序章

動詞・助動詞・形容詞の活用形はどのような過程で形成されるのか。
上代特殊仮名はどのような音素配列で表せるのか。
これら二つは日本語学の重要な問題である。本書はこれら二つの問題を統合して考究する。


§1 上代語には終止形「見る」はない

【1】先入観を排し、上代語の文献事実に基づいて、動詞・助動詞・形容詞の六活用形を定める

平安語(平安京が首都だった時代の日本語。19世紀ごろまでを含む)では、動詞「見る」「干る(乾る)」「居る」は、活用行は異なるが、活用段は同一で、「い」段である。平安語「見る」なら、未然形・連用形・終止形・連体形・已然形・命令形の順に、
み  み  みる  みる  みれ  みヨ
である。このような活用は上一段活用と呼ばれる。「見る」は平安語では上一段活用であり、終止形は「みる」である。
では、上代語(三世紀ごろから八世紀ごろまでの日本語)では、「見」「干」「居」の活用はどのようであるか。
上代語での「見」「干」「居」の活用を知るには『古事記』『日本書紀』『万葉集』など上代語文献にある「見」「干」「居」の用例を捜羅し、それらを六活用形(未然形・連用形・終止形・連体形・已然形・命令形)に分類すればよい。その際には、先入観を排し、一字一仮名で記された文献事実そのものに従うことが肝要である。

【2】文献事実たる用例が挙げられないまま上代語での終止形が「みる」だとされている

上代語での「見」の未然形・連用形・連体形・已然形・命令形は次の用例によって解る(〈 〉内は原文)。
《未然》 都見ば〈弥婆〉 いやしき吾が身 また若ちぬ∧”し[万5 ―848]
《連用》 波立ち来やト 見て〈見底〉帰り来む[万18 ―4032]
《連体》 胸見る〈美流〉時[記上巻歌4]
《已然》 千葉ノ 葛野を見れば〈美礼婆〉[応神記歌41]
《命令》 吉野ヨく見ヨ〈見与〉[万1 ―27]
では、上代語での「見」「着」の終止形は何か。
この問いに明確に答える論者は皆、「みる」「きる」だという。
橋本進吉は「用言の研究」(昭和五年の東京帝国大学での講義案)『橋本進吉博士著作集第七冊国文法体系論』315頁で「見」の活用を次のように記す。
み(甲)  み(甲)  み(甲)る  み(甲)る  み(甲)れ
み(甲)よ
だが、橋本は終止形が「みる」であることを示す用例を挙げない。
山田孝雄は『奈良朝文法史』154~157頁で、「一段」活用の「原形」(終止形)を「イる」と記し、「用例の一班を示す」といって諸例を示すが、「見」の用例として挙げたのは、「伊敝乃安多里見由」[万15 ―3608]である。しかし、「見由」の「由」は「ゆ」であって、「る」ではない。
大野晋は「万葉時代の音韻」『万葉集大成第六巻』320頁で、「奈良朝の形」として、「見る」の終止形をmi-ruと記す。大野はまた『仮名遣と上代語』86~87頁で、「奈良時代の動詞活用と上代特殊仮名遣との関係を実例から帰納して表示すれば次の如くである。」と述べて、表を掲げるが、その表の「上一段活用(カ、マ行)」の「終止形」のところには「イ列甲〔iru〕」と記す。大野は「実例から帰納して表示」というが、実例は挙げられていない。
馬淵和夫は『上代のことば』220頁で、「見る」「着る」について、「こういう純粋上一段活用の動詞が、  き き きる きる きれ きよ  のような、もっとも単純な形をとっている」という。だが、その用例を挙げない。
浅見徹・橋本四郎は『時代別国語大辞典上代編』の「上代語概説」第三章38頁で、「上一段」の動詞として、「見ル」を挙げ、その終止形を「ミル」とする。だが、この辞典の「みる[見・視・看]」の項を見ても終止形「みる」の用例は挙げられていない。
山口佳紀は『古代日本語史論究』316頁で次のとおりいう。
「本来の上一段とは、キル(着)・ミル(見)などである。これは、たとえば次のように活用する。
キ甲 キ甲 キ甲ル キ甲ル キ甲レ キ甲ヨ乙」
だが、終止形「き甲る」の用例を挙げない。

【3】上代語には連体形「見る」はあっても終止形「見る」はない

諸学者が終止形たる「みる」の用例を挙げないのは当然である。上代語には「見る」はあるが、それはすべて連体形なのである。

① 助詞「まで」に上接する「みる」。

降る雪ト 人ノ見るまで〈美流麻提〉[万5 ―839]
上二段活用・下二段活用・カ行変格活用などの動詞には、「まで」に上接する用例があるが、上代近畿語の用例ではすべて連体形が「まで」に上接する。
《上二》 梅ノ花 散り過ぐるまで〈須具流麻弖〉[万20 ―4497]
《下二》 昼は 日ノ暮るるまで〈久流留麻弖〉[万4 ―485]
《カ変》 吾が来るまで〈久流麻?〉に[万20 ―4408]
よって、「まで」に上接する「みる」は連体形である。

② 助詞「が」に上接して主語になる「みる」。

見る〈見流〉がトモしさ[万15 ―3658]
「見るが」の「見る」は連体形である。そのことは「見イエぬが」によって解る。否定助動詞「ず」は、連体形「ぬ」の形で助詞「が」に上接する。
吹く風ノ 見イエぬが〈見要奴我〉ゴトく[万19 ―4160]

③ 助詞「に」に上接する「みる」。

見るに〈美流尓〉知らイエぬ 貴人ノ子ト[万5 ―853]
否定助動詞「ず」は連体形「ぬ」で「に」に上接する。
眠ノ寝らイエぬに〈祢良延奴尓〉[万15 ―3665]
よって、「に」に上接する「見る」は連体形である。

④ 係助詞「なモ」を結ぶ「みる」。

嬉し喜ぼしトなモ見る〈奈毛見流〉[続紀神護景雲三年宣命46]
助詞「なモ」を結ぶ動詞としてはカ変・サ変などがあるが、いずれも連体形である。
仕∧奉る事に依りてなモ〈奈母〉天つ日嗣は平ケく安らケく聞コし召し来る〈来流〉。[続紀天平勝宝元年宣命13]
御命を受ケ給はりてなモ〈奈母〉、かく為る〈為流〉。
[続紀天平宝字三年宣命25]
よって、「なモ」を結ぶ「見る」は連体形である。


§2 「見」の終止形は上代語では「み」である

【1】「見」の終止形を「みる」から「不明」へと修正した橋本進吉

橋本進吉は「用言の研究」では、上代語「見」「着」の終止形を「みる」「きる」だと明記した。だが、その後に発表した「上代における波行上一段活用に就いて」『橋本進吉博士著作集第五冊上代語の研究』190頁で、カ行・マ行の「上一段活用」動詞(見る・着る)終止形について、これらを「未詳」「不明」と記す(橋本のいう「将然」は未然形のこと)。「次に上一段活用について見るに、カ行の将然、連用、命令の語尾キ、連体の語尾キルのキは共に伎の類であり(其他の活用形は仮名書きの例がない故に未詳)、マ行の将然、連用の語尾ミ、連体の語尾ミル、已然の語尾ミレのミは皆美の類である(其他の活用形では不明)。」
「見」「着」の終止形たる「みる」「きる」の用例は存在しない。先入観を捨て、「見」「着」の終止形を、一旦、未詳・不明とし、あらためて、上代語文献の用例を検討し、文献事実に基づいて「見」「着」の終止形を論定する必要がある。

【2】助詞「トモ」に上接して将然逆接仮定の意を表す動詞は終止形になる

上代語では助詞「トモ」に上接して、将然逆接仮定条件“……しようとも”を表す動詞は、四段・上二段・下二段・サ変・ナ変・ラ変、すべて終止形になる(カ変については「く」を音仮名で表した用例はない)。
《四段》 沖つ波 千重に立つトモ〈多都等母〉[万15 ―3583]
《上二》 時は過ぐトモ〈須具登母〉[万14 ―3493或本。東歌]
《下二》 沖つ波 寄すトモ〈与須止毛〉寄らじ[常陸国風土記茨城郡条]
《サ変》 葛飾早稲を 饗為トモ〈尓倍須登毛〉[万14 ―3386東歌]
《ナ変》 死なば死ぬトモ〈斯農等母〉[万5 ―889]
《ラ変》 言問はぬ 木には有りトモ〈安里等母〉[万5 ―811]
《カ変》 辺波しくしく 寄せ来トモ〈来登母〉[万7 ―1206一云]
そして上代語では「見」が「トモ」に上接する場合には「み甲」になる。
ひねモすに 見トモ〈美等母〉飽く∧”き 浦にあらなくに
[万18 ―4037]
つらつらに 見トモ〈美等母〉 飽かメや[万20 ―4481]
しばしば見トモ〈美等母〉[万20 ―4503]

【3】「見トモ」についての従来説

(1)「トモ」に上接する動詞を語幹だとする濱田敦説。

濱田敦は「助動詞」『万葉集大成第六巻』99頁で、助詞「トモ」などに上接する動詞の活用形について、「本来動詞の終止形ではなくして、その語幹に直接したもの」だという。
しかし、「トモ」に上接する動詞の用例として、「寄すトモ」も「有りトモ」もある。これらの「寄す」「有り」を語幹とすることはできない。よって、「見トモ」の「み」についても、これを語幹とすることはできない。

(2)「見トモ」の「み」を未然形あるいは連用形だとする橋本進吉説。

橋本進吉は『橋本進吉博士著作集第七冊国文法体系論』321頁で、「見トモ」の「トモ」について、「これも上一段には、将然連用につく。」と断定する。だが橋本はその論拠を示さない。
逆に、〔「トモ」に上接する「み」は未然形・連用形でない〕という論拠は提示できる。平安語の「動詞+トモ」の用例を見よう。
仮に、“動詞が「トモ」に上接する場合、「見」だけは、他の動詞とは異なって、未然形・連用形になる”としよう。それならば、平安語においても、「見」が「トモ」に上接する場合には未然形・連用形たる「み」になるはずである。平安語の文献事実はどのようであるか。
まず、「見」以外の動詞が「とも」に上接する平安語の用例を挙げる。
《四段》 人をとふとも 我かと思はむ[古今和歌集14 ―738]
《上二》 春はすぐとも かたみならまし[古今和歌集1 ―46]
《下二》 年ふとも たづぬる人も あらじと思へば[古今和歌集15 ―780]
《カ変》 藤の花 立よりくとも なみにおらるな[後撰和歌集3 ―120]
《サ変》 あし曳の 山ゐはすとも[後撰和歌集10 ―633]
《ナ変》 音にはたてじ 恋はしぬとも[古今和歌集11 ―492]
《ラ変》 こと浦にまつ 人はありとも[続千載和歌集3 ―217]
《下一》 太政大臣の しりはけるとも この殿のうしかひに てふれてんや。
[落窪物語2]
このように、平安語でも四段・上二段・下二段・カ変・サ変・ナ変・ラ変・下一段すべてで終止形で「トモ」に上接する。
次に、「見」が「とも」に上接する平安語の用例を挙げる。仮に、“「見」は未然形・連用形で「トモ」に上接する”ものなら平安語では「みトモ」になるはずである。だが文献事実の平安語では将然逆接仮定条件を表す「見」は終止形「みる」で「トモ」に上接する。
《上一》 わが宿に さけるさくらの 花さかり ちとせみるとも あかじとそ思う[拾遺和歌集5 ―279]
よって、橋本の“「トモ」に上接する「見」は未然形・連用形”という説には従えない。

【4】上代語「見トモ」の「見」は終止形

「トモ」に上接して“……しようとも”の意味になる動詞は終止形である。そして上代語では動詞「見」が「トモ」に上接する場合、常に「み甲」になる。よって、上代語動詞「見」の終止形は「み甲」だと論定できる。

【5】「見」終止形が上代語で「み」に、平安語・現代語で「みる」になるのはどうしてか

上代語「見」の終止形が「み」だと解れば、次のことが日本語学の重要な問題になる。
「見」の終止形が、上代語では「み甲」になり、平安語・現代語で「みる」になるのは、何が原因で、どのような経緯によってであるか。本書ではこの問題を論究する。

【6】「終止形み・みる」問題は上代特殊仮名問題と密接に関連する

「上代語終止形み・平安語終止形みる」など動詞についての諸問題を解決しようと思えば上代特殊仮名について考察する必要がある。
本書では、動詞・形容詞が有する規則性と上代特殊仮名の音素配列を並行して論じる。


§3 上代近畿語・上代東方語・上代九州語は同等に貴重

【1】上代近畿語・上代東方語・上代九州語

上代において、奈良盆地などの近畿地方や吉備国・出雲国・越国・尾張国あたりで用いられた言語を上代近畿語、略して近畿語と呼ぶ。
万葉集の東歌・防人歌や常陸国風土記の歌謡などで用いられる言語、および、東国(信濃・遠江以東)で生まれ育った人などの言語を上代東方語、略して東方語と呼ぶ。
『豊後国風土記』『肥前国風土記』など西海道風土記に記された言語や、『日本書紀』の九州での記事およびその注で用いられる言語、『万葉集』歌のうち九州で詠まれた歌、そして上代に九州で生まれ育った人や九州で子を生んだ人の言語を、上代九州語、略して九州語と呼ぶ。

【2】近畿語・東方語・九州語は同等に尊重されねばならない

近畿語・東方語・九州語は三者とも上代日本語の一部であり、日本語の基層を成すものである。
「家」第二音素節は近畿語では「へ甲」だが、東方語では「∧乙」「ひ甲」「は」とも表記される。この場合、東方語「∧乙」「ひ甲」「は」を軽視してはならない。日本語「家」の第二音素節は本来的に「へ甲」「∧乙」「ひ甲」「は」に音韻転化するものだと考える。そして「へ甲」「∧乙」「ひ甲」「は」に音韻転化する音素配列はどのようであるかを考える。
「姫」第二音素節は八世紀の近畿語では「め甲」だが、七世紀推古天皇時代の文献では「み甲」と表記され、九州で詠まれた万葉集歌では「メ乙」と表記される。この場合、日本語「姫」の第二音素節は近畿語では「め甲」「み甲」に、九州語では「メ乙」に音韻転化するものだと考え、このように音韻転化する音素配列はどのようであるかを考える。
動詞活用の中の音素節についても同様のことがいえる。
下二段活用動詞連体形の語尾は、近畿語では「う段+る」になる。ナ行で活用する「撥ぬ」の連体形なら「はぬる」になる。このことから類推するなら、ラ行で活用する「顕る」の連体形は「あらはるる」になると予想される。だが、東方語では「あらはろ」になる。どうして「あらはるる」ではなく、「あらはろ」になるのか。その原因と経緯を考える。
東方語・九州語では、近畿語とは異なる経緯で音韻転化が起きて、近畿語とは異なる仮名になることがある。この場合の東方語・九州語の用例を軽視・無視してはならない。一見異例のように見える東方語・九州語の稀少用例は、動詞活用の遷移過程を解明する上で貴重な事例だと認識して真摯に考察すべきである。
本書では、日本語学を論考する者の義務として、東方語・九州語を考察する。そして、当然のこととして、東方語・九州語での用例を根拠として活用語の遷移過程を推定する。


凡   例

† 上代語の用例を読み下して引用する際には、平易な漢字と平仮名・片仮名を用いて解りやすい表記に書き換える。「々」などの踊り字は正字に直して表示することが多い。
肝要な単語・文節の原文は、読み下し直後の〈 〉内に新字体で記す。
一つの文や一首の歌の一部分を引用する際、「前略」「下略」は記さない。ことが多い。
† 上代特殊仮名の表記について。八世紀に成立した『古事記』『日本書紀』『万葉集』などでは、き・ひ・み・け・へ・め・こ・そ・と・の・よ・ろ・ぎ・び・げ・べ・ご・ぞ・ど(『古事記』では「も」も)に相当する仮名は、二類(甲類・乙類)に識別されている。上代特殊仮名である。本書では、甲類の仮名を平仮名で記し、乙類の仮名を片仮名で記す。但し、乙類の「へ」は「∧」と記し、乙類の「べ」は「∧”」と記す。甲類の仮名を表す場合、平仮名の後に「甲」を、乙類の仮名を表す場合、片仮名の後に「乙」を付けることがある。
甲類・乙類の識別が不可能あるいは困難な場合は片仮名で記す。
甲類・乙類に識別されない仮名を、丙類と呼び、「ほ丙」などと記すこともある。丙類の「お」段音節をまとめて「お丙」段と呼ぶ。「い丙」段・「え丙」段も同様。
「お丙」段ではあるが、本質的には「お甲」段に相当する音素節がある。このような音素節と「お甲」段音素節とをまとめて「お甲・お丙」段と呼ぶ。「え甲・え丙」段・「い甲・い丙」段も同様。
「お甲・お丙」段の母音部を「お甲・お丙」と呼ぶ。「え甲・え丙」・「い甲・い丙」なども同様。
同様に、「オ乙・お丙」段・「エ乙・え丙」段・「イ乙・い丙」段および「オ乙・お丙」「エ乙・え丙」・「イ乙・い丙」を定める。
ア行の「え」は「え」と記し、ヤ行の「え」は「イエ」と記す。
† 『万葉集』歌謡のうち、巻十八の[4044~4049番歌][4055番歌][4081~4082番歌][4106番歌][4111~4118番歌]、および、巻十五の[3745~3765番歌][3694番歌]、合わせて40首における上代特殊仮名の識別は、大野晋『仮名遣と上代語』100~111頁の論証に従い、上代語とは認めない。772年に成立した『歌経標式』は、「甲類の」「乙類ノ」の混乱が多いので、本質音を推定するための資料にはしない。
† 『古事記』景行天皇章を景行記と略記する。他も同様。
『日本書紀』崇神天皇章を崇神紀と略記する。他も同様。
『日本書紀』巻一を神代上紀、『日本書紀』巻二を神代下紀と略記する。神代上紀・神代下紀の段区分・一書番号については『日本古典文学大系日本書紀上』に従う。
『万葉集』はこれを万と略記することも多い。
† 平安時代の文献を引用する際には、濁点を付加することもある。また、原文の平仮名を漢字に書き換えることもある。
† イタリック体のアルファベットについて。
MとPが連続した場合、MPが融け合って、バ行を形成することがある。この場合、MPが融け合った子音をBと表記する。Dなども同様。
Aは、「あ」を形成するが、その本質的な音素配列を明示できないもの。Uも同様。
Oは、「お甲」・「オ乙」・「お丙」のいずれかを形成するが、本質的な音素配列を明示できないもの。Iも同様。