§1 双挟潜化
【1】双挟潜化
(1)双挟音素配列。
〔同一の音素二つが、他の(単数・複数の)音素を前後から挟む音素配列〕になっており、かつ、〔それらのすべてが父類音素である〕か〔それらのすべてが母類音素である〕場合、その音素配列を双挟音素配列と呼ぶ。
たとえば、UYUでは、同一の音素U二つが、Yの前と後にあって、Yを挟む形である。そしてUは完母音素、Yは兼音素だから、U・Yは共に母類音素である。UYUは双挟音素配列である。
また、YMYは、同一の音素Y二つが、Mの前と後にあって、Mを挟む形である。そしてMは父音素、Yは兼音素だから、M・Yは共に父類音素である。YMYは双挟音素配列である。
(2)双挟潜化
「双挟音素配列では、双挟されている(単数・複数の)音素が潜化することがある。この遷移を双挟潜化と呼ぶ。
双挟音素配列UYUでは、UはYを双挟潜化することがある。
双挟音素配列YMYでは、YはMを双挟潜化することがある。
【2】完母音素が兼音素Yを双挟潜化する事例
(1)連体形「思ふ」が「ゆゑ」に上接すると「思ふゑ」になる理由。
四段動詞連体形「思ふ」が「ゆゑ〈由恵〉」[応神記歌42]に上接すると、「思ふゆゑ」ではなく、「思ふゑ」になる。
思ふゑ〈於毛布恵〉に 逢ふモノならば[万15 ―3731]
「思ふゆゑ」の「思ふ」は、連体形だから「思P+AU」である。
「ゆゑ」は「YUゑ」である。
思ふ故=思P+AU+YUゑ→おモPAUYUゑ
UYUは双挟音素配列である。そこで、UはYを双挟潜化する。
→おモPAUyUゑ=おモPAUUゑ
母音部AUUでは、後方で二連続する完母音素Uはひとまず顕存し、Aは潜化する。
→おモPaUUゑ=おモPUUゑ
母音部UUでは、前のUは潜化し、後のUは顕存する。
→おモPuUゑ=おモPUゑ=おモふゑ
(2)「早」が「は」になる理由。
形容詞「早し」の語幹は、「はやき〈波夜伎〉瀬ゴトに」[万17 ―4023]のように、通例は「はや」である。だが、訓仮名としての「早」は「は」と読まれることがある。「はしき」の「は」に注目したい。
はしき〈波辞枳〉ヨし 吾家ノ方ゆ[景行紀17年 紀歌21]
「はしき」は『万葉集』では「早敷」と表記されることがある。
はしき〈早敷〉やし 吾が妻ノ子が[万2 ―138]
「早」の本質音はPAYAだと推定する。AYAは双挟音素配列である。それで、「早」が訓仮名として用いられる場合には、AはYを双挟潜化する。
早敷=PAYAしき→PAyAしき=PAAしき→PaAしき
=PAしき=はしき
(3)「誤す」が「あます」になる理由。
『古事記』に「築きあまし」という語句がある。
みモロに 築くや玉垣 築きあまし〈阿麻斯〉 誰にかモ依らむ 神ノ宮人[雄略記歌93]
この「あまし」は「余し」ではない。「誤り」の同源語たる動詞「誤し」が縮約したものである。「誤す」の意味は“間違う”である(歌意は拙著『古事記歌謡全解』記歌93の段参照)。「あやまし」の本質音は「AYAまし」だと推定する。AがYを双挟潜化すると「あまし」になる。
誤し=AYAまし→AyAまし=AAまし→aAまし=Aまし=あまし
§2 「行く」第一音素節が「ゆ」とも「い」とも読まれるのはどうしてか
【1】「行く」は「ゆく」とも「いく」とも読まれる
「行く」第一音素節は「ゆ」とも「い」とも読まれる。
[上代1] 向会∧をゆかむ〈由加牟〉[允恭記歌87]
[上代2] 竜田ノ山を 何時越イエいかむ〈伊加武〉[万15 ―3722]
【2】上代語母類音素潜顕遷移
「行く」第一音素節はYUYだと考える。
母音部が完母音素一つと兼音素一つから成る音素配列の遷移について次のとおり考える。
上代語では、一つの完母音素と一つの兼音素とから成る母音部では、どちらが前にあっても、完母音素は顕存し、兼音素は潜化する。
但し、完母音素が兼音素に双挟されている場合には、完母音素が双挟潜化されることがある。
この遷移を上代語母類音素潜顕遷移と呼ぶ。
【3】「行く」が「ゆく」「いく」になる遷移過程
[上代1] 「ゆ」になる。YUYではUYが母音部になる。母音部UYでは、完母音素Uは顕存し、兼音素Yは潜化する(上代語母類音素潜顕遷移)。
行く=YUYく→YUyく=YUく=ゆく
[上代2] 「い」になる。双挟音素配列YUYで、YがUを双挟潜化する。
行く=YUYく→YuYく=YYく
YYはヤ行・Y段(い段)の音素節「い」になる。
=いく
§3 形容詞「斎斎し」 YUYYUY
【1】「斎つ」第一音素節はYUY
「斎」は、助詞「つ」に上接した「斎つ」の形で後続の体言を修飾する。その用例では「斎つ」は「ゆつ〈湯都〉」[万1 ―22]とも「いつ〈伊都〉」[雄略記歌91]とも読まれる。これは「行く」第一音素節と同様の変化である。そこで「斎」の本質音はYUYだと推定する。
【2】シク活用「斎斎し」の語幹が「ゆゆ」になる遷移過程
シク活用形容詞「斎斎し」の「斎斎」の読みは、「ゆゆしき〈由由斯伎〉」や「ゆゆしけれドモ〈由遊志計礼杼母〉[万2 ―199一云]のように、「ゆゆ」になることはあるが、「いい」になることはない。「ゆゆ」になる遷移過程を述べる。
「ゆゆし」の「ゆ」は「斎つ」の「斎」と同一語であり、その本質音はYUYだと推定する。「ゆゆし」の語幹「ゆゆ」は「ゆ=YUY」を重複したもので、YUYYUYである。
斎斎し=YUY+YUY+し→YUYYUYし
初頭のYUの直後にあるYは父音素性を発揮するようになり、後のYUYと結合して、音素節YYUYを形成する。
このような遷移をYの後方編入と呼ぶ。
→YU ―YYUYし=ゆ ―YYUYし
YYUYでは、YYが父音部になり、UYが母音部になる。父音部YYでは、前のYは顕存し、後のYは潜化する。母音部UYでは、Uは顕存し、Yは潜化する(上代語母類音素潜顕遷移)。
→ゆ ―YyUyし=ゆ ―YUし=ゆゆし
§4 上代語「さぶし」が平安語で「さびし」になる理由 YUY
【1】「さぶし・さびし」「すむやか・すみやか」「さがむ・さがみ」「あづきなし・あぢきなし」
上代語で「う」段である音素節が、平安語で「い」段に転じる事例がある。
(1)上代語「さぶしは平安語で「さびし」になる。
[上代] さぶしけむ〈佐夫之家牟〉かモ[万4 ―762]
[平安] さび甲しさ〈左必之佐〉
[西本願寺本万葉集15 ―3734一云。広瀬本には一云左必之佐はない]
山里は 冬そさびしさ まさりける[古今和歌集6 ―315]
(2)上代語「すむや」は平安語で「すみや」になる。
[上代] すむやケく〈須牟也気久〉 早帰りませ[万15 ―3748]
[平安] 御船すみやかに漕がしめたまへ[土佐日記1月26日]
(3)上代語での国名「さがむ」は平安語で「さがみ」になる。
[上代] 真指し さがむ〈佐賀牟〉ノ小野に[景行記歌24]
[平安] さがみ〈佐加三〉[倭名類聚鈔二十巻本巻五。相模]
(4)上代語「あづきなし」は平安語で「あぢきなし」になる。
[上代] 上代語「あづきなく〈小豆奈九〉 何ノ狂言[万11 ―2582]
[平安] あぢきなき物[枕草子75段]
【2】上代語で「う」段に、平安語で「い」段になる母音部はYUY
上代語で「う」段であって平安語では「い」段に変化する音素節の母音部はYUYだと推定する。
[上代] 「さぶし」の本質音は「さBYUYし」である。父音素B・M・Dに母音部YUYが続く場合、上代語では、完母音素Uは顕存し、兼音素Yは二つとも潜化する。
寂し=さBYUYし→さByUyし=さBUし=さぶし
[平安] 平安語では、YはUを双挟潜化する。
寂し=さBYUYし→さBYuYし→さByYし=さBYし=さび甲し