第5章 「十」が「ト乙を」「そ甲」「ト乙」「ソ乙」に変化する理由

§1 「十」が「ト乙を」「そ甲」「ト乙」「ソ乙」に変化する理由

【1】上代語で「十」は「ト乙を」「そ甲」「ト乙」「ソ乙」に変化する

[上代1] 「十」は句頭にある場合には「ト乙を」である。
夜には九夜 日には 十日〈登袁加〉を[景行記歌26]
[上代2] 「十」は「八」や「三」に続く場合には「そ甲」になる。
八十島〈夜蘇之麻〉ノ上ゆ[万15 ―3651]
三十〈弥蘇〉ち余り 二つノ相[仏足石歌2]
訓仮名の「十」も「そ甲」に用いられることがある。
珠裳ノ裾〈須十〉に[万1 ―40。「裾」は古事記歌27では須蘇]
[上代3] 「十」は訓仮名では「ト乙」を表すことがある。
此処に逢はむト乙は〈十羽〉
[万11 ―2601。「トは」は古事記歌4では登波]
鎮メトモ〈十方〉 坐す神かモ 宝トモ〈十方〉 成れる山かモ
[万3 ―319。トモは古事記歌61では登母]
[上代4] 「¥文字(G0-AF78)」は、訓仮名では「ヨソ乙」と読まれる。
筑波嶺を 外〈¥文字(G0-AF78)〉ノミ見つつ ありかねて[万3 ―383]
「¥文字(G0-AF78)」すなわち「四十」が「外に当てられている。「外」は万15 ―3596では「ヨ乙ソ乙〈与曽〉」だから、「四十」は「ヨ乙ソ乙」だと解る。

【2】「十」が「ト乙を」「そ甲」「ト乙」「ソ乙」に変化する理由

「十」の本質音はTSOWOだと推定する。
[上代1] 「十」が「トを」になる場合は、TSOとWOの間で音素節が分離する。
十=TSOWO→TSO ―WO
TSOの父音部TSでは、前方にあるTは顕存し、Sは潜化する。
→TsO ―WO=TO ―WO=ト乙を
[上代2] 「十」が「そ」になる場合は、OWOが融合する。「八」はYAだと推定する。
八十=YA+TSOWO→YATSOWO
YATSでは、Aの後に父音素がT・S二連続する。それで先頭のTは直前の母音素Aに付着して音素節YATを形成する(父音素の前方編入)。
→YAT ―SOWO→YAt ―SOWO
母音部OWOは融合する。{OWO}は「お甲」を形成すると考える。
→YA ―S{OWO}=やそ甲
「三」の本質音はMYだと推定する。「三十」の遷移は「八十」と同様の遷移過程である。
[上代3] 訓仮名で「十=TSOWO」が「ト乙」になる場合は、OがWを双挟潜化する。
十羽=TSOWOは→TSOwOは→TsOOは→ToOは=TOは=ト乙は
[上代4] 訓仮名で「四十」が「ヨソ乙」になる場合も、OがWを双挟潜化する。「四」の本質音はYOだと推定する。
¥文字(G0-AF78)=四十=YO+TSOWO→YOTSOWO
→YOT ―SOwO→YOt ―SoO=YO ―SO=ヨ乙ソ乙

【3】普兼音素W

Wは、「トを」の「を=WO」の父音部になってワ行を形成するから父音素性を持つ。
Wは、{OWO}ではOと共に「お甲」を形成するから母音素性を持つ。
Wは父音素性と母音素性を兼ね備えるから、兼音素である。
Wを普兼音素と呼ぶ。

【4】母音部が同じでも父音素が異なれば異なる遷移過程になることがある

上代語では行によって遷移の仕方が異なることがある。
「十=TSOWO」では、Tが顕存した場合には、OとWOの間で音素節が分離して「トを」になるが、Sが顕存した場合には「ソを」になることはない。母音部が同じ音素配列でも、父音部が異なれば、異なる遷移過程をたどって異なる現象音になることがある。


§2 「針」「百合」「しり方」の「り」が東方語で「る」と読まれる理由

【1】「針」「百合」「しり方」の「り」は東方語で「る」と読まれる

[近畿] はり〈芳理〉袋[万18 ―4129]
[東方] 吾が手ト付ケロ コれノはる〈波流〉持し[万20 ―4420防人歌]
[近畿] さゆり〈佐由利〉ノ花ノ 笑まはしきかモ[万18 ―4086]
[東方] 筑波嶺ノ さゆる〈佐由流〉ノ花ノ[万20 ―4369防人歌]
[近畿] しり方でにふく〈志理幣提尓布倶〉
[神代上紀第五段一書第七「背揮」注]
[東方] しる方〈志流敝〉には 子をト妻をト 置きてトモ来ぬ
[万20 ―4385防人歌]

【2】近畿語で「り」、東方語で「る」になる音素節はRYUY

近畿語で「り」、東方語で「る」になる音素節の本質音はRYUYだと推定する。
YUYは、これだけで音素節を形成する場合は、前のYが父音部になり、UYが母音部になって、「ゆ」あるいは「い」になる。
YUYが父音素に続く場合は三音素とも母音素性を発揮して、「う」段あるいは「い」段を形成する。
RにYUYが続く場合には、近畿語と東方語では遷移の仕方が異なる。
[近畿] 近畿語では、母音部YUYで、YはUを双挟潜化する。
針=はRYUY→はRYuY→はRYY→はRyY=はRY=はり
[東方] 東方語では、母音部YUYで、完母音素Uは顕存し、兼音素Yは二つとも潜化する。
針=はRYUY→はRyUy=はRU=はる