第2章 Yは「い甲」を形成する音素の一つ

§1 近畿語で「ヨ」にも「イエ」にもなる「良し」の第一音素節はYYO

【1】「良し」「吉野」の第一音素節は上代語で「ヨ」にも「イエ」にもなる。

[上代1] 大王し 良し〈与斯〉ト聞コさば[仁徳記歌65]
吉野〈余思努〉ノ宮を あり通ひ見す[万18 ―4099]
[上代2] 何ノ伝言 直にし 良けむ〈曳鶏武〉[天智10年 紀歌128]
み吉野〈延斯怒〉ノ 小室が岳に[雄略記歌96]

【2】上代語で「良し」「吉野」の第一音素節が「ヨ」「イエ」になる理由

「良し」「吉野」の第一音素節の本質音はYYOだと推定する。
[上代1] YYが父音部になり、Oが母音部になる。父音部YYでは前のYが顕存し、後のYは潜化する。YOは「ヨ乙」になる。
良し=YYOし→YyOし=YOし=ヨ乙し
[上代2] 前のYが父音部になり、YOが母音部になる。母音部ではYOは融合する。{YO}は「エ乙・え丙」を形成する。Y{YO}はヤ行・エ段の「イエ」になる。
良し=YYOし→Y{YO}し=イエし


§2 兼音素・父類音素

【1】兼音素

(1)Yは父音素性と母音素性を兼ね備える。

YYOの初頭にあるYはヤ行の「ヨ」「イエ」を形成するから、父音素性を持つ。そして{YO}のYは、Oと融合して「エ乙・え丙」を形成するから、母音素性をも持つ。

(2)兼音素。

父音素性と母音素性を兼ね備える音素を兼音素と呼ぶ。
Yは父音素性と母音素性を兼ね備えるから、兼音素である。

(3)通兼音素Y。

兼音素は四つある。それぞれ重要なので個別に名を付ける。
兼音素Yを通兼音素と呼ぶ。
父音素がYの前にあり、別の父音素がそのYの後にある場合、Yは顕存する。

【2】父類音素

父音素と兼音素を合わせた音素の集合を父類音素と呼ぶ。
兼音素は父類音素に含まれ、母類音素にも含まれる。

【3】母音素

父類音素でない音素を母音素と呼ぶ。
完母音素たるA・O・Uは母音素に含まれる。


§3 「います」の「い」はY

(1)動詞「坐す」は「います」とも「ます」とも読まれる。

[上代1] 地ならば 大王います〈伊摩周〉[万5 ―800]
幸く いまして〈伊麻志弖〉 早帰りませ[万5 ―894]
いまし〈伊麻思〉を頼み 母に違ひぬ
[万14 ―3359東歌。「いまし」は“高い位にいる人”“あなた様”の意]
[上代2] 大王は 千歳にまさむ〈麻佐武〉[万3 ―243]
吾が夫子が 国へましなば〈麻之奈婆〉[万17 ―3996]
鄙モ治むる ますらを〈麻須良袁〉や 何かモノ思ふ
[万17 ―3973。「ら」は助詞。「を」は“男”。「ますらを」は“いらっしゃる男”で、“高い位にいる男”の意]

(2)「坐す」が「います」とも「ます」とも読まれる理由。

「坐す」の本質音は「YMAす」だと推定する。
[上代1] 兼音素Yは母音素性を発揮する。YとMAの間で音素節が分離する。音素節Yは単独で「い」になる。
音素節が分離する位置を明瞭に示したい場合にはハイフン
―を用いる。
坐す=YMAす→Y ―MAす
通兼音素Yは単独で「い」になる。
=います
[上代2] 兼音素Yは父音素性を発揮する。YMAが一つの音素節になる。YMが父音部になる。YMでは父音素Mは顕存し、兼音素Yは潜化する。
坐す=YMAす→yMAす=MAす=ます


§4 動詞に助動詞「ます」が続く用法は語胴形Yます用法

【1】四段動詞に尊敬助動詞「ます」が続く場合の遷移過程

四段動詞に尊敬助動詞「ます」が続く場合には、動詞語尾は「い甲・い丙」段になる。
吾が大王ノ 隠ります〈訶句理摩須〉 天ノ八十影
[推古紀20年 紀歌102。「天ノ八十影」は“天にあって多くの影を作るもの”で、太陽のこと。太陽の形は円なので、この歌では“円墳”を意味する]
動詞に助動詞「ます」が続く場合の構成は、動詞の活用語胴に助動詞「ます」が続いたもの。
「隠る」は四段動詞だからその活用語胴は動詞語素と同一で「隠R」である。
助動詞「ます」は四段動詞「坐す」と同源語で、その本質音は「YMAす」である。
隠ります=隠R+YMAす→隠RYMAす
RYのYは母音素性を発揮して母音部になり、「い」段を形成する。RYは「り」になる。
→かくRY ―MAす=かくります

【2】動詞の語胴形

動詞の活用で、活用語胴に助動詞が続くものを語胴形と呼ぶ。
動詞の活用語胴に尊敬助動詞「ます=YMAす」が続く用法を語胴形Yます用法と呼ぶ。


§5 Yは「い甲」を形成する音素の一つ

【1】四段動詞の語胴形Yます用法で動詞語尾が「い甲」段になる理由

君ノ御代御代 敷き甲ませる〈之伎麻世流〉 四方ノ国には
[万18 ―4094]
「敷きませ」は、四段動詞「敷く」の活用語胴「敷K」に助動詞「ませ=Yませ」が続いたものである。
敷きませ=敷K+Yませ→しKYませ
この「しKYませ」が「しき甲ませ」である。
=しき甲ませ
「敷KYませ」が「敷き甲ませ」になるのだから、「敷き甲ませ」の「き甲」の本質音はKYだと解る。よって、次のことがいえる。
い甲イ乙識別行では、母音部たるYは「い甲」を形成する。
Yは「い甲」を形成する音素の一つである。

【2】「隠ります」の「り」は「い甲」段相当の音素節

上述の「隠ります=隠RYます」と「敷き甲ませ=敷KYませ」とを比較しよう。
「り」は甲類乙類の識別はない。だが、「隠ります」の「り」の母音部はYであって、「敷き甲ませ=敷KYませ」の「き甲」の母音部と同じである。よって、次のことがいえる。
母音部たるYは、い甲イ乙識別行では「い甲」を形成し、い甲イ乙不識別行では「い丙」を形成する。
また、次のことがいえる。「し」には甲類乙類の識別はないが、音素節「し」の中には母音部がYのものもある。「ち」「ぢ」「ゐ」なども同様で、その中には母音部がYのものがある。ヤ行の「い」にも母音部がYのものがある。


§6 「ゐやぶ」の「ゐや」が「うやうやし」で「うや」になる理由

【1】「敬ぶ」の「ゐや」が「うやうやし」で「うや」になる理由

上代語「ゐやぶ」は“敬う”の意味の上二段動詞である。
神たちをモ ゐやビ〈為夜備〉まつり[続紀天平神護元年宣命38]
一方、「ゐやぶ」の「ゐや」から派生したとみられる形容詞「うやうやし」がある。
うやうやしく〈宇夜宇也自久〉相ひ従ふ[続紀天平宝字六年宣命27]
「ゐやぶ」の「ゐ」が「うやうやし」で「う」になる理由を述べる。
「ゐや」の本質音と「うや」の本質音は同一で、WYYAだと推定する。
敬ビ=WYYAビ
WYのYは母音素性を発揮し、WYは音素節を形成する。音素節WYはワ行Y段(い段)の「ゐ」になる。
→WY ―YAビ=ゐやビ
敬敬し=WYYA+WYYA+し→WYYAWYYAし
Wは母音素性を発揮し、単独で音素節を形成する。
Wに続く二つのYは二つとも父音素性を発揮し、直後のAと結合して音素節YYAを形成する。
→W ―YYA ―W ―YYAし→うYYA ―うYYAし
父音部YYでは、前のYは顕存し、後のYは潜化する。
→うYyA ―うYyAし=うYA ―うYAし=うやうやし

【2】父音素およびYに続くWは母音部「う」を形成する

Wが単独で音節「う」を形成することから類推して、次のとおり考える。
父音素およびYにWが続き、その直後で音素節が分離する場合、Wは母音部「う」を形成する。