§1 「田」は「た」なのに「山田」が「やまだ」と読まれるのはどうしてか
「田」は、単独では「た」だが、「山」に続いた場合には「だ」になる。
田〈多〉ノ稲柄に[景行記歌34]
山田〈夜麻陀〉を作り[允恭記歌78]
「田」の本質音はTDAだと推定する。
「田」が前の語に下接・熟合しない場合には、父音部TDでは、前方にある父音素Tは顕存し、後方にある父音素Dは潜化する。
田=TDA→TdA=TA=た
「山」の本質音はYAMAだと推定する。
山田=YAMA+TDA=やMATDA
MAの直後では父音素がT・D二連続する。この場合、前方にある父音素Tは直前の母音素Aに付着して音素節MATを形成する。
このような遷移を父音素の前方編入と呼ぶ。
→やMAT ―DA
音素節MATでは次の遷移が起きる。
上代語では、音素節末尾にある父音素は潜化する。
この遷移を末尾父音素潜化と呼ぶ。
→やMAt ―DA=やMA ―DA=やまだ
§2 双挟潜化によって「吾君」は「あぎ」に、「いざな君」は「いざなぎ」になる
(1)「吾君」が「あぎ」になる理由。
いざ あぎ〈阿芸〉 振熊が 痛手負はずは[仲哀記歌38]
本居宣長が『古事記伝』31巻でいうように、「あぎ」は「吾君」が縮約したものである。「吾+君」が「あぎ」になる理由を述べよう。
「吾」は「わ」とも「あ」とも読まれる。本章では「吾」をAと記す。
「君」第一音素節の父音部はKGだと推定する。
「君」の「き」「み」は共に「い甲」段である。前章で述べたように、「い甲」を形成する音素の一つにYがある。「君」の「き甲」「み甲」の母音部は共にYだと推定する。
吾君=A+KGYMY→AKGYMY
Aの直後に父音素がK・G二連続する。それで先頭のKは直前のAに付着して音素節AKを形成する(父音素の前方編入)。
→AK ―GYMY
AKでは音素節末尾のKは潜化する(末尾父音素潜化)。
→Ak ―GYMY
双挟音素配列YMYではYはMを双挟潜化する。
→A ―GYmY=あGYY
母音部YYでは、後のYは顕存し、前のYは潜化する。
→あGyY=あGY=あぎ甲
(2)「いざな君」が「いざなぎ」になる理由。
男神の名には、その末尾が「ぎ」であるものがある。「伊邪那伎大神」[古事記上巻]と、「沫那芸神」[古事記上巻]すなわち「沫蕩〈阿和那伎〉」[神代上紀第二段一書第二]である。これらの「ぎ」は、「吾君」の「ぎ」と同様、「君」が縮約したものだと考える。
「な」は助詞である。これをNAと表記する。
いざな君=いざ+NA+KGYMY→いざNAK ―GYMY
双挟音素配列YMYではYはMを双挟潜化する。
→いざNAk ―GYmY→いざなGyY=いざなGY=いざなぎ甲
§3 「籠モり水」が「コモりづ」になる理由
籠モり水〈許母理豆〉ノ 下よ延∧つつ 行くは誰が偶
[仁徳記歌56。歌意は『古事記歌謡全解』記歌56の段参照]
「籠モり水」は、四段動詞連用形「籠モり」に、「水」が下接し縮約したものである。
「浮き甲橋〈宇枳〉橋」のように四段動詞連用形が後続の体言を修飾する場合には、語尾は「い甲」段になる。「い甲」を形成する音素としてYがあるので、体言を修飾する四段動詞連用形の語尾の母音部はYだと推定する。
四段動詞連用形「籠モり」は後続の「水」を修飾するから、語尾「り」の母音部はYだと推定できる。
「水」第一音素節の「み甲」の母音部はYだと推定する。
籠モり水=籠モRY+MYづ→コモRYMYづ
双挟音素配列YMYでは、YはMを双挟潜化する。
→コモRYmYづ=コモRYYづ→コモRyYづ=コモRYづ=コモりづ