本の国号』『巨大古墳の被葬者』等を参照されたい。