本書の内容の一部を簡略に述べる。
一字一仮名表記の用例によって上代語動詞の六活用形を論定したならば、動詞の段行活用の分類について重要な命題を得ることができる。
平安語で上一段活用する「居る」は、上代語では次のとおり活用する。
連用 ゐ 終止 う 連体 ゐる
「居」の終止形は、平安語では「い」段で始まる二音節「ゐる」だが、上代語では「う」段の一音節「う」である。
同様のことは「干(乾)」の活用においても見られる。平安語で上一段活用する「干る」は、上代語では次のとおり活用する(一字一仮名表記の用例には『干』の已然形は存在しない)。
未然 ヒ乙 連用 ヒ乙 終止 ふ
活用段に着目すると、上代語での「居」「干」の活用は一つの群にまとめることができる。次のとおりである。
未然 イ乙 連用 イ乙・い丙 終止 う 連体 い丙+る
注目すべきは、連用形に「イ乙」段一音節の形があることである。これには類例がある。上代語「廻」の活用は次のとおりで、連用形は「イ乙」段一音節「ミ乙」である。
連用 ミ乙 連体 ミ乙る
そこで、上代語での「居」「干」「廻」の活用は一つの群にまとめることができる。未然・連用・終止・連体の順に記す。
イ乙 イ乙・い丙 う イ乙・い丙+る
上代語でのこの活用を上乙段活用と呼ぶ。
他方、序章で述べたように、平安語で上一段活用する「見る」の上代語での終止形は、「い甲」段一音節「み甲」であって、上乙段活用の終止形「う」段一音節とは異なる。
上代語での「見」の活用を上甲段活用と呼ぶ。
平安語の上一段活用は、上代語では上甲段活用と上乙段活用とに分離していたのである。
本書を著すにあたっては多くの先学の論考から啓示を頂いたが、とりわけ橋本進吉博士と大野晋博士に厚く敬意を捧げる。
2018年7月2日
坂田 隆